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稲田朋美は様々な不祥事の末、防衛大臣を辞任。経歴や思想に触れながら考察します。

 

もくじ

1分でわかる稲田朋美

稲田朋美議員とは

  • 福井県出身の国会議員
  • 安倍総理大臣に気に入られていた
  • 防衛大臣に就任するも不祥事の末辞任

稲田朋美議員は2005年から5期連続で衆議院議員を務めている福井県出身の国会議員です。地元福井の「メガネ」と「網タイツ」を愛用することでも知られています。 安倍総理の秘蔵っ子として2016年には防衛大臣にもなりました。しかし、森友問題への関与や南スーダンPKOにおける日報隠ぺい問題など、さまざまな不祥事の末に辞任しました。

稲田朋美の生い立ちと経歴

(画像:Unsplash

稲田朋美といえば2005年の衆議院議員選挙において初当選以来、5期連続で当選を果たす自民党の中堅議員であり防衛大臣も務めています。 安倍総理大臣にスカウトされて政治の世界に入った稲田氏ですが、さまざまな不祥事を引き起こしたことでも知られているのです。そんな稲田氏のルーツを探るべく生い立ちや経歴について解説します。

早稲田大学を卒業後弁護士となる

稲田朋美氏は1959年に福井県今立町(現在の越前市)に生まれます。父親の椿原泰夫氏は「頑張れ日本!全国行動委員会」の活動で知られる政治運動家です。 政治家になることなど考えていなかった稲田氏は京都府の高校を卒業後、早稲田大学法学部で学びますが女性の就職先があまりにも少ないことに気付きます。 そこで、稲田氏は司法試験を受験することを決意し、1日のうち16時間を試験勉強に費やしました。結果、大学卒業の翌年に司法試験に合格して弁護士になるのです。

政治家、そして防衛大臣へ

結婚・出産を機に弁護士事務所を退職していた稲田朋美氏でしたが、高池克彦弁護士からの依頼で南京事件における「百人斬り競争」に関する裁判に携わることになります。 このことがきっかけで、2005年に稲田議員は自民党本部で「百人斬り競争」に関する講演を行います。それを聴いていた安倍晋三幹事長代理(当時)が、稲田氏を政治家に導くことになるのです。 こうして2005年に初当選した稲田氏は安倍総理大臣の後ろ盾もあり、2012年には内閣府特命大臣に、2016年には防衛大臣に就任します。

夫と子供がいる家庭の母親でもあった

司法試験に合格した稲田氏は司法修習生を経た後、大阪弁護士会に弁護士登録を行い、約5年間弁護士事務所に勤務します。 ところが1989年に司法修習生時代の同期である稲田龍示弁護士と結婚し、子供が生まれると弁護士事務所を退職してしまうのです。 この頃の稲田氏は政治家になるなど全く考えておらず、夫と子供がいる家庭の母親として忙しい毎日でした。しかし、「産経新聞」「正論」に興味を持つなど政治に関心はあったようです。

稲田朋美の思想、主張

(画像:Unsplash

稲田朋美議員は「百人斬り競争」は偽証との見解を示した上で、事実と異なることは相手国に対しても反論すべきであり、日本の名誉が棄損されている現実を放置できないと主張しています。 また、「真のエリート」とは事が起こった際に祖国のために命をささげる覚悟を持つことであり、そういった人材を育てる教育が必要だとも述べているのです。これらの主張から、稲田氏は祖国である日本に対する想いが人一倍強く、極めて保守的な思想の持ち主だと言えます。

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稲田朋美の不祥事や問題のある言動

(画像:Unsplash

防衛大臣にまで上りつめ、まさに順風満帆な政治家活動を行っていた稲田朋美議員でしたが、現在は要職には就いておらず厳しい立場に追い込まれています。 かつては、女性総理大臣候補とまでいわれていた稲田氏ですが、なぜ、このような状況になったのでしょうか。稲田氏の度重なる不祥事や問題のある言動について解説します。

森友問題への関与

2017年に発覚した森友問題において、稲田氏はかつて森友学園が起こした民事訴訟の原告代理人であった疑惑が持ち上がりました。 しかし、稲田氏は国会において蓮池理事長の事件を担当したことや法律相談を受けたことはないと答弁しています。ところが、2004年12月に原告側代理人弁護士として出廷した記録が残っているのです。 このことを聞かされた稲田氏は夫である稲田龍示弁護士が担当したものであり、その代わりに出廷したことはあり得るといった苦しい回答に終始しました。

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