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横田めぐみさんの北朝鮮拉致事件から40年経った現在。被害者家族の高齢化や政府の対応に迫る。

もくじ

横田めぐみさんの拉致被害から40年以上経った今

横田めぐみさんの拉致被害問題の要点

  • 横田めぐみさんは40年以上前に北朝鮮に拉致された
  • 横田めぐみさんは現在も生きている可能性がある
  • 被害者家族の高齢化で被害者と再開できない可能性も

1970~80年代にかけて不自然な日本人の失踪が相次ぎました。この失踪は大韓航空爆破事件実行犯として逮捕されたキム・ヒョンヒ元死刑囚の供述から北朝鮮による拉致事件である可能性が出てきます。 北朝鮮は拉致の事実を認め、2002年5人の被害者が帰国しましたがそれ以降の進展はありません。被害者家族の高齢化が進む中、今も安否すらわからない家族の帰りを待っています。 拉致事件発生から40年以上、被害者の象徴ともいえる横田めぐみさんの事件を振り返って見ましょう。家族の今にも迫りました。

横田めぐみさんの拉致被害の概要

新潟市に住む中学生横田めぐみさんは父親の滋さん、母親の早紀江さんの長女です。日本銀行の行員であった滋さんの転勤に合わせ広島から新潟に越してきています。 歌が好きで学校を休んだ友人にメッセージを送るような優しい少女であっためぐみさんが突如姿を消したのは1977年11月15日のことです。

1977年11月15日に北朝鮮に拉致された

1977年11月15日当時13歳、中学1年生の横田めぐみさんはバドミントン部の活動を終えて帰宅途中に突然姿を消しました。 失踪直後から家族総出であたりを探し回りましたが発見には至らず、誘拐事件として捜査を行ってきた新潟県警も何の手がかりも得ることができなかったのです。その後もめぐみさんの捜索活動は行われましたが生死すらわかりませんでした。 めぐみさんの消息は不明なまま長い時が過ぎていきましたが、1997年北朝鮮に拉致されたことが発覚します。

1997年に北朝鮮に拉致されたと判明した

新潟で行方不明となった横田めぐみさんの消息はつかめぬまま20年余りが経過した1997年耳を疑う情報がもたらされます。 北朝鮮の元工作員である安明進が88年~91年にかけて金正日政治軍事大学で横田めぐみさんを見たと証言したのです。この証言を発端として一連の北朝鮮による日本人の拉致が発覚しました。 北朝鮮は安明進の証言を虚偽とし拉致事件への関与を否定し続けましたが、2002年金正日が拉致を認め謝罪し再発防止を約束しました。

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横田めぐみさんの拉致被害から40年以上経った今

  • 横田めぐみさんは40年以上前に北朝鮮に拉致された
  • 横田めぐみさんは現在も生きている可能性がある
  • 被害者家族の高齢化で被害者と再開できない可能性も

1970~80年代にかけて不自然な日本人の失踪が相次ぎました。この失踪は大韓航空爆破事件実行犯として逮捕されたキム・ヒョンヒ元死刑囚の供述から北朝鮮による拉致事件である可能性が出てきます。 北朝鮮は拉致の事実を認め、2002年5人の被害者が帰国しましたがそれ以降の進展はありません。被害者家族の高齢化が進む中、今も安否すらわからない家族の帰りを待っています。 拉致事件発生から40年以上、被害者の象徴ともいえる横田めぐみさんの事件を振り返って見ましょう。家族の今にも迫りました。

横田めぐみさんの拉致被害の概要

新潟市に住む中学生横田めぐみさんは父親の滋さん、母親の早紀江さんの長女です。日本銀行の行員であった滋さんの転勤に合わせ広島から新潟に越してきています。 歌が好きで学校を休んだ友人にメッセージを送るような優しい少女であっためぐみさんが突如姿を消したのは1977年11月15日のことです。

