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血盟団事件とは?政財界の大物をターゲットとしたテロの一部始終。

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1分でわかる血盟団事件

  • 1932年のテロ事件
  • 日蓮宗僧侶が血盟団を結成
  • 恐慌下で巨額な利益を得る財閥が背景

血盟団事件の概要

血盟団事件とは、日蓮宗僧侶の井上日召が結成した暗殺集団が1932年に井上準之助と団琢磨を暗殺した連続テロ事件のことをいいます。政財界人20数名を私利私欲優先の極悪人として暗殺する計画でした。以下で詳しく解説します。

1932年に起きた連続テロ事件

血盟団事件は、政財界の要人を標的にした暗殺者集団が1932年に起こした連続テロ事件のことです。 日蓮宗僧侶の井上日召が暗殺組織を結成し、困窮する国民を顧みず利益追求に走る政財界の大物20数名を標的に挙げ暗殺するという計画で、対象の政財界人ごとに一人の暗殺者を決めていました。 当初はテロ実行日を2月11日の紀元節に予定し、それに呼応して軍内部の同調者がクーデターを起こすという計画でした。

政治家や財界の大物が標的で、井上準之助・團琢磨が死亡

テロの標的には最初に殺害された前大蔵大臣で民政党政務委員長の井上準之助、2番目に殺害された三井合名会社理事長の団琢磨のほか、内閣総理大臣の犬養毅、元老の西園寺公望らが入っていました。 井上準之助は1932年2月9日に選挙応援演説会に訪れた本郷の小学校の前で待っていた小沼正の襲撃に遭います。金解禁で世界恐慌に巻き込まれたことや軍縮への海軍の反発が理由とされます。 団琢磨は3月5日に日本橋の三井銀行本店に出勤してきたところを菱沼五郎の銃弾に遭い殺害されます。理由は三井財閥がドル買い投機で巨額な利益を上げていたためとされています。

血盟団とは

血盟団とは井上日召が首謀して結成されたテロ団体で、政財界の大物を暗殺して国家を革新することがを目的としていました。当初団体には名前がなく血盟団事件が起きた後で血盟団と名付けられました。その後続いて起きた右翼テロの導火線となりました。

首謀者・井上日召

首謀者の井上日召は早稲田大学などを中退した後諜報活動などに携わっています。1928年に茨城県大洗町にある日蓮宗の立正護国寺堂の住職になると農村の青年に右翼思想を植え付けていきます。 その後テロにより日本を革新するため暗殺者集団を結成し、一人一殺主義を掲げて1932年に血盟団事件を起こして無期懲役となります。特赦で1940年に出獄しました。 戦後も右翼の運動に関わり、1954年右翼団体護国団を結成し団長を務めています。1967年に死去しました。

暗殺者・小沼正

暗殺者・小沼正は茨城県平磯町の出身で東京市内で店員などをしていましたが昭和恐慌で一家離散の憂き目に遭います。井上日召に遭ったのは病気で帰郷した1929年頃たのようです。 1932年2月9日に井上準之助を背後から拳銃で3発撃って暗殺しました。小沼正は暗殺の理由について貧乏な百姓を見て井上準之助の暗殺を決意したとしています。 事件後無期懲役となりますがその後出獄しています。戦後は業界口論社社長を務める傍ら右翼活動を続け1978年に死去しました。

暗殺者・菱沼五郎

暗殺者の菱沼五郎は茨城県那賀郡前渡村の生まれです。1929年に学校を卒業したものの紅緑色盲で就職できず失意にあった時に井上日召と知り合ったとされています。 1930年に菱沼はロンドン軍縮条約をめぐる日本国民党の抗議活動に参加して小沼正らと行動をともにすることを誓い、1932年3月5日に団琢磨を拳銃で射殺して検挙されます。 戦後は右翼運動を離れて会社を経営します。1959年から自由民主党の茨木県議として8期当選し県会議長まで務めました。

血盟団事件の背景

血盟団事件の背景には軍の力や暴力で政治を動かそうとする当時の世相があります。また恐慌により国民が苦しむ中自分たちの利益しか考えない政財界への青年の怒りがテロ活動へと糾合されていったことが挙げられます。順を追ってみてみましょう。

