1分でわかる鬼熊事件
- 男女関係のいざこざから連続殺人に発展
- 大規模な捜索が行われたが村人の妨害で捜査は難航
- 最終的に犯人は知人などの前で自殺
鬼熊事件の概要
この事件は1926年に千葉県で起こった連続殺人事件です。犯人の岩淵熊次郎が男女関係にあった女性を殺害し、関係者2人も手にかけました。総勢5万人による大規模な山狩りが行われましたが、事件は岩淵熊次郎の自殺で幕を閉じました。事件の詳細とはどのようなものだったのでしょうか?
1926年に千葉県久賀村で起きた殺人事件
事件は1926年に千葉県久賀村で起こりました。犯人の岩淵熊次郎は以前から言い寄っていた女性おけいの態度に腹を立て裁判沙汰となります。 岩淵熊次郎は裁判で執行猶予がつき、一度は元の生活に戻ろうとしました。しかしおけいが別の男と交際していると知って逆上し、岩淵熊次郎は酒の勢いで8月20日におけいを撲殺しました。
犯人・岩淵熊次郎が6人を殺傷したあと、山中に逃亡
おけい殺害後岩淵熊次郎はおけいと交際する男の実家を放火し、かつて自分と別の女との仲を裂いた岩井長松を腹いせに刺殺しました。 岩淵熊次郎は一晩で2名殺害・4名の重傷者を出し、山中に逃亡しました。9月12日には巡回していた警官と鉢合わせし警官も殺害しました。
岩淵熊次郎は「鬼熊」と呼ばれ、40日間にわたり逃亡
事件は大々的に報道され日本中を騒然とさせました。マスコミの報道や警察の捜査の中で、岩淵熊次郎は次第に「鬼熊」と呼ばれるようになります。 潜伏した岩淵熊次郎の捜索は困難を極め、山狩りには警察官3万6,000人の他、消防団や地元の青年団なども駆り出されて合計5万人以上の大規模な人員が投入されました。そのような中、岩淵熊次郎は事件発生から40日間も逃亡し続けました。
最期は先祖代々の墓所で新聞記者や知人の前で自殺
潜伏中の岩淵熊次郎はひそかに実兄や取材記者らとコンタクトを取っていました。彼はそのやりとりの中ですでに目的は果たしており自殺するつもりだと語っています。実際に首吊りなどを試みたようですが、失敗したようです。 その後9月30日岩淵熊次郎は先祖代々の墓所へ現れます。現場には実兄や村人、新聞記者などが集まっていました。岩淵熊次郎は事前に頼んでいた毒を受け取り、服毒した上で喉を切って自殺しました。
犯人・岩淵熊次郎
岩淵熊次郎は1892年生まれで、事件のあった1926年の時点では33・34歳でした。仕事は荷馬車引きで、結婚しており子ども5人と暮らしていました。 岩淵熊次郎は非常に働き者で高齢者や働けない者を手伝うなど、面倒見の良い一面がありました。その一方で女癖が悪く女性関係のトラブルが相次いでいました。
鬼熊事件の背景
岩淵熊次郎は40日間にもわたって潜伏、逃亡生活を続けましたが、これには彼を慕う村人の支援がありました。村人は岩淵熊次郎をかばって偽りの情報を警察に流して捜査を混乱させていました。 また当時は警察官に反感を抱く者が多く、そのため反権力的な行動を見せた岩淵熊次郎は全国的に人気者となりました。岩淵熊次郎と接触した新聞記者が好意的に報道した結果、「鬼熊狂恋の歌」という曲が作られるほどの人気を博しました。
鬼熊事件のメディア化
鬼熊事件の内容や犯人の岩淵熊次郎をモチーフとした作品がいくつか制作されています。吉村昭の短編小説「下弦の月」や松本清張の「疑惑」などです。両作品はドラマ化もされています。
小説「下弦の月」
「下弦の月」は1973年に発売された吉村昭の短編小説集です。表題作「下弦の月」は鬼熊事件を元にしており、ほぼノンフィクションとして楽しむことができます。大正末期の不安定な世情や主人公の行動から鬼熊事件の一端を知ることができます。 「下弦の月」は1990年にTVドラマ化もされました。火野正平主演の「火曜サスペンス劇場・下弦の月―鬼熊事件―」です。
松本清張のドラマ「疑惑」に関連
松本清張の推理小説「疑惑」も鬼熊事件に関連しています。「疑惑」は主人公の後妻鬼塚球磨子に保険金殺人容疑がかかるという物語です。松本清張の作品の中でも屈指の人気があり、これまで6回以上も映像化されています。 このストーリー自体は1974年に大分県で発生した別府3億円保険金殺人事件が元ネタです。しかし鬼塚球磨子は作中で「鬼クマ」と呼ばれることや本人の性格と事件の間にギャップがあるなど、岩淵熊次郎がモデルとなっています。
まとめ
現在では考えられないことですが、連続殺人の犯人にもかかわらず当時の岩淵熊次郎はなかば英雄のような扱いを受けました。痴情のもつれだったとはいえ、岩淵熊次郎自身がそれほど慕われる人物だったということがうかがわれます。 なお岩淵熊次郎を支援し自殺に立ち会った知人や新聞記者は後に裁判にかけられました。しかし岩淵熊次郎が国民的人気となった社会的背景からか、いずれも執行猶予や無罪などになっています。