1分でわかる福田和子の人物像
福田和子とは
-
「松山ホステス殺人事件」の犯人
-
15年に及ぶ逃亡生活の後逮捕
-
無期懲役が確定するも刑務所内で病死
福田和子の来歴
松山ホステス殺人事件の犯人である福田和子は逮捕までの15年間に幾度も美容整形を繰り返し、時として和菓子店の内縁の後になるなど、大胆かつ周到な逃亡生活を続けてきました。 犯罪史においても類をみない魔性の女として知られる一方で、若くして収監された松山刑務所では強姦被害に遭うなどの過去を持つ、福田和子の来歴について紹介します。
愛媛県松山市で出生
福田和子は1948年に愛媛県松山市で出生しますが、両親が離婚したことを契機に母親に連れられ愛媛県川之江市(現在の四国中央市)に移り住みます。 売春宿を経営して生計を立てていた和子の母親は程なく来島の漁師と再婚しますが、島特有の風土・気質に馴染めず福田和子を連れて愛媛県今治市に移り住むことになりました。 その後、高校生になった福田和子は交際中の恋人の事故死に大きなショックを受け、3年生の1学期に中退してしまうのです。
松山刑務所事件の被害者
18歳となった福田和子はタイル工の男性と同棲生活を始めますが、生活が困窮していたのか国税局長宅に強盗に入り逮捕され、松山刑務所に収監されます。 ここでは受刑者である暴力団幹部が看守を買収して牛耳っており、女性受刑者に強姦を繰り返す「松山刑務所事件」が起こっていましたが、福田和子もその被害に遭ってしまうのです。 その後、福田和子は高松刑務所に移送されますが、ここでも強姦被害に遭っており、これらの辛い経験がトラウマとなり、その後の人格形成に大きな影響を与えたことは間違いありません。
松山ホステス殺害事件を起こし、15年間逃走
刑を終えた福田和子は松山市内で結婚して4人の子供を授かりますが、同時に市内のキャバレーでホステスとして働いていました。 福田和子はそこで知り合った男性と愛人関係になりますが、見栄っ張りの福田和子は借金を重ね、やがて返済ができなくなるほど追い込まれます。 福田和子は同じ職場に勤めるホステスに借金を申し込みますが、あっさりと断られてしまい、逆上した福田和子は松山ホステス殺害事件を起こし、15年にわたる逃亡生活が始まりました。
くも膜下出血で収監中に死亡
15年にも及ぶ逃亡生活を続けていた福田和子ですが、時効を目前に控えた1997年2月に福井市内で逮捕されます。 1999年には松山地裁で無期懲役が言い渡されたため控訴しますが、2000年に松山高裁がこれを棄却、さらに2003年には最高裁も上告を棄却し無期懲役が確定しました。 その後福田和子は和歌山刑務所に収監されますが、2005年2月に刑務所内での作業中にくも膜下出血で倒れ、そのまま57歳の若さで死亡しました。
松山ホステス殺人事件の犯行
借金を断られた福田和子は同僚のホステスを殺害してしまいますが、美容整形を繰り返しながら15年にも及ぶ長期間にわたる逃亡生活を続けます。 その間には和菓子屋の内縁の妻になるなど、通常では考えられない大胆な行動を起こしていました。
被害者は福田和子と同じ職場でホステスとして働いていた
松山ホステス殺人事件の被害者となった女性は福田和子と同じ高級クラブに働いていましたが、そこは松山市内でも1、2を争う高級店でした。 被害者となった女性はそこでNo1の人気を誇っており、常連客も多くついていたことから羽振りも良く、ホステス仲間からも一目を置かれる存在でした。 福田和子は主婦であることを隠して同じ職場で働いていましたが見栄ばかり張っていたため、やがてお金に困るようになり、この女性の自宅に押し掛けて借金の相談を持ち掛けました。