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保坂祐二は竹島問題に独自の見解をもつ韓国人。経歴や思想・主張に迫る。

もくじ

保坂祐二とはどのような人物か

保坂祐二とは

  • 日経韓国人の政治学者
  • 「竹島問題」と「慰安婦問題」に独自の見解
  • 文在寅韓国大統領の側近

保坂祐二氏は日韓問題を研究している日経韓国人の政治学者であり2003年には韓国籍を取得し、現在は韓国の世宗大学校教授であるとともに文在寅韓国大統領の側近として活躍しています。 とりわけ、「竹島問題」と「慰安婦問題」については韓国側に傾注した見解を持っていますが、元日本人であることも手伝って韓国では絶大な人気を誇っています。

保坂祐二の経歴

(画像:Unsplash

保坂祐二氏は1956年に東京で生まれ東京大学工学部に進学します。在学中に「明成皇后殺人事件」に興味を持ち大学卒業後には韓国に渡り、政治学において政治博士号を取得しました。 その後、韓国大統領となる在文寅の絶大な信頼を得ることになりますが、保坂氏がどういった経緯で日韓問題に関する第一人者になっていったのでしょうか。

 

東京大学から高麗大学校に編入

東京大学部工学部在籍時に「明成皇后殺人事件」に興味を抱いた保坂祐二氏は、なぜ日本が韓国を手中に収めようとしたのかを学ぶべく高麗大学校に編入学しました。 高麗大学校は民間の韓国人によって1946年に設立された私立大学です。「民族高大」を掲げ、財界だけでなくスポーツ界にも多くの人材を輩出しています。 保坂氏は高麗大学校では政治外交学科3学年に編入します。1年後には政治外交学科大学院に進学し、その後「日本帝国主義の民族同化政策」の研究が認められ政治博士号を取得しました。

世宗大学校の教授となった

保坂祐二氏は高麗大学校政治外交学科大学院で政治博士号を取得すると、1998年には韓国にある世宗大学校に招かれて教員になりました。 世宗大学は1940年に設立され、大学校に昇格したのは1987年です。日韓問題に独自の見解をもつ保坂氏を教員として招き入れることで、大学校の知名度を上げることも目的の一つだったと考えられます。 ここで保坂氏は主に竹島の領土について研究を重ねることとなり、後に世宗大学校に設立される独島総合研究所の所長に就任することになります。

国籍を日本から韓国に変更

世宗大学で竹島の研究に没頭していた保坂祐二氏ですが、研究を重ねるにつれ自身の「国籍」について考えるようになり、2003年には韓国国籍に変更しました。 日本国籍を外国籍に変更する場合、日本では国籍法に基づいて手続きを進めていきますが、比較的簡単に変更することができます。 一方韓国国籍に変更する場合、一定額の資産を必要とするなどハードルは高くなりますが、保坂氏は日系韓国人として1988年から韓国に暮らし、さまざまな研究成果も発表してたことでスムーズに変更されました。

日本と韓国の問題、特に竹島の問題について疑問を呈していた

保坂祐二氏は「日本がなぜ韓国を併用しようとしたのか」を学ぶにつれ、特に竹島問題における日本の主張について疑問を呈していました そこで、保坂氏はメディアや著書などを通じて、竹島は韓国の領土であることを主張し続けます。とりわけ2009年に出版した「我が歴史独島ー韓日関係史から見た独島」は韓国刊行物倫理委員会からも高い評価を受けます。 こうして保坂氏は日本国内での知名度は高くないものの、韓国では非常に名前が知られる存在となっていきました。

 

保坂祐二は韓国国籍に変更後も日本名を名乗った

(画像:Unsplash

保坂祐二氏は2003年に帰化し韓国国籍に変更していますが、韓国名は名乗らず日本名をそのまま使い続けています。 保坂氏は敢えて「元日本人」として竹島が韓国領であることを主張する方がインパクトが強くなると考えます。 その思惑は見事に的中し、韓国において保坂氏は多くのテレビ番組に出演したり、著書を出版しています。その内容もさることながら「最も有名な元日本人」として注目を集めるようになりました。

文在寅の反日ブレーンとして活躍

(画像:Unsplash

文在寅韓国大統領といえば、反日感情を強く持っていることで知られています。彼が大統領になってから日韓関係はぎくしゃくしているのは周知の事実です。 その文在寅韓国大統領が自らのブレーンに引き入れたのが、元日本人でありながら韓国の正当性を声高に主張する保坂祐二氏です。 韓国では保坂氏が韓国に帰化していることを知らない人も多く、日本人が日本を批判している姿は非常にインパクトがあり、その点でも文在寅韓国大統領は保坂氏を高く評価しています。

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