軍の力や暴力で政治を動かそうとする動き

大正・昭和前期には民主主義的な政党政治が行われ、軍縮などの政策が実施されました。昭和天皇が即位した1928年に普通選挙法が適用され、日本で最初の衆議院総選挙も実施されました。 その政党政治は次第に軍部の意向に迎合するようになります。軍部も政党支配を強めて民主主義的な体制は崩壊し、次第に軍部の独裁体制へと移行します。 この結果軍の力や暴力で政治を動かそうとする傾向が顕著になり、軍部による満州事変や右翼団体によるテロが活発化していきます。

経済状況悪化による政府と財閥への強まる反感

日本政府は日露戦争などに莫大な軍事予算を計上したため、国民は重税で苦しめられていました。そうした中で起きた関東大震災によって巨大な赤字が発生しました。 1929年から起きた世界恐慌で欧州が経済的混乱に陥る中で日本の大銀行や財閥はドル買いで莫大な利益を得ます。一方1930年に起きた昭和恐慌では農村が大打撃を受け国民の生活が貧しくなり政府や財閥への反感が強まります。 政治家や財閥は悪という思想が広まり、テロ行為による性急な国家革新主義が台頭して血盟団事件が引き起こされました。

軍がクーデターを計画するだけで実行しない

血盟団事件の背景には軍はクーデターを計画するだけで実行しないので、民間の右翼が決行するしかないという考え方が強まった二つの事件があります。 一つは1931年3月20日にクーデターを起こすという陸軍中堅幹部による計画が未遂に終わった三月事件です。日本の軍事国家化を目指す桜会のメンバーが中心でした。 もう一つは十月事件で10月24日に軍が首相以下を暗殺することを陸軍幹部が計画しましたが、事前に中心人物が検挙された事件です。計画には民間側から井上日召も参加していました。

血盟団事件と五・一五事件

血盟団事件以降、軍部がテロ事件を主導するようになっていきます。1932年の五・一五事件は海軍の青年将校たちが中心となって決行したものでした。これには血盟団事件にも関わり、前年の上海事変で戦死した藤井斉海軍中尉の遺志があったとされています。

血盟団事件のメディア化

血盟団事件はメディア化されました。映画では「日本暗殺秘録」があります。幕末以降の暗殺事件をオムニバスで取り上げていますが、全体の8割は血盟団事件で占められています。書籍では中島岳志の「血盟団事件」や井上準之助を殺害した小沼正の「一殺多生 : 血盟団事件・暗殺者の手記」などがあります。

映画

血盟団事件を取り上げた映画としては「日本暗殺秘録」が有名です。1969年に東映によって制作され、桜田門外の変から始まる幕末以降に起きた暗殺事件をオムニバスで取り上げています。 その全体の8割ほどを占めて中心となっているのが血盟団事件です。監督は 中島貞夫、脚本は 笠原和夫と中島貞夫、主演は 千葉真一で主人公の小沼正を演じています。 監督は3日間通って小沼正に話を聞いたそうです。そのほか菱沼五郎など小沼以外の血盟団のメンバーにもインタビューしています。

書籍

これまでに血盟団事件を取り上げた書籍を発刊された年代順に紹介します。1974年12月に読売新聞社から発刊されたのが「一殺多生 : 血盟団事件・暗殺者の手記」です。著者は暗殺を実行した小沼正です。 専修大学今村法律研究室が編集した「血盟団事件」は1986年3月~1992年2月に発刊された「今村力三郎訴訟記録第10-16巻」に収められています。 著者が中島岳志の単行本「血盟団事件」は資料だけでなく中国にまで及んだ現場や関係者への取材でまとめた力作です。2013年8月に文藝春秋から発刊されています。

まとめ

血盟団事件は昭和の初めに起きた政財界の大物を狙った右翼団体によるテロ事件です。背景には恐慌によって国民が窮乏する中、自己の利益しか考えない政治家や財閥への反感がありました。 日蓮宗の僧侶であった井上日召はテロによる国家の革新を図るため右翼的暗殺者集団の血盟団を結成し、最初に井上準之助、次いで団琢磨を殺害しました。この事件が引き金となって、これ以後テロの首謀者は軍人に移行していきました。

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