\ 琉球風水志 シウマの占いページはこちら /

ロッキード事件は大規模な贈収賄事件。田中角栄も関与した事件の謎の不審死とは?

もくじ

1分でわかるロッキード事件

  • 内閣総理大臣の田中角栄も関与した贈収賄事件
  • 多くの逮捕者を出す結果に
  • 謎の死を遂げた事件関係者も

ロッキード事件とは

1976年2月に発覚したロッキード事件は、現役の内閣総理大臣が関わった一大スキャンダルです。アメリカのロッキード社が製造していたトライスターという航空機を日本に導入する見返りとして、田中角栄氏が5億円を受け取った疑惑が浮上しました。 この規模の汚職事件は、日本の戦後史だけでなく世界的にみても例がないほどの規模です。

ロッキード事件が明らかになった原因

1979年2月4日、多国籍企業小委員会(別名チャーチ員会)ではロッキード社副社長を召喚した公聴会をが行われていました。その場で自社の航空機を売り込むために、ロッキード社が日本に30億円以上にのぼるお金を流した経緯が記された極秘書類が領収書と共に誤って配布されたのです。 その後ロッキード社の当時の副会長が2月6日に「丸紅の専務を通して政府高官にお金を渡した」と明言したことで、日本に飛び火しました。

ロッキード事件の関係者達

ロッキード社は丸紅を通じて、総額30億円にのぼる賄賂を複数の日本政府関係者にバラまきました。この戦後最大の疑獄事件には現役の内閣総理大臣をはじめ、多数の政治家や会社役員が関わっています。 ここではロッキード事件の関係者について説明します。

田中角栄

ロッキード事件関係者を語るうえで真っ先に名前が挙がるのが、当時現職の内閣総理大臣だった田中角栄氏です。田中角栄は1972年に自由民主党総裁となり、内閣総理大臣に就任しました。100本以上の議員立法を制定した他、日本各地に高速道路を整備するなど様々な功績を上げた政治家です。 しかし1972年にアメリカのニクソン大統領と会談を行った際、ロッキード社の航空機を導入する約束をした御礼として5億円を受け取ったとして後に逮捕されました。

児玉誉士夫

児玉誉士夫はロッキード事件の際、コンサルタント料の名目で21億円にのぼる賄賂を受け取ったとされています。 1911年に福島県で生まれた 児玉誉士夫は右翼運動家として知られていますが、「政界の黒幕」として政治家はもちろんCIA・GHQ・暴力団にも強いパイプがあった人物でもあります。ロッキード事件発覚直後にその名前が上がり、疑獄事件の中心人物と目されました。

丸紅関係者

ロッキード事件当時、日本代理店を務めていたのが丸紅です。総合商社として日本3位だった丸紅が、日本の政府高官とロッキード社との橋渡し役となりました。 田中角栄との交渉にあたったのは、当時の丸紅社長である檜山廣と取締役機械第一本部長の大久保利春でした。この2人は田中氏の自宅を訪れ、全日空にトライスター購入を働きかけるよう依頼すると共に賄賂を贈る約束をしました。

全日空関係者

当時アメリカは日本に対し、貿易赤字削減を迫っていました。その対策の一環として、全日空並びに日本航空に対し3億円以上にもなる航空機を購入することを求めていたのです。 購入先として名前が挙がっていたダグラス社を差し置き、全日空はロッキード社からトライスターを購入することを決定します。この背景には、全日空の大株主の働きかけがありました。その後全日空はロッキード社に3000万円の資金を用意させ、日本の政治家6名に謝礼金の名目で賄賂を渡しました。

小佐野賢治

全日空の大株主として働きかけを行ったのが小佐野賢治氏です。国際貿易の創業者でもある小佐野は、田中角栄の友人であると同時にスポンサーでもありました。 そのため1976年2月に衆議院予算員会にロッキード事件における証人として全日空社長若狭得治などと共に召喚されますが、「記憶にございません」「手が震える」などと明言を避け後に偽証罪に問われました。

ロッキード事件の判決

ロッキード事件では1976年7月以降、内閣総理大臣である田中角栄をはじめ、丸紅では前会長である檜山廣・前専務である大久保利春、全日空では専務である澤雄次・取締役である藤原亨一など多数の逮捕者が出ました。 受託増賄と外為法違反に問われた田中角栄に対しては、1983年10月に懲役4年・追徴金5億円という有罪判決が下されました。その後に控訴・上告を行いましたが、田中角栄が1993年に75歳で亡くなってしまったため公訴が棄却されています。 しかし田中角栄と共に起訴された元秘書の上告が棄却されたため、1995年2月に罪は事実であると確定しています。

ロッキード事件の関係者が不審死

ロッキード事件では16名もの関係者が逮捕されましたが、関わっていたのはその当事者だけではありません。そしてロッキード事件の関係者の中に、不審死した人が何人もいます。1976年2月14日、ロッキード事件を早くから取材していた日本経済新聞記者だった高松康夫が自宅で急死しています。 同年6月9日には児玉誉士夫容疑者の通訳兼秘書だった福田太郎が、東京女子医大で亡くなりました。検察の取り調べに対し、立件につながる重要証言した後で亡くなったことで裁判にも影響が出たとされています。 また同年8月2日には田中角栄の私設秘書兼運転手だった笠原正則が、ホースで車に排ガスを引き込んで自殺しています。

ロッキード事件の陰謀説

ロッキード事件には、陰謀説があります。日本でも石原慎太郎氏が、アメリカ陰謀説を主張したことを覚えている人も多いことでしょう。 陰謀説ではロッキード社が日本に売りたかったのはトライスターではなく、対潜哨戒機P3Cだったと論じています。当時の日本は「PXL作戦」という、対潜哨戒機を国産する計画が進んでいました。その研究のためにP3Cを利用されることを警戒したアメリカは、その販売を拒みます。 しかしソ連の潜水艦は頻出するようになったことで、アメリカは危機感を強めます。そこで日本に対しP3Cを購入すると同時にPXL作戦の中止を求め、その見返りとして賄賂を贈ったのが陰謀説の内容です。

真相は未だ明らかにならず

30億円もの賄賂が日本の政府高官に渡ったにも関わらず、逮捕者が亡くなったこともあって真相が解明されないまま終わった事件でした。 田中角栄は政治家として輝かしい功績を成し遂げる一方、現職の内閣総理大臣でありながら逮捕され内閣総辞職に追い込まれています。こうした疑獄事件が二度と起こらないよう、政治や経済の動きに着目していくことが大事です。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

もくじ
閉じる