1977年11月15日に北朝鮮に拉致された

1977年11月15日当時13歳、中学1年生の横田めぐみさんはバドミントン部の活動を終えて帰宅途中に突然姿を消しました。 失踪直後から家族総出であたりを探し回りましたが発見には至らず、誘拐事件として捜査を行ってきた新潟県警も何の手がかりも得ることができなかったのです。その後もめぐみさんの捜索活動は行われましたが生死すらわかりませんでした。 めぐみさんの消息は不明なまま長い時が過ぎていきましたが、1997年北朝鮮に拉致されたことが発覚します。

1997年に北朝鮮に拉致されたと判明した

新潟で行方不明となった横田めぐみさんの消息はつかめぬまま20年余りが経過した1997年耳を疑う情報がもたらされます。 北朝鮮の元工作員である安明進が88年~91年にかけて金正日政治軍事大学で横田めぐみさんを見たと証言したのです。この証言を発端として一連の北朝鮮による日本人の拉致が発覚しました。 北朝鮮は安明進の証言を虚偽とし拉致事件への関与を否定し続けましたが、2002年金正日が拉致を認め謝罪し再発防止を約束しました。

1986年に韓国人のキム・ヨンナムと結婚したと言われている

横田めぐみさんの夫とされている韓国人のキム・ヨンナムも1978年韓国の西沿岸で拉致されました。キム・ヨンナムは北朝鮮でめぐみさんと出会い1986年に結婚し子どもは1人です。 夫であったキム・ヨンナムも北朝鮮の発表と同様にめぐみさんは1994年に死亡していると語っています。 彼と話すこともあったという拉致被害者の蓮池薫さんはこの発言に疑問を持ちました。めぐみさんが亡くなったとされる病院は管轄が違うためキム・ヨンナムは事実を知らないはずで、いわされただけなのではないかと話しています。

1987年にはキム・ウンギョンを出産

2002年当時拉致問題担当相の中山恭子さんが帰国予定の拉致被害者5人を迎えに行った平壌空港である少女に出会います。 1977年13歳で姿を消した横田めぐみさんにうり二つのこの少女の名前はキム・ウンギョンさん、横田めぐみさんの実の娘です。 めぐみさんは1986年にキム・ヨンナムと結婚し、翌年ウンギョンさんを出産したといわれています。北朝鮮は横田夫妻にめぐみさんの死を認めさせるため、度々ウンギョンさんを利用しました。

北朝鮮は1994年に自殺で死亡と発表した

元々精神不安定だった横田めぐみさんは1994年に自殺し死亡したと北朝鮮は発表していますが、これに疑問を呈しているのが同じ拉致被害者である曽我ひとみさんです。 曽我さんは拉致された当初から84年までめぐみさんと共に生活をしていました。当時のめぐみさんの様子を振り返り自殺はありえないと話しています。 まためぐみさん親子と北朝鮮で交流のあった蓮池薫さんは、めぐみさんがウンギョンさんをおいて自殺するはずがないと語っています。

横田めぐみさんは現在も生きている可能性

北朝鮮は日本に帰国した5人以外は死亡したとして拉致問題の終息を図ろうとしました。死亡したとされている人の中には横田めぐみさんも含まれており、北朝鮮はめぐみさんが亡くなった時の詳細を発表しています。 しかし、この発表は色々な角度から検証され矛盾が多く指摘されました。北朝鮮サイドが横田めぐみさんが生きていることを隠したいがために、偽りの発表を行ったのではとされています。

DNA鑑定で別人の判定

北朝鮮は2002年10月横田めぐみさんは1993年3月に死亡したと発表しましたが、その後1994年4月に入院先の病院で自殺したと修正しています。 2004年にはめぐみさんの死亡の裏付けとして、横田めぐみさんの遺骨とする骨が提供されました。 DNA鑑定の結果提供された5つの遺骨は4つが同一のDNAでしたが、残りの一つは別のDNAでいずれもめぐみさんのものではないことが判明しています。

