1分でわかるベルギーの元国王アルベール2世の隠し子問題
裁判沙汰となっていたベルギー元国王アルベール2世の隠し子騒動が決着
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元ベルギー国王アルベール2世に隠し子がいたことが発覚した
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アルベール2世は一貫して否定し、DNA鑑定を拒否していた
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裁判の結果、不倫の末の隠し子であることが明らかになった
アルベール2世の隠し子問題
ベルギー元国王アルベール2世は2013年に退位しましたが、この時に退位した理由の1つが隠し子騒動から逃れるためではないかと言われています。その後7年間にわたる訴訟にまで発展した、アルベール2世の隠し子騒動とはどういったものだったのでしょうか?
デルフィーヌ・ボエルさんがアルベール2世に対し訴訟を起こす
アルベール2世に不倫関係により生まれた非嫡出子がいるという事実は、ベルギー国内では多くの人が知る秘密でした。 このことが大々的に暴かれたのは、アルベール2世が退位した後に行われたシベル・ド・セリス=ロンシャン男爵夫人のインタビューでした。彼女は自身の子で彫刻家として活動しているデルフィーヌ・ボエルさんが、アルベール2世に認知されていない非嫡出子であることを明らかにしました。 しかしベルギーでは国王であるアルベール2世には訴訟を起こされないという不訴追特権があり認知を強制するための訴訟が起こすことができませんでした。そしてアルベール2世の国王退位に伴って特権が失効となったことから、デルフィーヌ・ボエルさんは2013年に認知を求める訴訟を起こしました。
アルベール2世のDNA鑑定に対する非協力的な態度
デルフィーヌ・ボエルさんの認知を巡る訴訟で、アルベール2世は一貫して非協力的な姿勢をとり続けました。2018年11月、アルベール2世は裁判所からDNA鑑定を指示されましたが、これを断固拒否しています。 2019年5月、裁判所はアルベール2世に対して、DNA鑑定が行われるまでデルフィーヌ・ボエルさんに罰金を支払うよう命じる事態にまで発展しました。罰金は1日あたり日本円で約60万円でした。 終始頑なな態度だったアルベール2世ですが、この罰金命令が下ってからようやくDNA鑑定に応じました。
裁判所が父子関係を認めた
DNA鑑定ではアルベール2世のDNAの検査結果と、デルフィーヌ・ボエルさんの法的な父親ジャック・ボエルさんのDNAの検査結果を照合して行われました。 その結果、科学的にジャック・ボエルさんは血縁上の父親でないことが明らかとなりました。アルベール2世とデルフィーヌ・ボエルさんのDNAが一致するかは、機密情報として非公開となっています。 公開情報は一方だけですが、裁判所はこの結果から、アルベール2世がデルフィーヌ・ボエルさんの父親がであると認定しています。
W不倫であったことが判明
シベル・ド・セリス=ロンシャン男爵夫人の告白は二重の意味で衝撃的でした。アルベール2世に隠し子がいることがはっきりした上に、W不倫だったということです。 デルフィーヌ・ボエルさんが生まれたのは1968年でした。アルベール2世(当時王子)はすでにパオラ妃と、そしてシベル・ド・セリス=ロンシャン男爵夫人もジャック・ボレルさんと結婚していました。 シベル・ド・セリス=ロンシャン男爵夫人は、当時を振り返って、自身が子供を産めない体質だったと思い込んでいたと語っています。
アルベール2世の隠し子が発覚したことによる影響
裁判の結果を受けて、アルベール2世はデルフィーヌ・ボエルさんを正式に実子として認知しました。退位したとはいえ元国王が起こした不祥事であることから、ベルギー国内では混乱が起こるのではないかと見られています。 遺産相続問題やカトリック信者の多い国ということもあり国民の反応などに注目です。
ベルギー王室の品位の下落
アルベール2世が不倫を行ったのは1968年で、まだ王位を継承する前のことでした。 アルベール2世がは当時まだ王子だったとはいえ王族には変わりなく、さらにベルギー王として在位したことも考え合わせると、王室の品位に関わる問題となります。 ベルギー王室は遅くとも1990年代後半にはアルベール2世に隠し子がいることを把握しており、隠蔽工作を行っていた模様です。