\ 琉球風水志 シウマの占いページはこちら /

全日空61便ハイジャック事件とは?犯人・西沢裕司の動機や事件の概要に迫る。

もくじ

1分でわかる全日空61便ハイジャック事件

  • 全日空で起きたハイジャック事件
  • 犯人・西沢裕司はエリートも航空会社への劣等感
  • 機長が殺傷され西沢裕司は無期懲役の判決

全日空61便ハイジャック事件とは

1999年7月に日本で初めて、人質が亡くなった「全日空61便ハイジャック事件」があったことを知っていますか。事件当時は、航空機マニアの男性がハイジャックを行ったことでも注目を集めました。

全日空で起きたハイジャック事件

「全日空61便ハイジャック事件」は1999年7月23日、羽田空港から新千歳空港に向かう全日空61便内で起こりました。 乗客503名に乗員14名が加わった全日空61便が離陸して間もなく、搭乗客である若い男性1名が客室乗務員に包丁を突き付けたことから始まります。脅された客室乗務員は男が言うままにコクピットへ連れていき、全日空61便はハイジャックされました。

機長が殺害される

機長が地上管制官に「ハイジャック発生」の緊急通報をした後、犯人は横須賀に向かうよう指示します。それからほどなくして犯人は、副操縦士にコックピットから出るよう命じました。 全日空61便が相模湾上空に入ったあたりで、犯人は「横田基地に向かえ」と指示します。さらに機長に対し、自分に航空機を操縦させるように迫りました。しかし機長は要求をのまず、犯人を説得しようと試みます。 そして努力もむなしく、機長は犯人に包丁で刺され亡くなってしまいました。

犯人・西沢裕司

「全日空61便ハイジャック事件」の犯人は、西沢裕司です。東京都出身の西沢は武蔵中学・高等学校に進学した後、一浪して一橋大学商学部に入学・卒業しました。 遊びより勉強を好む西沢は、子どものころから成績優秀で周囲の大人からは「いい子」と評されていました。友人らしい友人はおらず、社会性に乏しい電車や飛行機が好きな少年だったそうです。 大学に進学するころには航空機マニアとなっており、全国の様々な航路や機種に乗るようになり70回以上搭乗していました。

西沢裕司は一橋大学を卒業したエリート

小学生のときからがり勉タイプだったという西沢裕司は、私立の名門校である武蔵中学・高校に進学しました。そして一浪した後、一橋大学商学部に入学し鉄道研究会に所属します。しかし学園祭で提案した企画が流れたことで興味を失い、航空機へと興味を移したといいます。 そして30種類にも及ぶ羽田空港における飛行機の着陸パターンを覚えるなど、航空機にのめり込んでいきました。それでも大学は4年で卒業しています。

西沢裕司は飛行機マニアだったが航空会社に就職できなかった

学生時代に70回以上も飛行機に乗るほど航空機にのめり込んだ西沢は、パイロットになることが第一志望でした。たくさんの航空関連書籍を読んで猛勉強したものの、3社受けた航空会社すべてで不採用だったのです。 しかし大手鉄道会社から内定が出ていたため、1994年4月に総合職として入社しました。その後自宅を離れて寮生活を始めたものの、もともとコミュニケーション力が低く希望の航空会社に入れなかったコンプレックスも相まって人間関係に苦しみます。結果として1996年秋に寮を飛び出して失踪し、そのまま退職しました。

航空会社に認めて欲しく、セキュリティの脆弱性を指摘する手紙を送っていた

寮を飛び出してから半年ほど放浪を続けていた西沢裕司は、所持金が底をついたことから実家に戻ります。うつ病は退職した後も回復せず、就職活動もうまくいかない日々が続きました。そんな西沢にとっての唯一の楽しみが、フライトシミュレーションゲームでした。 そんなある日、西沢はインターネットで羽田空港の配置図を見ていて空港セキュリティの欠点に気づきます。セキュリティの脆弱性について指摘した手紙を航空会社はもちろん、運輸省や東京空港署にも送りました。しかしその提言がまともに扱われることはありませんでした。

西沢裕司は精神病にかかっていた可能性が高い

うつ病を発症していた西沢裕司ですが実家に戻ってからもうつ病の治療を続けたものの、一向に改善される気配がなく自室に引きこもるようになりました。 家族は1998年春頃から複数の精神科クリニックを受診するように勧め、統合失調症や心因反応といった診断を受けます。大量の薬が処方されるようになったことで、それを飲んで自殺未遂をくり返しました。家族が警察に相談した結果、約2カ月にも及ぶ措置入院を余儀なくされています。 西沢裕司は精神病にかかっていた可能性は極めて高いと言えたでしょう。

