河野太郎は英語堪能な防衛大臣。ツイッターでの「ベーコン」問題や物議を醸した「雨男」発言を深堀ります。
もくじ
1分で分かる河野太郎
河野太郎とは
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政治家一族に生まれる
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外務大臣に続いて防衛大臣に就任する
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ツイッター上で「河野太郎」がブームになる
河野太郎の生い立ちと経歴
河野太郎は政治家家系に生まれ、幼い時からエリート街道をまっすぐに走ってきました。父の背中を追って政界に入ってからもその勢いは止まらず、今も人気の高い政治家の筆頭です。 アメリカの大学に留学し、一般企業に勤めるなど政治活動を始める前から才能を開花させてきました。河野太郎が現在の防衛大臣に至るまでの道筋を紹介します。
父親は河野洋平
河野太郎の父は副総理や外務大臣も務めたことのある政治家でした。現在でも韓国とトラブルになっている慰安婦問題を認めた「河野談話」で有名です。 また、国民が北朝鮮の国民が飢えに苦しんでいることを知った時には、米19万トンを支援するなど人権派としても知られています。拉致問題で日朝関係が揺らいでいる時だったので、国内から見ても異例の対応でした。 中国や韓国などの東アジアの国々に関する発言が今でも話題になります。
慶應義塾大学を中退後ジョージタウン大学に入学し卒業
中等部から慶応義塾大学へと進学していた河野太郎でしたが、大学を2か月で退学してしまいます。退学後はアメリカへ渡り、サマースクールなどに通っていました。 その後ワシントンにあるジョージタウン大学で学び始めます。ここは世界的な名門大学で、特に政治に強い点が特徴です。この時から将来の政治活動を目を据えていたのかもしれません。 在学中にはポーランドへと留学したりと学びの幅を広げていき、1985年に卒業しています。
日本に帰国後富士ゼロックスに入社
アメリカからの帰国後、今度は当時最大手の企業だった富士ゼロックスに入社します。当時はまだ浸透していなかったサテライトオフィスの設置にも関わりました。 その他にも留学で得た英語力を活かしてシンガポールへと単身赴任し、国際的に活躍の幅を広げていきます。後に外務大臣として使われる国際政治の才能も、この時から開花していたとも言えるでしょう。 政治活動を始める1996年までは富士ゼロックスで働いていました。
自民党から出馬し衆議院議員となった
河野太郎は自信33歳の時に満を持して政界へと足を踏み入れます。その背景には父の選挙区が分割されたことがありました。 自民党公認で衆議院選挙を戦い抜き、激しい争いの末見事当選します。自民党内では父の背中を追い、河野グループと呼ばれる派閥に属していました。 入閣するまでは「政界の異端児」と呼ばれるほど際立った発言が注目されます。東日本大震災後には脱原発を叫び、メディアにも大きく取り上げられました。
外務大臣を経て防衛大臣に任命された
2015年に初入閣し、その2年後には父も務めた外務大臣に抜擢されます。外務大臣とは日本の外交関係を統括するトップの存在です。語学が堪能な河野太郎らしい配役になります。 この時は北朝鮮のミサイル問題が緊迫し、アメリカでは新しい大統領が誕生して間もなかったりと外交関係も雲行きが怪しかった時期です。 そんな中で約2年間外務大臣の仕事を全うし、2019年中ごろからスタートした第4次安倍政権では防衛大臣を任されています。
河野太郎の政治思想、政策、公約
河野太郎は入閣前から原発に対して否定的な態度を取っていました。しかし、皮肉にも原発を再稼働させる安倍政権の中で重要な役割を担っていくのです。 中国や韓国に低姿勢だった父の河野洋平とは異なり、外務大臣時代には強い批判の言葉を浴びせました。歴史問題が友好の障害になっているのですが、それに臆すことなく対等な立場で物事を発現する姿勢が高く評価されています。 また、すでに成り立たなくなっている国民年金の廃止も主張しています。
立花孝志はN国党党首で議員辞職。話題となった政見放送や経歴、政治的思想に迫ります。立花孝志はNHKから国民を守る党の党首です。参議院選挙で議席を獲得したことで大きな話題となりましたが、現在は議員を辞職しました。立花孝志は一体どんな人物なのでしょうか。今回は、立花孝志の経歴や政見放送、考え方について紹介します。
河野太郎の英語力が評価されている
