多くの陰謀論が存在するタイタニック号
タイタニック号をめぐる疑惑
-
絶対に沈まないといわれたタイタニック号の沈没
-
沈没したのはタイタニック号とすり替えられたオリンピック号なのか
-
タイタニック号の海難事故を教訓とした安全対策
タイタニック号の沈没
(画像:Unsplash)
1997年に公開されたジェームズキャメロン監督の「タイタニック」は今でも歴代映画興行収入ランキング第三位の特大ヒット映画となっています。「世界一安全で決して沈まない豪華客船」といわれたタイタニック号の沈没について詳しく振り返ってみましょう。
処女航海で氷山にぶつかり沈没
タイタニック号は全長269m、4万6,328総トンで、すべてにおいて世界最大といわれました。オーケストラやブラスバンドを同乗させ、船内プールやジムを備えた当時最新の豪華客船でした。 1912年4月10日イギリス中部のサウサンプトン港よりニューヨークに向けて、人々の歓声を浴びながら処女航海に出ます。 その4日後の午後11時40分カナダのニューファンドランド沖で氷山に衝突し、翌15日午前2時18分に北大西洋の海へと沈没しました。衝突からわずか2時間40分の出来事でした。
約1500名が死亡する海難事故
タイタニック号の処女航海は2,224名の乗員のうち1,513名が死亡するという、当時世界で最も大きな海難事故となってしまいました。 死者が増えてしまった原因の一つは救命ボートの数が足りなかったことがあげられます。当初は48艘の救命ボートを積む設計でしたが、甲板が雑然として見栄えがよくないという理由から最終的に20艘しか積まれませんでした。 真夜中の北大西洋の海水はマイナス2度前後といわれ、海に取り残されたほとんどの人は低体温症や心臓麻痺が原因で亡くなりました。
様々な憶測を呼ぶ姉妹船のオリンピック号
(画像:Unsplash)
旅客機登場のおよそ30年前となる1900年代初頭大西洋航路はかなり活況でした。 イギリスの大手海運会社であるホワイトスターライン社は他社に先駆けて客船建造の計画を進めており、ドイツやアメリカ、同じイギリスのキュナードライン社とし烈な競争を繰り広げていきます。 そこで速力ではなく豪華さで勝る定期船を作ろうとオリンピック号、タイタニック号、ブリタニック号の姉妹船の建造が計画されました。タイタニック号より1年先駆けて就航したオリンピック号が後に様々な憶測を呼ぶこととなります。
沈没したのはオリンピック号?
沈没したのはタイタニック号ではなく、実は姉妹船であるオリンピック号だったのではないかという疑惑があります。その説を提唱したイギリスのドキュメンタリーも放送され大きな反響を呼びました。
タイタニック号とのすり替え疑惑
このオリンピック号とタイタニック号は外観や内装など見た目も大きさもうり二つでした。しかし船首の窓の数と船内のプロムナードの有無からすり替え疑惑が浮上します。 造船中に撮影したタイタニック号の写真では船首の窓の数は14でしたが、処女航海時の写真では16の窓がありオリンピック号の窓の数と同じでした。 また図面によるとタイタニック号は客室と外壁の間がないにも関わらず、沈んだ船の映像にはそこにプロムナードと呼ばれる廊下が映っており、まるでオリンピック号の内部のようだったからです。
何度か事故を起こしていたオリンピック号
タイタニック号を造船している間、先に運行していたオリンピック号は2度の事故を起こしました。 1度目は1911年9月にイギリス海軍の軍艦ホークと接触し船尾が大破しました。この事故はイギリス海軍の査問会においてオリンピック号のミスとされ、多額の負債を抱えることとなります。 2度目は1912年2月の大西洋を航海中に海中の障害物に乗り上げてしまい長期修理を余儀なくされます。この2度の事故によりオリンピック号の耐久性能が下がった上に、少額の保険しかかけられなくなりました。
多くの陰謀論が存在するタイタニック号
- 絶対に沈まないといわれたタイタニック号の沈没
- 沈没したのはタイタニック号とすり替えられたオリンピック号なのか
- タイタニック号の海難事故を教訓とした安全対策
タイタニック号の沈没

1997年に公開されたジェームズキャメロン監督の「タイタニック」は今でも歴代映画興行収入ランキング第三位の特大ヒット映画となっています。「世界一安全で決して沈まない豪華客船」といわれたタイタニック号の沈没について詳しく振り返ってみましょう。
処女航海で氷山にぶつかり沈没
タイタニック号は全長269m、4万6,328総トンで、すべてにおいて世界最大といわれました。オーケストラやブラスバンドを同乗させ、船内プールやジムを備えた当時最新の豪華客船でした。 1912年4月10日イギリス中部のサウサンプトン港よりニューヨークに向けて、人々の歓声を浴びながら処女航海に出ます。 その4日後の午後11時40分カナダのニューファンドランド沖で氷山に衝突し、翌15日午前2時18分に北大西洋の海へと沈没しました。衝突からわずか2時間40分の出来事でした。
約1500名が死亡する海難事故
タイタニック号の処女航海は2,224名の乗員のうち1,513名が死亡するという、当時世界で最も大きな海難事故となってしまいました。 死者が増えてしまった原因の一つは救命ボートの数が足りなかったことがあげられます。当初は48艘の救命ボートを積む設計でしたが、甲板が雑然として見栄えがよくないという理由から最終的に20艘しか積まれませんでした。 真夜中の北大西洋の海水はマイナス2度前後といわれ、海に取り残されたほとんどの人は低体温症や心臓麻痺が原因で亡くなりました。
様々な憶測を呼ぶ姉妹船のオリンピック号

