1分でわかる三島事件
- 1970年に三島由紀夫が割腹自殺
- 自衛隊に決起を呼びかける
- 国内外で大きな反響を呼び、メディア化
三島事件の概要
「三島事件」とは三島由紀夫がアメリカの占領下で弱体化している祖国を憂い、自衛官に決起を呼びかけたクーデターです。三島由紀夫は陸上自衛隊駐屯地の本館バルコニーでの演説を終えると割腹自殺しました。三島由紀夫が命を賭してまで国民に訴えたかったこととは何だったのでしょうか。
1970年に作家・三島由紀夫が割腹自殺した事件
三島由紀夫は代表作である「花ざかりの森」で作家として高い評価を受けますが、米国支配によって弱体化していく日本の将来を憂う気持ちが萎えることはありませんでした。 1970年11月25日、三島由紀夫は楯の会のメンバーとともに市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自衛隊の決起を呼びかけます。しかし自身の声が隊員に届かないことを知ると割腹自殺を果たし自ら命を絶ちました。
楯の会のメンバー・森田必勝も割腹自殺
三島由紀夫が割腹自殺を果たすと森田必勝は三島由紀夫の首に軍刀を振りおろし介錯を行いました。総督はとどめを刺さすなと森田必勝を説得しましたが、その声は届きませんでした。 三島由紀夫が絶命したことを見届けると、森田必勝も短刀で腹を突き刺し切腹を果たしました。森田必勝の介錯は楯の会のメンバーである古賀浩靖が務めました。
三島事件の経緯
三島由紀夫は日本がアメリカの属国となって弱体化いることに憤りを感じ、日本国憲法を改正するという信念を持っていました。しかし変わらぬ現状に激しい怒りと絶望も同時に感じていました。三島事件は、天才三島由紀夫らしくない凡庸な事件として今も語り継がれています。
陸上自衛隊総監を楯の会メンバー5人で訪問し拘束
三島由紀夫ら5名は陸上自衛隊駐屯地に到着すると応接室に通され、総監の益田兼利に面会しました。 三島由紀夫が楯の会のメンバーを紹介し終えると、総監は三島由紀夫の軍刀に目をやり刀を見せてほしいと言い、刀を鞘から出しひとしきり眺めていました。 総監は「いいものですね」と言って手渡すと、三島由紀夫はメンバーに刀を鞘に納める「カチ」という音を出し古賀浩靖に総督を拘束せよという合図を出します。素早く古賀浩靖が後ろに回り込み猿ぐつわを噛ませました。その間森田必勝らは入り口に机やいすを置いて、幕僚幹部らが入れぬようにしました。
幕僚幹部らに要求書を出す
三島由紀夫らは総監室に押し入ってくる幕僚幹部らを追い出すと、窓越しで説得を続ける幕僚幹部らに刀を示しなが持参した要求書を読むよう廊下に放り投げました。 そして「この要求をのめば総監を解放する」といって、総監に刃物を突き付けました。吉松秀信(ひでのぶ)副総監は要求をのむので総監を解放するよう説得しました。 三島由紀夫は「攻撃や妨害行動をしなければ解放する」と述べ、要求書にあるように12時までに自衛官を集めるよう幕僚幹部らに迫りました。さらに「要求が通らない場合は総監を殺害して自決する。」と告げました。
檄文を配布し、バルコニーで三島由紀夫が演説
三島由紀夫はアメリカの占領下で弱体化する日本を立て直すためにも、憲法を改正し自衛隊を国軍化せよという自身の憂国の想いを聴くよう、全自衛官を集めろと幕僚幹部に要求しました。 自衛官たちは本館前に集まると、「あれは三島由紀夫か」「何をするきだ」「おかしなことは止めろ」とバルコニーを見上げながら、楯の会のメンバーに罵声を浴びせました。 バルコニーに立った三島由紀夫は集まった自衛官たちを眺め、「自衛隊は国軍になるべきだ」と決起を促しました。
三島由紀夫・森田必勝が割腹自殺、その後残り3名が逮捕
総監に詫びた三島由紀夫は、日本が米軍の支配下になって弱体化していくことを憂いていること、そしてこままでは日本の未来は危ういということを訴えました。 さらに、日本が主権を回復し、真に自立するためには、国軍を持つべきであり現行の憲法は改正すべきと主張しました。話しを終えた三島由紀夫は、上着を脱ぎ、古賀浩靖が持っていた短刀を受け取ると、腹に刺して自害しました。 介錯は森田必勝が務め、自身も腹を刺して自害を果たしました。その他のメンバーは応接室に押し入ってきた警官に現行犯逮捕されました。
三島事件が与えた影響
