安田純平とはどのような人物か
日本で有数の戦場ジャーナリスト
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信濃毎日新聞社を経てフリージャーナリストになる
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2015年シリアで拘束される
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世間からバッシングを浴び、旅券発行を拒否されている
安田純平の経歴と生い立ち
(画像:Unsplash)
安田純平は、信濃毎日新聞社を経てフリージャーナリストになります。プロの記者としての仕事のレベルがとても高いと評価されています。撮影・取材、執筆、多数の外国語を話すことができ、ジャーナリストとしても世界に通用する実力の持ち主だとも言われています。 安田純平は2015年にシリア内戦のに取材に行き、武装勢力組織に長期間拘束されてしまいます。自分の身の安全の保障なく命を懸けて仕事に取り組んでいます。 新聞社を退社してフリーライターになり、命を懸けて取材を続ける安田純平は、何を伝えたかったのでしょうか。
信濃毎日新聞社を経てフリージャーナリストとなった
安田純平は信濃毎日新聞社に入社後、市町村の行政経済など一般市民の暮らし、北アルプスのし尿処理問題、信州大学、脳死肝移植などを担当します。信濃毎日新聞社時代にイラク戦争を現場で取材をしたいと希望していました。 しかし会社側が認めなかったので、休暇を取ってアフガニスタンやイラクを取材していました。その後会社の方針と安田純平の方針の違いにより、2003年1月に信濃毎日新聞社を退職して、フリージャーナリストになりました。
シリア以外の戦地を取材し拘束されたことも
安田純平は、シリア以外の戦地を取材して拘束された事があります。拘束されて解放されずに亡くなる方も多い戦場ジャーナリストとは、まさに命がけの仕事です。安田純平は2003年にフリージャーナリストになり、イラクの取材を開始しました。 そこで2003年の春にイラクで武装勢力組織に拘束されてしまいました。その後解放されるも2004年にもバクダットで武装勢力に拘束されました。 そして大きく話題になった2015年にはシリアでテロ組織に人質として拘束されました。
安田純平の思想
(画像:Unsplash)
安田純平は、戦争が近づいていると言われる国の人々がどのような表情で暮らしているのか、どういった心境なのか、そのような状況にいる人々の生の声を伝える事が記者としての役割だと考えています。 安全な日本では戦争とは過去の事で、世界中で起こっている戦争について実感がありません。 安田純平は自分の身の危険を冒してまで、取材をするのは「真実に基づいてモノを考える」今目の前で起こっている戦場での現実を世界中の人々に伝えたいと、対テロ戦争をテーマに取材を続けています。
安田純平のシリアでの拘束から解放
(画像:Unsplash)
安田純平はフリーライターになり、2014年からシリア内戦の取材を始めました。そこでシリア内戦の取材中に武装勢力組織に拘束されてしまいます。 安田純平のシリアでの拘束されてから、無事に解放までを順を追って迫ります。
2015年6月にシリアで拘束
安田純平は2015年6月22日にシリア人ブローカーと一緒に、トルコの南部からシリアの北西部にあるイドリブ県に深夜違法ルートで入国しました。そこでスパイ容疑をかけられてしまい、シリアの正体不明の武装勢力組織に拘束されていました。 武装勢力組織は安田純平が2004年にイラクや、バクダットで拘束された事と人質として日本で報道された事を知ります。すると武装勢力組織は身代金を日本に要求が可能であると考え、身代金目的の拘束を続けました。
安田純平の画像や動画が配信された
2016年3月17日にFacebook上で、紙を見ながら英語で話す黒のセーターにマフラー姿の安田純平の動画が公開されました。 2016年5月29日にインターネット上で「助けて下さい。これが最後のチャンスです。安田純平」と日本語で書かれた紙を持った画像が公開されました。2018年7月31日にYouTube上で、オレンジの囚人服を着て銃を突き付けられた安田純平の動画が配信されました。