外務大臣として他国の代表と協議する際には、共通語である英語が欠かせません。日本人は英語が苦手と言われていますが、その中でも河野太郎の英語力はかなりのものです。 もちろん大学時代にアメリカに留学していたことが大きいでしょう。しかし、他の政治家と比べても流暢な英語を話しています。 インターネット上では全て英語のスピーチで会場の笑いを誘うなどの映像が話題となり、彼の英語は皆の知るところとなりました。
河野太郎は父親に肝臓を移植していた
父の洋平は70年代からC型肝炎に悩まされていました。2000年代に入るまでは手術をすることなく過ぎていたのですが、ついに肝臓移植の手術を受けることになります。 その時にドナーとして手を上げたのが息子の河野太郎です。彼は自身の肝臓の一部を提供することで父の命を救いました。これによって脳死移植の推進も明言しています。 後遺症としては食欲が減ることや、メスを入れた腹筋のこむら返りなどがあったようです。
河野洋平を知る。河野談話や新自由党クラブや政治思想に触れながら河野洋平を考察します。「河野洋平」氏は自民党の政治家の中では異質です。新党の結成や「河野談話」を発したり今日でも話題になる行動の多い政治家です。今回は「河野洋平」氏をとりあげ、その経歴や政治信条に加えて、彼が取り組んだ日韓関係や拉致問題などについても解説します。
河野太郎はツイッターで話題に
政界にも強い力を持つ河野太郎ですが、最近ではSNSで若い人たちの心も掴んでいます。 ツイッターのフォロワーから寄せられるリプに返信することで、国民との距離が非常に近い政治家とも言えるでしょう。アメリカのドナルド・トランプ大統領のようにSNSを巧みに利用する、新しいタイプの政治家とも言えるかもしれません。
エゴサ
注目すべきは彼のエゴサーチ能力です。通常通りに検索した場合には確実にヒットしないであろうツイートも拾ってくる能力が彼にはあります。 例えば「河野太郎」という文字を記号だけで書いたツイートだったり、モールス信号で表したものまで拾ってくるのです。河野太郎は「念力を使っている」と発言しています。 この究極とも言えるエゴサ能力が話題となり、ネットユーザーたちは次々と河野太郎に関する暗号を開発している状況です。
ベーコン
河野太郎自身が「ベーコン」について兼ねてから謎のツイートを連投していました。それを見たユーザーはベーコンについて考察することになります。 この一連のツイートは国外メディアでも話題になっており、暗号化して「ベーコン」とツイートしたことでさらに謎が深まることになるのでした。 そしてライブ配信に出演した際に「ベーコンの秘密を明かす」と発言したのですが、配信中に答えが明かされることはなく、現在でも謎のままです。
腕時計
中国の外相と対談した際に付けていた時計が物議を醸しました。右手の腕時計が金で出来ていると非難されたのです。 しかし、実際にその腕時計は金ではなく竹製ということが判明します。以前に式典でプレゼントされた時計を愛用しており、対談の際にも身に着けていただけでした。 最初に非難を浴びせたユーザーは完全に言いがかりであり、それに便乗した人々も醜態を晒すことになったのです。
恋愛相談
一般女性が投稿した「河野大臣に恋愛相談に乗ってもらいたい」というツイートが本人に届き、まさかの恋愛相談が実現しました。 この時に彼が見せた大人の対応がネットユーザーの間で評判になったのです。現行の大臣が一般人の恋愛相談に応じたのは彼が初めてだったのではないでしょうか。 また、河野太郎の恋愛観が垣間見える回答も秀逸です。短めながらも的確なアドバイスが河野太郎の頭の良さを表しているように思えます。
河野太郎の「雨男」発言が物議を醸す
歴代最強クラスの台風19号は日本に多大な被害をもたらしました。台風の被災地で活動していた自衛隊に対して河野太郎が発言したところ、その中にあった「雨男」の部分が批判の対象になってしまいます。 実際にはマスコミが放送するにあたって「雨男」の発言を強調し、速報として報道したのです。 スピーチ全文を見れば意図していないことは明白であるにも関わらず、重大事件かのように報道するマスコミに対しての批判が殺到しました。
河野太郎は次期総裁選に立候補する予定
河野太郎は次の自民党総裁選に立候補すると述べています。過去にも立候補しており、その時は谷垣禎一に総裁の座を譲ることとなりました。 SNSを利用した戦略や外交関係の信頼度の高さから国民からの支持も厚いため、選挙に勝つ可能性は十分にあるでしょう。現在はそれを見越しての準備段階にあるのかもしれません。 河野太郎が総理大臣となる日もそう遠くないかもしれません。