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滝川事件で弾圧された人々。戦時中の言論弾圧下で京大では何が起きたのか。

もくじ

1分でわかる滝川事件

  • 言論統制の一環で京大教授が処分された事件
  • 軍国主義に染まる当時の世相が影響
  • 教授の処分を主導した鳩山一郎は戦後公職追放

京大事件とも言われる滝川事件の概要

滝川事件は京大事件ともいわれています。事件の舞台が旧京都帝国大学だったからです。当時我が国が軍国主義に染まっていく中で自由な学問や言論が強力に弾圧されました。滝川事件はそのような時代背景の中で、本来認められるはずの大学自治の象徴である教授職の人事が国家によって左右されたことに対して、大学と国家が対立した事件です。

1933年に京都帝国大学で起きた思想弾圧事件

事件の発端とされる出来事は二つありました。一つは当時京都帝国大学法学部の瀧川幸辰教授が1932年10月中央大学において行ったトルストイの『復活』を題材にした講演です。この講演を聞いた当時の検事総長が講演内容は無政府主義を助長する危険思想であるとして、政府に問題意識を伝えました。 もう一つは折しも当時取り締まりの対象だった共産主義者として逮捕された者の中に判事らの司法関係者がいたことです。瀧川幸辰教授ら赤化した大学教授に司法関係者の共産主義化の要因があるとして、弾圧の矛先が一部の大学教授に向けられていきました。

同大学法学部教授・瀧川幸辰の著書「刑法読本」が危険思想だと判断される

司法関係者の赤化と瀧川幸辰教授ら一部大学教授の思想が結びつけられ、これらの教授は赤化教授と呼ばれるようになりました。この問題は当時の帝国議会でも取り上げられるようになり、瀧川幸辰教授らの追放機運が盛り上がっていきました。 特に瀧川幸辰教授執筆による『刑法講義』と『刑法読本』は危険思想に基づくものとして、内務省は出版法に基づいてこれらを発禁処分としました。

文部省・鳩山一郎が瀧川教授を休職処分に

1933年2月の帝国議会におけるいわゆる赤化教授問題について質問された当時の鳩山一郎文部大臣は、しかるべき処置を行う旨の答弁をしています。この時点で国(文部省)は既に瀧川幸辰教授の処分を決定していたものと考えられます。 文部省から京大に対しては内々に瀧川幸辰教授の処分が打診されていたようですが、正式に京大に処分の要請が出されたのは1933年4月になってからでした。京大これに抵抗し鳩山一郎文部大臣に善処を求め交渉しますが、国(文部省)が当初の決定を覆すことはなく、1933年5月正式に閣議に付され瀧川幸辰教授の休職が発令されました。

同大学の全教官や学生らが抗議

京大法学部の教授達は大学の自治が犯されたと反発し、教授一同が辞表を提出しました。彼らは同時に学生大会にも出席して辞表を提出した旨を告げました。これを受けて法学部では教授以外の助教授、講師、助手らも一斉に大学に辞表を提出するに至り、学生達も抗議の声をあげました。 学生達の抗議活動は京大の法学部以外にも進展し、やがて東大などの他大学にも波及していきましたが、京大における法学部以外の教官たちがこれに呼応することはありませんでした。

滝川事件の背景

滝川事件の背景には当時の日本における思想統制の流れがありました。ひたひたと迫り来る軍国主義の足音のもとに、国家にとって邪魔になる思想を排除しなくてはいけないという基本的な国家の意思がうかがわれます。

思想統制下の情勢

瀧川幸辰教授は当時の治安維持法を痛烈に批判していました。治安維持法は何度か改訂が加えられ、国家のために個人の基本的人権が大きく制限される運用がなされるようになっていました。 瀧川幸辰教授の刑法論は罪刑法定主義に基づくもので、罪人の人権をも認めるべきとしていましたので、到底当時の治安維持法を運用する当局の意向に沿うものではありませんでした。瀧川幸辰教授は治安維持法を極めて不合理な法律と一括していました。

言語弾圧の対象の拡大の契機に

滝川事件は共産主義者を追放するために起こった事件というよりも、当時の国家の方針に反対する言論を排除し、国論を一つにまとめるために起こった事件と捉えることが適切です。 文部省による瀧川幸辰教授に対する処分理由は必ずしも明確になっておらず、共産主義者排除の名のもとに言論を統制しようとする国家の苦しい胸の内がうかがわれます。暗い世情の中でもかろうじて残されていた大学自治という自由な領域がこうして潰されていきました。

滝川事件のその後

滝川事件に伴う京大教官の辞職はその後紆余曲折し、他大学に移った教官と京大に戻った教官に分裂しました。一説ではこの事件で漁夫の利を得たのは安い給与で優秀な教授を獲得した立命館大学ではないかとされています。 戦後GHQの方針のもとで瀧川幸辰教授は京大に復職し法学部教授や総長を歴任しています。一方瀧川幸辰教授追放をリードした鳩山一郎はGHQによって公職を追放されており、公職追放の要因の一つが滝川事件であったとされています。

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