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原因不明の病気・地方病とは?解明に至るまでの長い歴史と現在の調査に迫る。

もくじ

1分でわかる地方病

  • 日本住血吸虫による感染症
  • 長年原因不明の死に至る病
  • 日本は撲滅に成功した世界で唯一の国

地方病‎の概要

地方病といえば「ある一定の地域で繰り返し流行が起こる病気」をイメージしがちですが、これは風土病です。地方病とは日本住血吸虫という特殊な寄生虫が引き起こす感染症のことです。長年原因不明の病気として住民を苦しめてきた地方病の正体に迫ります。

日本住血吸虫症の山梨県における呼称

地方病は日本住血吸虫症の山梨県における呼び名として使われている言葉です。 地方病の初期症状は発熱と下痢が中心ですが、やがて重症化して手足が痩せ細りお腹が妊婦のように膨らみます。そして最後は体が動かなくなり死に至る恐ろしい病です。山梨県・甲府盆地の特定地域で古くから知られていました。

長期間住民を苦しめる原因不明の病気、治療法はなし

この恐ろしい地方病は長い間原因不明とされ、したがって治療法はありませんでした。この地方では地方病に罹ったら助からないというのが常識でした。 不思議なことにこの地方病は貧しい小作の農民だけが罹りました。富裕層や同じ甲府盆地でも少し離れた村では全く流行がないというのも当時の人たちの理解を超えていました。

日本住血吸虫症はその他の地域でも発症

昔の甲府盆地の人たちは知りませんでしたが、実は地方病は山梨県・甲府盆地だけの風土病ではありませんでした。地方病は川に沿った村で発病することが解明され、日本では甲府盆地を含む6水系で発生していました。 日本住血吸虫症と病名に日本名がついているため地方病は日本特有の風土病と考えられがちですが、日本名がついているのは世界で最初に日本で発見されたためです。地方病は中国、フィリピン、インドネシアほか多くの国で多数流行しています。

地方病の原因解明の経緯

世界中で地方病の撲滅に成功したのは日本だけです。地方病撲滅までには先人達の長い苦労の歴史がありました。住民達の切実な訴えに対して先人達はどのようにして地方病の原因を突き止め撲滅させていったのでしょうか。

嘆願書によって調査が開始

地方病の原因究明と対策への動きが始まったのは1881年でした。地元から切実な嘆願書が役所に提出されました。嘆願書には地方病の原因究明と救済が書かれていました。 嘆願書を受けて行政が重い腰を上げたのを機に多くの研究者も動き出し、地方病の患者の肝臓に異常があることと、その異常が寄生虫によって起こっていることがわかってきました。

ある患者が献体、門脈の肥大化の発見

吉岡順作氏は地方病に罹った患者を地図におとして、患者は川近くの村々で発生していることを突き止めました。さらに彼は地方病の患者は肝臓に異常があることも発見しました。 地方病が川に関係することと肝臓に異常があることはわかりましたが、それ以上の進展はある女性患者の献体を待つしかありませんでした。命をかけた女性の協力によって当時タブー化していた人体解剖が実現し、地方病患者の肝門脈が肥大化していることが突き止められました。

新種「日本住血吸虫」の発見

一方、三神三郎氏は地方病患者の便から病気の原因と思われる新種の寄生虫の卵を発見しました。その後三神三郎氏と意気投合した寄生虫研究の専門家である桂田富士郎氏は新種の寄生虫が血管内部に潜む特徴を持つことを解明し、肝門脈との関係を疑いました。 やがて地方病を罹っている猫の解剖によって地方病の原因である寄生虫が特定され、その帰省中は「日本住血吸虫」と名付けられました。

感染経路の発見

地方病の原因は究明されましたが、対策を講じるためにはその感染経路を突き止める必要がありました。やがて田や川にいる日本住血吸虫が皮膚から体に侵入することが突き止められました。当時寄生虫は経口感染が常識でしたから、寄生虫の皮膚感染は画期的な発見でした。 ところが生まれた直後の日本住血吸虫はいかなる条件でも48時間以内には死ぬことがわかりました。そこで疑われたのが中間宿主の存在でした。

中間宿主「ミヤイリガイ」の特定

日本住血吸虫には中間宿主が存在する可能性が高まったことから、これまで対処方策がなかった地方病撲滅の方向性が明らかになりました。つまり中間宿主を撲滅すれば地方病を起こす日本住血吸虫はいなくなることがわかりました。 宮入慶之助氏は日本住血吸虫の中間宿主は新種の貝であることを特定し、その貝は宮入慶之助の名前をとって「ミヤイリガイ」と名付けられました。

ミヤイリガイ殺貝活動

こうして中間宿主であるミヤイリガイの駆除活動が始まりましたが、ミヤイリガイは非常に繁殖力の強い貝で撲滅には70年もの歳月が必要でした。 ミヤイリガイの駆除は生石灰などの殺貝剤の散布と用水路のコンクリート化によって進められました。山梨県においては800トンに及ぶ殺貝剤がまかれ、100億円以上の経費をかけて用水路のコンクリート化が行われました。

115年目に終息宣言

このような徹底した対策によって地方病の患者は激減し、1978年に一人の患者を出して以来5年連続で患者数が0になりました。 ミヤイリガイはさすがに絶滅こそしませんでしたがほとんどいなくなり、日本住血吸虫に感染したミヤイリガイも皆無になりました。このような状況を受けて山梨県は1996年2月に知事名で地方病の終息宣言を出しました。嘆願書が出されてから115年に及ぶ戦いでした。

地方病の現在

こうして多くの先人達の尽力によって日本における地方病は終息するに至りましたが、現在地方病に関する取り組みはどうなっているのでしょうか。日本国外の状況などにも迫ります。

再発への備え

確かに日本国内で地方病は終息しましたが、ミヤイリガイの生き残りは存在しています。このため可能性は極めて低いとは思われますが、地方病が再流行する可能性はゼロではありません。 このため国内の大学等の研究所では今も日本住血吸虫が飼われ研究が継続されています。また山梨県では今日でも小中高学生を対象に地方病感染の有無が検査されています。

博物館「山梨県杉浦醫院」

山梨県昭和町にある風土伝承館山梨県杉浦醫院は大正時代の医師杉浦健造とその娘婿である杉浦三郎の地方病に対する取り組みを讃え・伝えるために山梨県・昭和町が2010年に医院を復元して展示館として開館しました。 風土伝承館山梨県杉浦醫院は杉浦親子にとどまらず地方病に立ち向かった多くの先人達の偉業を今に伝えています。当時地方病の診療や研究に実際に使用された器具や啓蒙のためのポスター、診察記録なども残されています。

国外に住血吸虫に苦しむ地域が存在する

日本における地方病は撲滅されましたが、世界には未だ住血吸虫に苦しむ人々がいます。世界全体では78カ国3億人近い人々が住血吸虫に罹っているともいわれています。これらの地域の人々の暮らしは貧しく医療体制も十分ではありません。 世界で唯一地方病の撲滅に成功した日本の知見はこれらの人々の救済に役立つはずです。世界の地方病撲滅運動は日本の国際貢献が期待される分野の一つです。

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