1分でわかる宮崎謙介
宮崎謙介氏とは
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大物政治家の娘と結婚後、女性問題でわずか3年で離婚してしまう
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衆議院議員として初当選後、同じく衆議院議員の金子恵美氏と結婚する
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妻の出産入院中に女性タレントとの不倫が発覚する
宮崎謙介の経歴
最近はテレビのコメンテーターとして顔を見ることも多くなった宮崎謙介ですが、188cmの長身と甘いマスクに加え、実業家や政治家という知性ある経歴で女性にモテる要素を兼ね備えた「色男」です。 また、政治家としてはいち早く男性の育児休暇取得の必要性を謳い行動を起こした「イクメン議員」でもあります。 「色男」と「イクメン」、まさに対極とも言える宮崎謙介の二面性は、どの様な経歴で作り上げられてきたのか解説します。
数社で会社員として勤務
1981年東京都生まれ。2歳から7歳までを、父親の仕事の都合によりフィリピンで過ごしました。 早稲田大学商学部を卒業後、宮崎氏は若くして様々な会社を渡り歩くこととなります。 ・2003年 日本生命保険相互会社に入社 ・2004年 株式会社インテリジェンスに転職 ・2005年 株式会社ドリコムに転職 保険会社、人材派遣、IT企業と、全くの畑違いの仕事を転々としながら、宮崎謙介は多くの経験と人脈という財産を得ることとなります。
加藤鮎子と結婚するも離婚
宮崎謙介は2006年に前妻である加藤鮎子さんと結婚しています。 加藤鮎子さんの父親は内閣官房長官や自民党政調会長などを務め、「総理に一番近い男」とも呼ばれた故・加藤紘一氏で、自身も現職の衆議院議員を務める「政界のサラブレッド」です。 この結婚を機に、宮崎謙介も加藤氏の地盤を継いで政界の道へと歩み始めることとなります。その意思を表す様に、宮崎謙介は結婚により「加藤謙介」と姓を変更しています。 しかし、2009年にわずか3年間の夫婦生活にピリオドを打ちました。離婚の原因は宮崎謙介の女性問題が原因であったと報じられています。
会社経営などを始める
宮崎謙介は前妻との結婚の後、自身の会社である「株式会社ネオトラディション」を立ち上げ、代表取締役に就任します。その頃は「加藤」姓を名乗っていました。 事業内容としては大学生の就職活動支援コンサルティングサービスで、自身のこれまでの経験や人脈を活かし、積極的な事業展開を行っていくことになります。 ちなみにこの会社は、宮崎謙介退任後も順調に事業拡大を果たし、現在も健在です。 ただその一方で、加藤氏の地盤を脈々と受け継ぎ、政治家への道を一歩ずつ突き進んでいました。いずれは加藤氏の地元である「山形3区」からの出馬を期待されていたことでしょう。
衆議院議員として出馬、当選
加藤綾子議員との離婚によって「宮崎」姓に戻った宮崎謙介ですが、政治家への道は途絶えません。 当然ながら待望された加藤氏の地盤「山形3区」を引き継ぐことは出来ないものの、自民党からの支持を受け、宮崎謙介は幼少期より馴染みのあった「京都3区」からの出馬を目指します。 2011年に自民党京都府第三選挙区支部長に選任され、その翌年の2012年にはわずか31歳という若さで衆議院議員選挙で初当選を果たします。
できちゃった婚で金子恵美と結婚
宮崎謙介の勢いは止まりません。 2回目の当選を果たした翌年の2015年には、同じく衆議院議員の金子恵美氏との再婚を発表しました。それが「できちゃった婚」であったという事で、世間は騒然としました。 金子恵美氏は宮崎謙介よりも3歳年上の1978年に生まれました。早稲田大学文学部を卒業後、地元新潟県で市議会議員・県議会議員を務め、2012年に新潟4区から衆議院議員に初当選しました。 ミス日本関東代表にも選ばれるほどの美貌を持ちながらも、歯に衣着せない物言いで非常に人気を博した政治家です。 そんな美男・美女の政治家同士のできちゃった婚は、マスコミでも大きく取り上げられました。
宮崎謙介の不祥事:ゲス不倫
ここまでは宮崎謙介の破天荒ながらも順風満帆なサクセス・ストーリーですが、世間を騒然とさせた問題はここからです。 政治家として男性の育児休暇の重要性を熱心に訴えていた「イクメン」政治家が、こともあろうに妻の出産入院中に他の女性と不倫していたという、政治家としてあるまじき致命的な失態を世に晒してしまう事となりました。 「色男」と「イクメン」の二面性を持つ宮崎謙介、どちらが彼の真実の顔だったのでしょうか。