1分でわかる金子恵美
1分でわかる金子恵美
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金子恵美は若くして国政進出を果たした自民党の元国会議員
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任期中に国会議員の宮崎謙介と結婚、出産
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出産後に夫の不倫報道、その後の選挙では落選、政界を引退
金子恵美の経歴
(画像:Unsplash)
まずは金子恵美の経歴について見てみましょう。若くして新潟市議、新潟県議、国会議員とステップアップした政治家としてのキャリアは優秀そのものです。しかし、一寸先は闇とは良く言ったものです。 なお、衆議院議員の政治家に金子恵美(かねこえみ)がいますが、こちらは福島県選出の民主党の政治家であり別の人物です。
早稲田大学を卒業後新潟放送に勤務
金子恵美は、1978年新潟県に生まれました。父はかつて新潟県にあった月潟村という村の元村長の金子由征です。生まれながらにリーダー気質を備えていたのかもしれません。 高校までは地元の学校に通いますが、大学は東京の早稲田大学第一部文学部に進学します。大学卒業後は、地元の新潟放送(TBS系列)に入社します。 アナウンサーではなく編成局配属になり、CMを割り付ける仕事をしていました。
ミス日本関東などで活躍
その後、「顎関節症」という顎の病気を発症してしまい、治療に専念するため新潟放送は1年ほどで退職します。 快復後、2002年に「新潟県きものの女王」、2003年に「ミス日本関東代表」に選出されますが、社会復帰のためのきっかけにと彼女のお母さんが応募したそうです。 そのミス日本の際に知り合った人の紹介で、その後は、韓国に渡り職探しをしていたようです。決して順風満帆なキャリアスタートではなかったことがわかります。
新潟市議会議員、新潟県議会議員となる
韓国ではいろいろと反日感情の強さにも遭遇し、韓国と日本の交流についていろいろと考えさせられ、政治の中で何とかしなければという思いが強くなったそうです。 帰国後、父が政治家を引退するタイミングとも合って、自身も政治家になろうと決意します。2007年には、新潟市議会議員選挙に出馬し、4,244票を獲得してトップ当選します。 2010年には、新潟市議を任期途中で辞職し、新潟県議会議員補欠選挙に出馬して当選します。
自由民主党から出馬し衆議院議員に当選
2012年、今度は新潟県議を辞職して、第46回衆議院議員総選挙に自由民主党の公認で出馬します。このときの選挙は、野党自民党のころの選挙であり、民主党政権の信を問うものでした。 そこで自民党の公認を得たというのは相当期待されていたはずです。対抗馬は、民主党前職の菊田真紀子氏でしたが、この女性対決を1万4千票超の差をつけて圧勝、国政に進出します。 2014年の第47回衆議院議員総選挙でも、同じく菊田真紀子氏との再選に勝ち、選挙に強いところを見せます。
総務大臣政務官など歴任
宮崎恵美は、国政では二階派に属しました。二期目以降、予算委員会や特別委員会の委員を務め、2016年8月には第3次安倍政権(第2次改造内閣)で総務大臣政務官に就任します。 各省には大臣・副大臣・政務官の役職(政務三役)に政治家が就任するのが常例ですが、初当選から4年足らずでの政務官就任は出世が早い方だったのではないでしょうか。 ただし、政務官時代に週刊誌報道で、当時居住していた議員宿舎から公用車で自身の子供を議員会館内の保育所へ送迎したことを報道され、公私混同を指摘されたこともありました。
宮崎謙介と結婚し出産
金子恵美は、2015年5月に同じ二階派所属の宮崎謙介との結婚を発表します。宮崎謙介も金子恵美と同じ選挙において初当選した若手の政治家でした。 国会議員の美男美女のカップル誕生にマスコミでも注目を集めました。「できちゃった婚」であり、翌2月には2人の間に男児が出まれます。 育児しながら国会活動が続けられるのか、そんな指摘が世間では生じましたが、宮崎謙介もイクメン宣言をしていただけに、これからの2人の政治活動に注目が集まっていました。
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