\ 琉球風水志 シウマの占いページはこちら /

アル・ゴアはアメリカの元副大統領。不都合な真実や素行の悪い息子の経歴とは?

もくじ

アル・ゴアはアメリカの元副大統領

(画像:Unsplash

アル・ゴア氏はビル・クリントン政権下で1993年~2000年の間、二期8年間にわたって第45代アメリカ副大統領の任務を全うしています。 副大統領在任中は官僚機構の縮小化に尽力したほか、インターネットの発展や後に自身が出演する映画「不都合な真実」のテーマとなる環境問題などに積極的に取り組み、高い評価を得ています。

アル・ゴアの経歴

(画像:Unsplash

アル・ゴア氏は民主党上院議員の父の下に生まれ、ハーバード大学では政治学を専攻し紆余曲折の末の人生を送ったのち、1976年テネシー州の選挙区から下院議員に立候補し見事初当選を果たします。 1984年には上院議員となり1988年に大統領選に立候補するも予備選で敗退し、その後も何度か大統領になるチャンスはあったもののその願いは叶いませんでした。

ハーバード大学を卒業

アル・ゴア氏は1965年に名門ハーバード大学に入学し、民主党上院議員であった父の影響から政治学を学びハーバード・カレッジを取得します。 ハーバード大学といえば合格率6%の超難関校であり、その中でも政治学は非常に人気が高いことで有名です。アル・ゴア氏はそこで徹底的に政治を学び政治家としての基盤を築くのです。 ちなみに、この頃ルーム・メイトだったのが、映画「MIB」や缶コーヒーのCMで有名なトミー・リー・ジョーンズ氏です。第30回東京国際映画祭(2017年)では久々の再開を喜ぶ二人の姿がありました。

ヴァンダービルト大学のロースクールに行くも中退

ハーバード大学卒業後、アル・ゴア氏はヴァンダービルト大学のロースクールに進学(1974年)しますが1976年には退学してしまいます。 なお、ロースクールとは日本では大学院にあたるものですが、アメリカ合衆国では法曹養成を目的とした高度な法学教育機関として位置づけられています。 この時アル・ゴア氏は既に結婚して子供もいましたが、政治家としての道を模索している時期でもありました。タイミングよく下院議員選挙が行われたことからロースクールは退学し出馬したのです。

下院議員選挙、上院議員選挙に当選

ヴァンダービルト大学のロースクール退学後(1976年)、すぐさまアル・ゴア氏はテネシー州から下院議員選挙に出馬し当選を果たします。 テネシー州はアル・ゴア氏が幼少期を過ごした地元であり、彼の父親はこの地で長く民主党上院議員を務めていました。そのため、地元住民からの支援もあり地盤としても申し分なかったのでしょう。 アル・ゴア氏はテネシーで三期下院議員を務めた後、1984年には上院議員選挙に立候補し当選を果たし中央政界へと進出していきます。

ビルクリントンの副大統領に就任、再選

上院議員となったアル・ゴア氏は、1988年の大統領選に立候補するも予備選で敗北したため、1992年の大統領選に再度出馬する決意を固めます。 ところが、息子のアル・ゴア三世氏が交通事故に遭い大けがをしました。大統領選を諦め息子の回復を見守ることにしますが、ビル・クリントン氏が1992年の大統領選に向けアル・ゴア氏を副大統領候補に指名するのです。 ビル・クリントン氏は見事大統領選を制し、アル・ゴア氏も正式に副大統領として迎えられ、彼とともに二期8年間にわたって副大統領の任務を遂行します。

アル・ゴアは2000年に大統領選に出馬し落選

クリントン政権が終焉を迎えた2000年にアル・ゴア氏は満を持してアメリカ大統領選に出馬しますが、ジョージ・ウォーカー・ブッシュに惜敗します。 副大統領としての実績十分で大統領選に挑んだアル・ゴア氏は一般投票では勝利したものの、選挙人投票で敗れます。選挙結果については法廷闘争にもつれ込むなど後味の悪いものでした。 アル・ゴア氏の敗北には様々な要因がありますが、クリントン前大統領のスキャンダルや自身のインターネット発展に対する不遜な発言がブッシュ陣営に有利に働いたとされています。

アル・ゴア主演の映画「不都合な真実」

(画像:Unsplash

アメリカ副大統領退任後のアル・ゴア氏の実績で特筆されるのが、ドキュメンタリー映画「不都合な真実」(2006年)への出演です。 アル・ゴア氏は副大統領在任時から世界の環境問題の解決に向けて、積極的に取り組んできましたが「不都合な真実」は、まさにその集大成ともいえる内容でした。 「不都合な真実」には一部表現が誇大との指摘も受けましたが、北米では約241万ドルの累積興行収入をあげる大ヒット作となるのです。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

もくじ
閉じる