1分でわかる小保方晴子
小保方晴子が起こしたSTAP細胞騒動とは
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万能細胞STAP細胞を発見した小保方晴子
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発表した論文に多くの不正が見つかる
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理化学研究所を退職、博士号も剥奪
小保方晴子の経歴と生い立ち
(画像:写真AC)
小保方晴子さんは生命や再生医療に興味を持ち幼いころから研究者を志していました。 世紀の大発見とされたSTAP細胞でしたが論文の不正が次々に発覚します。不正発覚は大きな騒動となり小保方は当時ユニットリーダーとして勤めていた理化学研究所を退職し博士号も剥奪されました。 一時は時の人・理系女性の星として持ち上げられた彼女の生い立ちとはどのようなものだったのでしょうか? そして理系女性の星から一転、嘘つきとしてマスコミや世間から批判の的となっていった経緯についても紹介します。
生い立ち
小保方晴子は1983年生まれで千葉県の出身です。公立の中学校を卒業し、東邦大学付属東邦高等学校に入学し卒業後OA入試で早稲田大学理工学部応用化学科に入学しています。 小保方家は父は商社マン、母は大学で教鞭をとっており近所でも有名なインテリ一家で育った彼女は上昇志向の強い子どもだったようです。 幼いころから研究者を目指し中学の読書感想文にはのちの研究に繫がる生命や再生医療に関しての記述も見られています。
大学卒業後様々な研修室で細胞の研究を行なった
早稲田大学を卒業し大学院に進学した小保方晴子は東京女子医科大学先端生命科学研究所の研修生となり、細胞をシート状にして生物の組織の改善に役立てる研究を行うことになります。 大学時代の微生物から再生医療へと研究分野を変えた小保方晴子は日本学実振興会特別研究員に選ばれるなど高い評価を得るようになりました。ハーバード大学に短期留学もしています。 学卒業後数回に渡り論文発表の機会を得るも却下・撤回され、小保方晴子の論文が世に出ることはありませんでした。
STAP細胞の論文がネイチャーに掲載され女性研究者として注目を浴びた
研究に取り組む中で小保方晴子は細胞の多様性の検証に力を注ぐようになります。 理化学研究所のチームリーダー若山照彦の協力を得て小保方晴子はある日、人の操作(刺激)によってどんな細胞にもなれる万能細胞を発見したのです。 その細胞をSTAP細胞と名付け2014年1月末、小保方晴子を筆頭筆者としてネイチャー誌に論文が発表されると彼女は一躍ノーベル賞間違い無しの女性研究者として注目されることとなりました。
論文の盗用などの不正が取り上げられ批判を受けた
時の人・理系女性の星と騒がれた小保方晴子への疑惑がSTAP細胞の論文発表後すぐに発覚します。様々な不正があるとされ理化学研究所並びにネイチャー誌調査を始めることになりました。 ネイチャー誌は発表から約半年後の7月にSTAP細胞論文を撤回しています。9月にはハーバード大のグループなどが計133回の再現実験を行ったが全てでSTAP細胞を作れなかったと発表しました。 また、理化学研究所もSTAP細胞はES細胞が由来だったと報告をまとめています。
STAP細胞騒動の後の小保方晴子
(画像:写真AC)
STAP細胞騒動は世紀の大発見ともてはやされたこともあり注目され大きな騒動となりました。騒動は幼いころからの夢を叶え研究者になることが出来た小保方晴子の運命を大きく変えることになります。 人の為になる研究がしたいと語っていた小保方晴子はSTAP細胞騒動後のどのような道を歩んでいるのでしょうか?
博士論文にも不正が発覚し博士号の取り消し
小保方晴子の論文に対する疑惑はSTAP細胞論文だけに留まらず博士論文にも及びました。早稲田大学の調査結果で小保方晴子の博士論文はアメメリカ国立衛生研究所のサイトからのコピーや画像の流用も見られ、他の論文からの盗用も認められたとされています。 早稲田大学は小保方晴子の博士号の取り消しを決めましたが小保方晴子が再教育・指導を受け、論文を再提出し博士論文にふさわしいと判断出来れば博士号の維持は可能であるとしていました。 しかし、1年の猶予期間があったにも関わらず小保方晴子はそれを行わず2015年博士号は取り消されています。