旅客機登場のおよそ30年前となる1900年代初頭大西洋航路はかなり活況でした。 イギリスの大手海運会社であるホワイトスターライン社は他社に先駆けて客船建造の計画を進めており、ドイツやアメリカ、同じイギリスのキュナードライン社とし烈な競争を繰り広げていきます。 そこで速力ではなく豪華さで勝る定期船を作ろうとオリンピック号、タイタニック号、ブリタニック号の姉妹船の建造が計画されました。タイタニック号より1年先駆けて就航したオリンピック号が後に様々な憶測を呼ぶこととなります。
沈没したのはオリンピック号?
沈没したのはタイタニック号ではなく、実は姉妹船であるオリンピック号だったのではないかという疑惑があります。その説を提唱したイギリスのドキュメンタリーも放送され大きな反響を呼びました。
タイタニック号とのすり替え疑惑
このオリンピック号とタイタニック号は外観や内装など見た目も大きさもうり二つでした。しかし船首の窓の数と船内のプロムナードの有無からすり替え疑惑が浮上します。 造船中に撮影したタイタニック号の写真では船首の窓の数は14でしたが、処女航海時の写真では16の窓がありオリンピック号の窓の数と同じでした。 また図面によるとタイタニック号は客室と外壁の間がないにも関わらず、沈んだ船の映像にはそこにプロムナードと呼ばれる廊下が映っており、まるでオリンピック号の内部のようだったからです。
何度か事故を起こしていたオリンピック号
タイタニック号を造船している間、先に運行していたオリンピック号は2度の事故を起こしました。 1度目は1911年9月にイギリス海軍の軍艦ホークと接触し船尾が大破しました。この事故はイギリス海軍の査問会においてオリンピック号のミスとされ、多額の負債を抱えることとなります。 2度目は1912年2月の大西洋を航海中に海中の障害物に乗り上げてしまい長期修理を余儀なくされます。この2度の事故によりオリンピック号の耐久性能が下がった上に、少額の保険しかかけられなくなりました。
タイタニック号の沈没は決められていたのか?
なぜタイタニック号はオリンピック号とすり替えられる必要があったのでしょうか。最初から意図的に氷山にぶつかって沈没させる目論見があったのではないかとする陰謀説があります。それを裏付ける二つの事柄についてみてみましょう。
不自然なキャンセル
記念すべきタイタニック号の処女航海にはモルガン財閥の創始者で多額の出資をし実質的なオーナーであったジョンモルガンも来賓として乗船する予定でした。 しかし出航の直前に病気を理由に乗船をキャンセルします。その上ジョンモルガンの知人ら50人以上も同時に相次いでキャンセルしました。 しかも病気だったはずのジョンモルガンは同時期に北アフリカに旅行中だったことが発覚しており、あらかじめタイタニック号に何か起こることを知っていたのではないかといわれています。
保険金が目的か
オリンピック号のすり替え疑惑や直前の乗船キャンセルは、タイタニック号の沈没が最初から保険金目的だったのではないかとする疑惑があります。 「絶対に沈まない」といわれていたにも関わらず、出航の1週間前になってタイタニック号には多額の保険がかけられました。 実際のところ沈没後に約250億円の保険金が支払われており、オリンピック号の事故で抱えた巨額の負債も返済できたといわれています。
予言されていた
タイタニック号の事故が起きる約14年前に「タイタン号の遭難」という小説が出されており、その小説内ではタイタン号という客船の沈没事故を描いています。 内容がタイタニック号の事件と酷似していることやタイタニック号とタイタン号の名前がにていることから予言されていたのではないかと話題になりました。 小説と事故の実際の関係は未だ明らかになっていません。 しかし、この出来事を完全な偶然と考えることは無理がありそうで何らかの関係性があったのではないかという見方をする人々が多くなっています。
タイタニック沈没によって改善された安全

世界中に衝撃を与えたタイタニック号の沈没は船体の構造だけでなく、救命ボートや無線の設備上の問題、流氷の監視など様々な問題が連鎖して発生した事故であるとされました。タイタニック号の海難事故以後、それまで各国内のみで運用していた規定を国際的に見直す気運が高まりました。
救助用ボート
1914年には海上における人命の安全のための国際条約としてSOLAS(ソーラス)が制定されました。これには救助用ボートの積載数や人員配置に対しての取り決めがなされています。 タイタニック号は救助用ボートの数が足りなかっただけでなく、クルー達は緊急時の訓練も受けずに救助用ボートの取り扱いも不適切で段取りが悪かったためです。 知識のないクルーはかなりの空席がある状態で救助用ボートを使い、もし定員通りに乗船させていればあと500人の人命を救えたのではないかともいわれます。
氷山への対策
1913年には国際海氷パトロールが組織され、日々の氷山分析や危険な氷山についての最新情報を船長たちに伝える取組みがなされています。 タイタニック号の事故当日は漂流している氷山が多く、他の船舶から氷山警告の無線が6回入ったにも関わらず事故を回避できなかった教訓を活かしています。 SOLAS(ソーラス)や国際海氷パトロールはその後何度も改正を重ねながら、今日も海上の安全を守っています。
数十年後に消える可能性があるタイタニック号
2019年8月に海底のタイタニック号を調査したところ、船体の劣化がかなり進んでいることがわかりました。 鉄や硫黄を食べるバクテリアや海流、塩水などが影響し、2030年までには船体が完全に消滅する可能性があると科学者は指摘しています。 水深3,650mの海底に沈むタイタニック号は果たしてオリンピック号だったのでしょうか。100年以上が経ち跡形もなく自然界へと戻っていく日は間近です。