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よど号ハイジャック事件は日本赤軍により起きた事件。人質の解放の真相とは?

もくじ

1分でわかるよど号ハイジャック事件

  • 日本で最初に起きた航空機ハイジャック事件
  • 日本赤軍による犯行
  • 犯人は北朝鮮に亡命

1970年に起こった「よど号ハイジャック事件」は、日本で最初の飛行機ハイジャック事件です。 よど号は9名の赤軍派によって一時的にハイジャックされました。そして乗員乗客全員が人質に取られ本来の行き先とは違う航路を飛ぶことになったのです。 よど号は板付空港(現在の福岡空港)、韓国の金浦空港を経由し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ向かいました。犯人達の目的は北朝鮮に渡り、そこに赤軍派の軍事基地を設立することでした。

よど号ハイジャック事件の概要

「よど号ハイジャック事件」は日本初のハイジャック事件であり、後のハイジャック防止法制定のきっかけとなった事件です。犯人グループの目的が北朝鮮への亡命だったということもあり、死者を出すことなく解決に至りました。 その背景にはハイジャック機の機長や日本、韓国、北朝鮮の大きな助力があった結果です。時の首相も彼らには多大なる感謝の意を残しています。

1970年に起きた日本航空便ハイジャック事件

ハイジャックされたよど号は、乗務員7名乗客122名の大きな飛行機です。早朝7時33分に出発したその飛行機は離陸後に赤軍派によって占拠されることになりました。 犯人グループは日本刀・拳銃・爆弾などを機内に持ち込み、その圧倒的な破壊力をもって乗客、乗務員を脅し飛行機を支配下に置きました。 犯人グループは北朝鮮へ行くことを要求しました。飛行機側は犯人と交渉を行い、板付空港(現在の福岡空港)と韓国のソウルに立ち寄り、そこで人質を解放することに成功しました。

犯人グループは赤軍派

「よど号ハイジャック事件」の犯人は赤軍派といわれています。赤軍派は1960年に結成された共産主義同盟系の日本の左翼党派です。 赤軍派は武装蜂起を主張し、よど号事件の他にも様々な暴力的事件を起こしています。その根底には彼らの目指す「革命」には軍事が必要不可欠であるという考えがありました。 彼らの主張は主に労働階級による共産主義革命、そして資本主義の廃止を求めるものでした。「よど号ハイジャック事件」もその思想から起こされたものです。

北朝鮮へ亡命した

板付空港、韓国の金浦空港を経由した飛行機は北朝鮮へと向かいました。飛行機が空港へ降り立った時には北朝鮮側はすでにハイジャック犯に対応する準備を整えていました。 北朝鮮側は犯人グループに武装解除を要求しました。犯人側はこれを承諾し、武器を置いて飛行機の外に出ることになりました。 その後北朝鮮は犯人グループの希望通り彼らの亡命を認めました。

よど号ハイジャック事件の流れ

よど号は羽田空港を飛び立った後犯人グループにより制圧されました。その後板付空港に立ち寄り燃料を補給するとともに一部乗客が解放されました。その後北朝鮮に見立てた韓国の金浦空港に降り立ち、ここでさらに人質が解放されています。 その後一部の人質とともによど号は北朝鮮へ到着し、ここで捕らえられていた人は無事に全員解放されました。それではその一連の流れを詳しく見てみましょう。

羽田空港発、板付空港行きの飛行機をハイジャックした

犯人グループは1970年3月31日7時33発、板付空港(現在の福岡空港)の飛行機に搭乗し、飛行機が飛び立ったのを確認すると武器を出しこの機をハイジャックしました。 後でわかったことですが、彼らが持ち込んだ武器は全ておもちゃで殺傷能力はないものでした。 犯人グループは機内に持ち込んだおもちゃの武器で乗員乗客を脅し、機長と操縦士に平壌に行くように要求しました。

板付空港で一部の人質を解放

犯人から平壌行きの要求を突きつけられた機長は「平壌に行くには燃料が不足している。補給が必要だ。」と犯人と交渉しました。 犯人グループは機長の言い分をのみ、燃料補充のために板付空港に降りることを許可しました。実際は飛行機には予備燃料が搭載されていたので、平壌まで飛行することは可能でした。 板付空港に降り立った際、警察や自衛隊と犯人グループの衝突がありました。犯人側は機長に離陸を急かしましたが、機長の粘り強い説得で人質の一部を解放することに成功しました。

