1分でわかる三毛別羆事件
- 日本史上最悪の獣害事件
- 7人もの死者を出した
- 死体の状況も悲惨だった
三毛別羆事件の概要

三毛別羆事件は1915年に起こりました。場所は北海道苫前郡苫前村、三毛別六線沢です。事件の内容はヒグマが複数回にわたり民家を襲撃し、開拓民7名もの人が死亡、3名が重傷を負うというものでした。 最後に熊は射殺されましたが、被害の大きさから日本史上最大規模の獣害事件とされています。
1915年北海道の三毛別で起きた熊の獣害事件
事件当時の1915年の三毛別、現在の三渓が事件の舞台です。最初にヒグマが集落に出没したのは11月で、このときヒグマを退治しようと試みましたが、銃弾はかすめただけで仕留め損ねました。 その後太田家の太田三郎さんを皮切りに次々と民家の住民が殺害されました。太田家にヒグマが出没した後、太田三郎さんの通夜でもヒグマは出現しました。 銃を放つとヒグマは驚いて逃亡しましたが、ここでも仕留め損ねています。最終的には山本兵吉さんの弾を受けヒグマは絶命しました。
巨大なエゾヒグマが民家を数回襲う
巨大なエゾヒグマが侵入した民家は全部で10軒以上です。北海道庁に熊害の情報が入り、警察の指揮のもと討伐隊が組織されました。 討伐隊は現代ではおそらく認められないような大胆な作戦を取りました。具体的には被害者の遺体を囮に使い、ヒグマをおびき寄せる作戦を取りました。 しかし結果的にこの作戦は失敗に終わり、その後も民家への侵入は続きました。最後に山本兵吉さんがヒグマを仕留めた場所は山の中でした。
7名が死亡、3名が重傷
最終的にヒグマに7名が殺害され3名が重傷を負いました。死亡したのはいずれも女性と子供で、重傷者の中には59歳の高齢男性も含まれています。 また妊婦が襲われ体内から胎児が引きずり出されて殺されるという残虐な被害もありました。100年以上も前の事件なので惨状や被害者の写真などはありませんが、想像しただけでもひどい光景が目に浮かびます。 襲われた直後は一命を取り留めたものの、後から後遺症で死亡した人もいました。
人食い熊の残酷な行動

人食い熊は人間を撲殺し、別の家では人間を食べ、そして妊婦の腹を裂いて胎児を引きずり出しました。胎児は発見時には息がありましたが、しばらくして死亡しています。 襲われたのは30代の女性が3人、子供が6人、高齢男性が1人です。事件の壮絶さからも想像が付くとおり人食い熊は巨体でした。 巨体過ぎて冬眠する穴を見つけられなかったとも推測されており、冬眠できない焦りから本能的に食料を探そうと気性が荒くなっていた可能性があります。
三毛別羆事件のその後

事件から2年8ヶ月後にヒグマに噛みつかれた後遺症に苦しみながらなくなった方もいます。直接ヒグマの被害に遭った方以外にも心理的な恐怖から村を去った人もいたようです。 事件後どのようなことが起こったのか、その後を見てみましょう。
ヒグマに対する教訓
ヒグマに出会わないのが最善策ですが、三毛別熊事件のように民家にヒグマが現れてしまったら避けようがありません。 ヒグマに遭遇した場合、ヒグマがこちらに気付いていなければゆっくり離れるのが得策です。 襲われた場合はうつ伏せに身を守るのがもっとも生存率を高める方法ですが、三毛別熊事件のようにヒグマが興奮して攻撃してくる場合、人間の力では太刀打ちできません。
生き残りの「大川春義」が有害獣駆除に貢献
大川春義氏は三毛別羆事件当時6歳でした。事件の直接の被害者ではないのですが、自宅が三毛別羆事件の対策本部として使われていたというつながりがあります。 父親から三毛別羆事件の悲惨さを聞かされて育っており、ヒグマの討伐を誓います。大川春義氏は成人後数年間は恐怖心からヒグマを撃つことができなかったものの、32歳の頃に初めてヒグマを仕留めます。 これを皮切りに100頭ものヒグマを仕留め、ヒグマ討伐名人の名をほしいままにしました。
当時を再現した資料館を設立
苫前町郷土資料館には三毛別羆事件を復元した資料館があります。資料館には当時の村の様子を再現した復元模型もあり、資料だけでは伝わらないリアリティがあります。 山奥の森林に囲まれた薄暗い場所でヒグマが人を襲った場所の再現と思うとなおさら恐怖感があります。 訪れる人はスリルを楽しめますが、実際に事件があったこと、犠牲になった方がいることは忘れてはなりません。また資料館にはヒグマのはく製もあります。
三毛別羆事件の原因

三毛別熊事件の原因は大型のヒグマが冬眠する穴を見つけられずに冬眠に失敗し、その結果空腹になり民家に押し入って人間を襲ったといわれてきました。 しかしその後同様の事件が起きていないことからこの説には疑問が呈されています。この説に代わる説としては、森林伐採と内陸部開拓により野生動物と人間の生活範囲が重なったとする考え方があります。 100年以上も前の事件なので正解な原因は今となってはわかりません。
三毛別羆事件のメディア化

三毛別熊事件は日本全体に大きなインパクトを与えると同時に、興行の観点からも目を付けられました。その結果三毛別熊事件は小説、マンガ、テレビ、ラジオ、映画、など各種メディアの題材となっています。
小説・マンガ
吉村昭氏が1982年に発売した「羆嵐」は三毛別熊事件を題材にしています。三毛別熊事件の様子をリアルに描写しており、巨大なヒグマと対峙した人間の恐怖心が伝わってくる内容になっています。 矢口高雄氏の「野性伝説羆風」は三毛別熊事件が題材になっています。悲惨さをリアルに伝えるには、文章だけでなくマンガのように絵があった方がわかりやすいでしょう。 ヒグマが女性や子供に襲い掛かる様子がリアルに描かれています。
テレビ・ラジオ
三毛別熊事件はテレビやラジオでも度々取り上げられており、NHK、フジテレビ、北海道テレビなどで放送された事例があります。 再現VTRがリアルだったためネット上でも反響を呼びました。 誰もが知るような有名番組でも特集が組まれているので、目にしたことのある方も多いかもしれません。ラジオでもテレビ同様に複数の局で三毛別熊事件が伝えられています。
映画
1990年に公開された「リメインズ 美しき勇者たち」は三毛別熊事件を題材にした映画です。監督は千葉真一で主演は真田広之です。 30年ほど前の映画ですが有名な映画なのでご存じの方もいるかもしれません。映画の設定ではヒグマは女のみを食らうとされていますが、実際にヒグマが女性のみを狙っていたのかは不明です。 また題材自体は三毛別熊事件なのですが、面白くするために一部フィクションも含まれています。
まとめ
三毛別熊事件は日本史上最大級の獣害です。被害の大きさから人々に恐怖を植え付けただけでなく各種メディアでも取り上げられています。 非常に刺激的な事件だったため大衆の興味を引きつける作品が多く、小説、マンガ、テレビ、ラジオ、映画などで100年以上もの間語り継がれてきました。