全日空61便ハイジャック事件の概要

「全日空61便ハイジャック事件」は「ハイジャック発生」と地上管制に緊急通報があってから、犯人が取り押さえられるまでそれほど時間がかかってないことでも有名です。

西沢裕司がCAを脅しコックピットに侵入

「全日空61便ハイジャック事件」が起こったのは、全日空61便が離陸した直後1999年7月23日の11時23分のことでした。西沢が大声を上げながら席を立ち、客室乗務員に包丁を突きつけコクピットに連れていくように指示したことが始まりです。 同日11時25分には、機長が地上管制に対し「ハイジャック発生」の一報を入れています。その後、客室乗務員に包丁を突き付けたまま西沢はコクピットに入り込みました。

横須賀・伊豆大島・横田基地への飛行を要求

コクピットに侵入した西沢はまず、「横須賀へ飛べ」と指示します。その際「高度3000フィートに降下しろ」とも伝えています。全日空61便はそのまま横須賀方面に向かいますが、西沢は再び「伊豆大島方面に飛べ」と指示しました。 同日11時38分に西沢は副操縦士をコクピットの外に追い出します。そして伊豆大島付近に近づいたところで「横田基地へ行け」と、再び目的地を変更しました。 ハイジャックされた全日空61便は軽飛行機やヘリコプターが飛行している低空での飛行を続けていました。 結果的に神奈川県上空を旋回していたことになります。

長島機長が殺傷される

目的地を横田基地と命じた西沢裕司は自分に航空機を操縦させるよう機長に迫りました。しかし機長は承諾することなく、西沢への説得を試みながら密かに横田基地方面への自動操縦に切り替え安全を確保します。 その後も機長は説得を続けますが同日11時54分ついに西沢に刺されてしまいます。長島直之機長は意識不明となり最終的に亡くなってしまったのです。 長島機長を刺した西沢は操縦席に座り、自ら操縦を始めました。

副操縦士と乗り合わせていた別便の機長により操縦が行われる

コクピットから追い出された副操縦士は、チーフアテンダントと共にハイジャックマニュアルにそって「犯人の要求を優先する」という対応をしていました。しかし西沢が操縦かんを握ったことで航空機が迷走し、地上接近の危険音が鳴り響くようになりました。 そこへ非番で乗り合わせていた別の機長が合流します。そしてコクピット内をモニターし、長島機長の声が聞こえず犯人が操縦していることを知ったのです。彼はマニュアルを守ることなく、副操縦士らと共にコクピットの扉を蹴り破って中に入ります。そして航空機を操縦しました。

犯人は取り押さえられる

コクピットに突入したのは、機長や副操縦士だけではありません。「この機はハイジャックされています」というアナウンスを聞き、協力を申し出た乗客数名も一緒でした。 機長が操縦かんを握る横で、コクピットに突入した面々は西沢裕司を取り押さえます。そして、ネクタイやベルトを用いて西沢を縛り上げました。 地上管制に犯人を取り押さえたこと、長島機長が刺されたことが知らされたのは同日12時3分のことでした。

犯人が取り押さえられなかったら八王子に墜落していた

西沢裕司が操縦していた全日空61便は横田基地に向けて超低空飛行のまま、八王子市上空を飛んでいました。国道沿いのマンションの窓が飛行機内からはっきり見えるほどだったといいます。 そのまま犯人が取り押さえられることなく操縦を続けていたら、八王子市内で墜落していたといわれています。突入のタイミングがもっと遅ければ、大惨事を免れることはなかったでしょう。

全日空61便ハイジャック事件の裁判と判決

逮捕された西沢裕司は精神鑑定が行われた後、責任能力があるとして起訴されました。罪名は「ハイジャック防止違反」と「銃刀法違反」そして「殺人罪」です。裁判の過程で精神鑑定も行われています。

精神鑑定が行われる

「全日空61便ハイジャック事件」の犯人として逮捕された西沢裕司は、取り調べの際に犯行の動機を語っています。その内容は「宙返りやダッチロールをしてみたかった」「レインボーブリッジの下をくぐりたかった」など支離滅裂だったことから、精神鑑定が行われました。 2度行われた精神鑑定では、結果が異なります。1回目の鑑定では「アスペルガー障害」、2回目には「抗うつ際による影響」として報告書が作成されました。

無期懲役が確定

1999年12月20日に初公判が行われた「全日空61便ハイジャック事件」が結審したのは、2005年3月23日のことです。東京地方裁判所では抗うつ剤による心身衰弱が認めたものの、責任能力があると判断しました。そのため下された判決は、「無期懲役」でした。 西沢裕司が控訴することもなく、刑は第一審判決で確定しました。西沢裕司は現在も服役中です。

まとめ

日本で初めて人質が死亡した「全日空61便ハイジャック事件」について詳述してきましたが、理解できましたか。 突入するタイミングが少しでも遅ければ、八王子市に墜落し被害者が多数になったことでしょう。しかも犯人は空港のセキュリティの盲点をついて、機内に包丁を持ち込んでいました。手紙が届いた時点で真摯に対応していれば防げたのではないかという議論も生まれたことも、記憶しておきたいところです。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

もくじ
閉じる