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チャタレイ夫人の恋人事件は表現の自由と公共の福祉が主な争点となった事件。事件の概要に迫る。

もくじ

1分でわかるチャタレイ夫人の恋人事件

  • 伊藤整の「チャタレイ夫人の恋人」翻訳本
  • 猥褻文書として刑法175条に問われた
  • 公共の福祉が表現の自由を制限できるとした

チャタレイ夫人の恋人事件の概要

1950年に出版された「チャタレイ夫人の恋人」はイギリスの階級制度に切り込んだ作品として評判になります。ところが著者である伊藤整は刑法に問われ警視庁に摘発されました。まずはこのチャタレイ夫人の恋人事件の概要を解説します。

小説の「チャタレイ夫人の恋人」の生々しい性的描写が問題になり発売禁止

小説「チャタレイ夫人の恋人」は伊藤整によって1935年に初めて出版され、1950年には無修正版が出版されました。 物語はイギリスの上流階級にあるチャタレイ夫人が戦争によって性的不能となった夫から後継ぎを作るよう命を受けます。そして労働者階級の男性との恋に陥ちるストーリーです。 問題となったのは1950年に発表された無修正版であり、そこには赤裸々な性的描写が描かれています。これが卑猥であるか否かが大きな問題へと発展していきました。

チャタレー夫人の恋人は翻訳本だった

「チャタレイ夫人の恋人」は英国作家であるD.H.ロレンスが1928年に発表した小説です。つまり日本で罪に問われたのは翻訳本でした。 「LadyChatterley’sLover」と題されたこの作品は性的描写ばかりがクローズアップれていますが、実際は身分・階級問題こそが大きなテーマでした。 1928年といえば全世界に身分・階級制度が蔓延っており、とりわけイギリスでは貧富の差が広がっていました。「チャタレイ夫人」は作品のメインテーマとは関係のない卑猥文書として告訴される事態になります。

 

著者の伊藤整と出版社の小山久二郎が猥褻文書の販売で逮捕された

1950年4月に伊藤整によって発表された「チャタレイ夫人」無修正版は各方面で評価される一方で性的描写が話題となりました。 著者伊藤整としても性的描写ばかりがクローズアップされるのは本意ではありませんでした。しかし当時の日本では性的描写に対して免疫がなく、大きな騒動へと発展してしまいます。 出版からわずか2か月後の6月には警視庁に摘発され、7月に発売禁止となりました。さらに9月には著者である伊藤整、出版社社長の小山久二郎が逮捕・起訴されました。

チャタレイ夫人の恋人事件の最高裁の判断と争点

チャタレイ夫人の恋人事件は刑法第175条が憲法違反であるか否かが争点となります。その結果一・ニ審では決着せず最高裁に判断が委ねられました。ここではチャタレイ夫人の恋人事件の最高裁の判断と争点を具体的に解説します。

表現の自由と公共の福祉が主な争点

「チャタレイ夫人の恋人」が一・ニ審で決着せず最高裁にまで上告された背景には、この作品が極めて芸術性が高いことがあげられます。 単に卑猥文書であるか否かではなく、刑法175条が憲法に定められた表現の自由に違反しているかが争点となりました。さらに公共の福祉の下に表現の自由が制限できるのかも大きな争点だったといえます。 そのためて福田恆存、中島健蔵などそうそうたるメンバーが特別弁護人に名を連ね、その後の文筆業界にも大きな影響を与える裁判になっていきました。

著者の伊藤整と出版社の小山久二郎に有罪判決が下された

一審は昭和27年に東京地方裁判所で結審し、著者の伊藤整には無罪判決が下されました。一方出版社社長の小山久二郎は有罪判決(罰金25万円)となります。 東京高等裁判所で行われた二審では著者の伊藤整に10万円、出版社社長の小山久二郎に25万円の罰金刑が言い渡されました。 二人はこの判決を不服として最高裁に上告します。しかし最高裁では上告が棄却され昭和32年に刑が確定しました。

芸術性のある文章でも猥褻性を含む可能性がある

最高裁ではあらためて「わいせつ」の三要素が示されました。具体的には「性欲を興奮または刺激する」「性的羞恥心を害する」「性的道義観念に反する」といったものです。 このことは表現の自由が争点となった訴訟においても極めて重要な役割を果たします。 裁判では極めて芸術性の高い文学作品であっても卑猥性を含む可能性はあるとしました。つまり、刑法175条の正当性を明確にした上で、憲法違反にはあたらないといった判断です。

筆者の意図は関係なく、客観的な社会通念の視点で判断すべきである

最高裁はチャタレイ夫人の恋人事件の2つ目の争点である公共の福祉についても言及しました。具体的には「筆者の意図は関係なく、客観的な社会通念の視点で判断すべき」といった内容です。 言い換えれば、最高裁が公共の福祉が憲法に定められた表現の自由を抑制できると判断したことになります。 この判断には公共の福祉を持ち出すことによって表現の自由を妨げかねないといった問題点を孕んでいました。

チャタレイ夫人の恋人は猥褻部分を隠した状態で販売が行われた

1957年に最高裁で有罪判決を受けたことにより、伊藤整が翻訳した「チャタレイ夫人の恋人」の無修正版は正式に販売できなくなります。そのため、やむなく該当部分が削除・修正されたバージョンが出版されることになりました。 しかし、英国で「チャタレイ夫人の恋人」の無修正版が無罪を勝ち取ったこともあり、徐々に日本においても環境の変化が見られるようになります。 その結果1973年には羽矢謙一による無修正版、さらに1996年にはあらためて伊藤整・伊藤礼による無修正版が出版されました。

チャタレイ夫人の恋人事件と類似の事件

「チャタレイ夫人の恋人事件」では、憲法に定められた「表現の自由」と猥褻文書の定義が裁判で明らかにされました。 日本ではその他にも同様な事件は数多くあります。1969年には澁澤龍彦翻訳による「悪徳の栄え」(マルキ・ド・サド著)、1980年には「四畳半襖の下張り」が司法の場で争われ、徐々に「わいせつ性」の判断基準が明確になりました。 このような経過と時代の流れの中で、現代社会では「チャタレイ夫人の恋人」をはじめとした、多くの作品に違法性はないとされています。

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