三島由紀夫という天才が起こした事件は多くの作家や文化人に衝撃を与えました。事件の舞台となった市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地では自殺現場に花を手向ける自衛官もいたといいます。海外も含めて三島事件はどのような影響をもたらしたのでしょうか。
自衛官の多くが三島由紀夫に共感
三島事件の翌日には総監室の前に花が手向けられるなど、三島由紀夫の行動に共感する自衛官も少なくありませんでした。 東京及び近郊の自衛隊向けにおこなったアンケートでは、三島由紀夫の檄文の考えに共鳴したという回答が多数得られました。しかし三島由紀夫と対談した経験がある防衛大学校長 猪木正道は「檄文は公共の秩序を破壊するクーデターの思想でしかない」と批判しました。 その後陸上自衛隊富士学校滝ケ原駐屯地第2中隊隊舎前には三島由紀夫の追悼碑が建立され、碑には三島由紀夫の句が刻まれています。
文豪の声
作家・文化人らは三島由紀夫の死を知ると、その希有な才能が失われたことを惜しみました。 文芸評論家の小林秀雄は「三島事件は単なる右翼思想による行動ではなく、彼の精神とは関係ない。」とし、「抽象的事件として心にとどめ、直知できないものには理解するのは難しいだろう。」と論じました。 司馬遼太郎は模倣犯が出ることを危惧し、「三島事件は文学的なものとしてとどめ、決して美化してはならない。」と三島由紀夫の檄に共感する自衛官に釘をさしました。
海外の反応
海外のメディアや知識人にも三島由紀夫の割腹自殺について議論が湧き起こりました。 アメリカのクリスチャンサイエンスモニターは「三島由紀夫の自決を日本の軍国主義復活とみなすことは恥ずかしいことだ。よく検討する余地がある。」と論じています。 また日本文学の翻訳を手掛けるエドワード G サンデンステッカー は「三島由紀夫は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。」とし、「三島由紀夫は単なる軍国主義復活を訴えた訳ではない。」と述べています。
三島事件は現在でも語り継がれる
三島由紀夫の自殺はあまりにセンセーショナルだったこともあり、多くの映画やドラマ、漫画などで取り上げられました。天才三島由紀夫を、メディアはどのように表現したのでしょうか。
映画
三島由紀夫を取り上げたメディアは数多く、なかでも「からっ風小僧」は三島由紀夫が初めて主演を務めたムービーとして話題となりました。 また米国との合作ムービー「Mishima: A Life In Four Chapters(ライフ・イン・フォー・フューチャーズ)も上映されました。 ムービーの多くは三島由紀夫の小説を題材にしたもので、DVDとなって発売されています。三島由紀夫を知らない世代も、ムービーを通して当時の日本の様子を知ることができます。
ドラマ
1980年9月13日には三島由紀夫を取り上げた番組「ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる」がテレビ朝日系列で放送されました。番組内容は三島由紀夫の生涯を追ったドキュメンタリーでした。 三島由紀夫に近い文化人や俳優、学者などの証言を通じて人間三島由紀夫を描いています。 証言する人物も天地茂、いいだももこなど多彩で個性的なメンバーが揃い、三島由紀夫の交友関係の幅広さが伺える番組になっています。
漫画
「三島事件」は漫画の題材としても使われ、梶原一騎の「夕焼け番長」で三島由紀夫が登場するシーンもあります。 脚の怪我でスポーツ選手の夢を断たれた主人公の赤城忠治は同級生の青木輝夫から三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自害したことを告げられショックを受けます。 三島由紀夫を尊敬していた青木輝夫は「憂国の切腹だよ。命を賭して僕らに訴えたんだよ。」と悲しみました。作品では「三島事件」の演説から割腹自殺に至るまでが描かれています。
まとめ
希有な才能を持つ三島由紀夫が、自衛隊の国軍化と安保反対というありきたりな動機で自らその生涯を閉じたことに疑問を呈する知識人もいます。 三島由紀夫が自衛官に撒いた檄文の内容も凡庸なもので、割腹自殺という愚行は三島由紀夫らしくない死に方であるといわれています。 三島由紀夫はもっとも分かりやすい形で弱体化した祖国を憂い、国民に警鐘を鳴らしたのかもしれません。