火葬所の存在

横田めぐみさんは1997年に火葬されたとされています。もともと朝鮮半島は火葬の習慣がないにも関わらずなぜ火葬が行われたのか大きな疑問です。 まためぐみさんの火葬はオボンサン火葬場で行ったとされていますが、この火葬場の建設は1999年であり火葬が行われた1997年には存在していなかったと多くの証言者が語っています。 めぐみさんが亡くなった3年後に火葬を行っているのも不自然です。

目撃証言

めぐみさんの生存可能性が推察される幾つかの目撃証言があります。 2002年に帰国した同じ拉致被害者の地村富貴恵さんが、自殺したとされる1994年4月以後の6月にめぐみさんが引っ越しきたと証言したのです。富貴恵さんの証言は同じ拉致被害者であり信憑性は高いとされています。 もう一つの目撃証言として重要視されているのが、めぐみさんは1995年以降金正日の子息の家庭教師をしていたとの情報です。この情報は複数の人物からもたらされています。

横田めぐみさんの両親

娘のめぐみさんがいなくなってから、現在に至るまでずっと変わらず帰りを待ち続けているめぐみさんの両親はとともに80歳を越えています。 拉致被害者家族連絡会の初代会長を務めた滋さんと早紀江夫妻のこれまでの活動を見ていきましょう。現在二人はどんな生活を送っているのかも紹介します。

横田滋さんと横田早紀江さん

横田滋さんと早紀江さんは1963年に結婚し、翌年第一子である長女のめぐみさんが生まれています。後にめぐみさんの弟である双子が誕生し横田家は5人家族となりました。一家が滋さんと一緒に新潟に引っ越してきたのは1976年です。 2018年パーキンソン症候群で入院した滋さんは食事を飲み込む力が衰え、胃に直接栄養を送る胃瘻となっています。病室には3枚のめぐみさんの写真が飾られ、拉致被害者やめぐみさんが戻って来る日のためにリハビリを頑張っているそうです。 早紀江さんは滋さんを支えながらめぐみさんの帰りを待っています。

共にクリスチャンになる

めぐみさんを探す両親でしたが一向に足取りがつかめず悲しみに暮れている時、友人からヨブ記を読むよう勧められます。お二人は自分が巻き込まれた試練の意味を理解しようとするヨブの物語に出会ったことで聖書を読むようになりました。 やがて宣教師宅で行われる「聖書を読む会」や教会の礼拝に参加するようになり1984年に洗礼を受けています。 1993年滋さんの定年退職後から住んでいる川崎市でも教会に所属し、娘のために祈りを捧げているのです。

横田滋さんは拉致被害者家族連絡会の会長を務めた

めぐみさんの父である横田滋さんは北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)を設立し初代会長を務めました。 家族会は拉致問題の早期解決を被害者全員の帰国を訴え活動を続ける拉致被害者家族・親族の会です。 滋さんは約10年間会長を務めましたが2007年11月に健康上の理由から辞任しています。同年に副代表を務めた蓮池透さんも辞任しこの年家族会は新体制となりました。

拉致被害者家族の高齢化

横田めぐみさんの両親のみならず拉致被害者の両親らは高齢であるケースが多く、拉致被害者の帰国が長引けば病気等で亡くなるリスクが高まります。 拉致被害者の家族の多くは拉致被害者を帰国させるべく人生をかけて活動を行なっています。 彼らの努力が実らないといったことがあってはなりません。

拉致問題の解決へ向けて政府の取組が重要となる

日本人拉致事件は2002年に被害者5人が帰国してからは何も進展はありません。北朝鮮は食料や医療支援と引き換えに拉致事件を持ち出し外交のカードとして使っているかのようにも見受けられます。 拉致被害者家族の高齢化が著しい今日、政府関係者にはあらゆるチャンスや手段を使って拉致被害者全員の帰国が実現するような取り組みが望まれます。

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