その後ソウル・金浦空港に着陸

板付空港を出た飛行機は平壌空港を模した韓国の金浦国際空港に降り立ちました。金浦国際空港では、兵士が朝鮮民主主義人民共和国の服装をするなどして犯人グループに見破られないよう工作していました。 しかし違和感を覚えた犯人グループによりこの作戦は看破され、失敗に終わります。 一説では犯人グループの一人が「金日成」の写真をもってくるように空港の工作員に要求したのですが、用意することができなかったともいわれています。

数日に渡る交渉の末、山村新治郎運輸政務次官らを残して人質を解放

着陸した空港が平壌でないことが犯人にバレてしまったため、韓国は犯人グループと直接交渉することになりました。 韓国側が人質解放を求める一方、犯人グループは頑なにこれを拒否しました。韓国は様々な提案を行うも事態は一向に動かず、長い膠着状態が続きました。 その後長い交渉の結果、山村新治郎運輸政務次官と一部の乗務員以外の全ての人質を解放することに成功しました。

北朝鮮の平壌へ飛行機は飛んだ

山村新治郎運輸政務次官と一部の乗員を乗せた飛行機は4月3日、北朝鮮へ向けて飛び立ちました。 北朝鮮へと向かう飛行機内で、機長は正確な地図を持っていませんでした。機長は肉眼で北朝鮮国内の飛行場と思われる滑走路を見つけ着陸に成功しました。着陸した場所は平壌国際空港から遠く離れた北朝鮮の美林飛行場でした。 犯人の狙っていた平壌ではなかったものの、希望していた北朝鮮に到着した犯人グループは武装を解除をして機外に降り立ったのです。

北朝鮮は犯人グループの亡命を認め人質を日本へ返した

犯人グループは、当初の目的通り朝鮮民主主義人民共和国に亡命を希望しました。これに対し北朝鮮は犯人グループと人質全てに公開尋問を行いました。 その後北朝鮮は人質を解放し、犯人グループに対しては適切な調査と措置を行うとして亡命の希望を認めました。 これに対し日本は北朝鮮に対する謝意を発表しました。当時の首相である佐藤首相の日記でも北朝鮮への感謝の意が残っています。

よど号ハイジャック事件による影響とその後

「よど号ハイジャック事件」は、飛行機のハイジャックという非常にセンセーショナルな事件として国内で取り扱われました。この事件の後、飛行機ハイジャック防止法が制定されるなど後の社会に大きな影響を与えた事件となりました。 一方で北朝鮮へ亡命した犯人グループの帰国問題など、現在も解決していない課題が残っている事件でもあります。

ハイジャック防止法制定

「よど号ハイジャック事件」は日本で初めてのハイジャック事件でした。これを教訓としてこの事件が起きた同年には「航空機の強取等の処罰に関する法律」、通称「ハイジャック防止法」が制定されました。 ハイジャック防止法は暴行や脅迫により航空機を乗っ取り、暴力により航空機の正常な運行を阻害する行為(ハイジャック)などを処罰する法律です。 ただ憲法の遡及処罰禁止規定により、よど号ハイジャック犯にはこの法律は適用されませんでした。

のちに帰国した実行犯

元々犯人グループの目的は北朝鮮に亡命することではなく、亡命の後に軍事基地を作ることでした。 そのため北朝鮮に亡命した犯人グループの一部は後に日本に帰国しています。帰国した犯人グループは、日本で裁判を受けて有罪判決を受けました。 現在は北朝鮮に留まっている犯人グループやその関係者はツイッターやホームページでよど号ハイジャック犯の帰国を求める運動を展開しています。

その他の赤軍派

犯人グループの一部は帰国せず、北朝鮮に留まっている者もいます。帰国しない理由は国際手配され逮捕状が出ているからです。 ハイジャック防止法とは別の罪状で逮捕状が出ている一部の赤軍派は、日本に帰国できず北朝鮮に留まっているのです。 現在北朝鮮に留まっているのは、小西隆裕・魚本公博・若林盛亮・赤木志郎の4名です。彼らは日本人拉致事件の関与が疑われています。 「よど号ハイジャック事件」は昭和に起きたセンセーショナルな事件です。詳細は知らなくても事件の名前くらいは聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。 私たちの社会に大きな影響を与えた「よど号ハイジャック事件」を改めて思い起こしてはいかがでしょうか。

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