1分でわかる黒田清子さん
「黒田清子(くろださやこ)」さんについて
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「黒田清子」さんは上皇明仁さまと上皇后美智子さまの第1皇女
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2005年11月15日に結婚により皇籍を離脱される
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結婚後も上皇・上皇后および今上天皇一家・秋篠宮家との交流が深い
黒田清子さんの経歴
黒田清子さんは1969年4月18日に、当時は皇太子であった明仁親王と同妃美智子さまの第3子として誕生しました。ご夫妻にとって初めての内親王だったこともあり、皇籍を離脱することを想定した教育が行われたとされています。
清子内親王
清子内親王だった黒田清子さんは身長45.2cm、体重2250gの未熟児として誕生されました。
しかし健康状態は良好で、「サーヤ」という愛称で呼ばれていたことが知られています。 清子内親王は初等科から大学まで学習院に通学され、1992年に学習院大学文学部国文学科(現・日本語日本文学科)を卒業されます。
卒業後は山階鳥類研究所に非常勤研究助手として勤務し、内親王としては史上初めて労働対価による給与を得ています。
そして1998年から2005年まで山階鳥類研究所非常勤研究員として勤務しながら、研究活動を行っていました。
公務員の黒田慶樹さんと結婚
清子内親王は幼少期から面識があった秋篠宮文仁親王の友人である黒田慶樹さんと、2003年1月に再会します。そして1年後、黒田慶樹さんからプロポーズを受けます。
そして天皇明仁様と皇后美智子様に黒田慶樹さんを紹介し、2004年12月30日に婚約が発表され、2005年3月19日に納采の儀が行われました。
2005年11月15日に帝国ホテルにて黒田慶樹さんとの結婚式が行われ、清子内親王は皇籍を離脱することになりました。
その後民間人となった
2005年11月15日に婚姻届が受理されたことで、黒田清子さんは民間人となりました。
そして翌日である16日に宮内庁が、皇統譜に清子内親王が皇族からの身分を離れた旨を登録します。皇統譜に皇籍離脱が登録されたことで、黒田清子さんに選挙権並びに被選挙権の権利が発生します。
そして国民年金や健康保険料の支払いや納税といった、国民としての義務も発生することとなります。 黒田清子さんに対しては民間人になっても警衛警護が行われていますが、所管は皇宮警察本部から警視庁に変更されていました。
鳥類の研究者として活躍された
黒田清子さんは山階鳥類研究所に勤務している間、赤坂御用地と皇居の鳥類について研究されていました。 研究の成果が形になったのは、平凡社が「日本動物大百科」を出版した時です。
当時は内親王だった黒田清子さんは、カワセミの項目の原稿を担当されました。 また、鳥類の研究者として活躍されただけでなく、盲導犬に関する公務も積極的に行われていました。
黒田清子さんと黒田慶樹さんの結婚
黒田清子さんと黒田慶樹さんの結婚は、日本国民に祝福されたものでした。内親王では初めて皇族・華族出身者ではない男性と結婚することになりましたが、問題視はされませんでした。
婚約が発表された時点で清子内親王は35歳になられていたため、喜びもひとしおというムードが漂っていたようです。
また清子内親王のお相手が秋篠宮文仁親王の友人であったことも、好意的に受け止められた要因と考えられます。
眞子さまのケースと黒田清子さんのケースの比較
黒田清子さんの結婚は、日本国民に祝福された幸せなものでした。しかし秋篠宮文仁親王の第1皇女である眞子内親王の結婚は、延期されています。
その原因はお相手である小室圭さんの母の金銭トラブルが発覚したことで、眞子さまの婚約・結婚に対する世論の反応が分かれたことにあります。
こうしたトラブルが発生したことで今後解決ができたとしても、国中に祝福される状況にはならないことが予想されます。
小室圭さんの母親の金銭問題などにより眞子様との婚約は泥沼化。止まぬバッシングは。小室圭さんは秋篠宮文仁親王の長女である眞子様との婚約を発表したものの、その後スキャンダルにより母親の金銭トラブルが発覚しました。国民から大きくバッシングを受け、小室さんと眞子様の婚約は泥沼化してしまっています。今回はその経緯を追っていきます。
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