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中華航空140便墜落事故は264名が死亡。事故から26年が経過した今、生存者や事故の原因を解説。

もくじ

1分でわかる中華航空140便墜落事故

  • 中華航空140便が当時の名古屋空港で墜落事故を起こす
  • 事故の原因は操縦士のミス・機体の設計ミス・中華航空の運用ミス
  • 犠牲者遺族と生存者は中華航空とエアバスに損害賠償を請求

中華航空140便墜落事故

「中華航空140便墜落事故」は台湾発名古屋行で運航していた旅客機が、滑走路に墜落した事故です。事故は操縦士の操作ミスと機体自体の設計不備、そして中華航空の運用面の問題から発生しました。 犠牲となった乗客の遺族と生存者は、中華航空と旅客機の製造会社エアバスに対して、民事訴訟を起こしています。

台湾発名古屋行きの飛行機が名古屋空港で着陸に失敗し墜落

「中華航空140便墜落事故」の事故が起きたのは1994年4月26日のことです。中華航空140便は台湾の中正国際空港(現在の台湾桃園国際空港)を日本時間17時53分に出発し、20時頃に名古屋空港(現在の名古屋飛行場)に到着しました。 名古屋空港に着いた140便は滑走路への着陸態勢に入ろうとしましたが、その最中にトラブルで失速して、高度530メートルから墜落してしまいました。墜落した時刻は20時15分45秒でした。

犠牲者は264人

「中華航空140便墜落事故」の犠牲者は「日本航空123便墜落事故」に次ぐ日本の航空史上2番目の人数で、国内の空港の中で起こった飛行機事故に限れば史上最悪の規模となりました。 140便には乗員15名、乗客256名、合わせて271名が搭乗しており、内264名が死亡しました。264名中248名が機内で死亡し、16名は事故後に救助されましたが、いずれも病院への搬送中や治療中に亡くなりました。

生存者は7名 男の子の兄弟が奇跡的に助かった

「中華航空140便墜落事故」の生存者は日本人4名、フィリピン人1名、台湾人2名のわずか7名だけでした。140便は上昇操作中に失速し、やや斜め上を向いたまま後部側から墜落しました。生存者7名は機体前部に座っていたことが幸いして、偶然にも被害を免れたようです。 救助された日本人4名の中には2名の子どももいました。3歳と6歳の男の子の兄弟だったそうです。前部座席の大人も大半が死亡してしまったことを考えると、2人の子どもの生存は奇跡的と言われました。

中華航空140便墜落事故の原因

「中華航空140便墜落事故」は複数の要因が重なって起きてしまいました。原因は大きく分けて3つです。1つは操縦士の操作ミス、2つは機体の設計ミス、3つは設計ミスの機体を使用し続けた運用上のミスです。

操縦士による操作ミス

「中華航空140便墜落事故」で事故を起こした機体は、エアバス・インダストリー(現在のエアバス)の「A300-600型」という旅客機でした。 当時140便を操作していた副操縦士は、推力を調整するオートスロットルをOFFにするつもりが、誤ってゴー・アラウンド(着陸やりなおしモード)のスイッチを入れてしまったのです。副操縦士も機長もこの操作ミスには気づきませんでした。 操縦士の着陸操作に対して、自動操縦が相反する機体姿勢を保ったことから、最終的に140便は失速して墜落しました。

エアバスA300の機体の問題

エアバス「A300-600型」の自動操縦は、当時新しく導入されたシステムでした。この自動操縦システムのトラブルは、「A300-600型」の運用が始まった1984年の翌年から、数回にわたって起こっています。 一般的な旅客機の場合、一定以上の力が機体にかかると、自動操縦は解除されるようになっています。140便の機長も副操縦士もその認識を持っていました。 ところが「A300-600型」は自動操縦中のに操作しても自動操縦が解除されず、ゴー・アラウンドのモードで着陸しようとしても、操作を誤認して逆に上昇する仕様になっていました。

事故機を改修せず使用していた

「中華航空140便墜落事故」を引き起こしたエアバス「A300-600型」の問題は、実は以前から危険性が指摘されていました。自動操縦のマニュアルにも、自動操縦中の上下の手動操作が危険であることは記載されていました。 中華航空は「A300-600型」の危険性を過小評価しており、事故に先立つ1988年にエアバスから「A300-600型」のリコールが出ていたにもかかわらず、改修を先延ばしにしていました。 結果として、未改修のシステムが1つの要因となって事故が引き起こしてしまいました。

中華航空140便墜落事故の裁判と遺族による損害賠償請求

「中華航空140便墜落事故」から約1年半経った1995年11月、犠牲となった87名の遺族と生存者1名の合計88名は原告団を作り、中華航空とエアバスに対して総額約196億円もの損害賠償を請求する民事訴訟を起こしました。 この裁判は原告者の総数と損害賠償の金額が、日本裁判史上でも最大の訴訟となりました。中華航空とエアバスの裁判結果をそれぞれご紹介します。

中華航空に対し約50億円の損害賠償請求

原告団の弁護側は「中華航空140便墜落事故」のエアバス操縦士の操作ミス、マニュアル周知の不徹底、当該事故機をリコールしなかったことを重大な過失と主張しました。一方中華航空は、操縦士のミスは不可抗力で、エアバスの作成したマニュアルに不備があったと反論しました。 名古屋地裁は2003年12月26日、原告団の主張をおおむね認めた判決を出しています。被害者1人あたり約1200万円から約1億円として、総額約50億円の損害賠償支払いが中華航空に命じられました。 原告の一部は判決を不服として名古屋高裁まで控訴していましたが、2007年4月に中華航空が事故責任を認めたことで調停(和解とほぼ同義)が成立しました。

エアバス社は罪に問われなかった

原告団は「A300-600型」を製造したエアバス側にも、危険性を認識していながら積極的な改善措置が行われなかったことを理由に、エアバスの製造物責任を訴えました。 エアバス側は「中華航空140便墜落事故」はあくまで中華航空の過失であり、操縦者の不手際で重大事故が起こることは予見出来なかったと反論しました。 2003年12月26日、名古屋地裁は事故の原因は操縦士のミスとして、原告団の請求を棄却しています。エアバスは中華航空140便墜落事故において罪に問われませんでした。

事故の多い中華航空(チャイナエアライン)

中華航空(チャイナエアライン)は1959年に設立された台湾の航空会社です。台湾最大の航空会社ですが、設立後の1960年代から2000年代前半まで、死傷者の出た航空事故が頻発していました。 特に記憶に新しいのは、旅客機が台湾海峡の上空で分解した2002年の「チャイナエアライン611便空中分解事故」と、那覇空港に着陸した旅客機が爆発炎上した「チャイナエアライン120便炎上事故」でしょう。 一時は「空飛ぶ棺桶」という異名を持っていた中華航空(チャイナエアライン)ですが最近では第三者機関から安全性を認められており、過去の教訓が生かされているようです。

中華航空140便墜落事故に類似の航空機事故

日本国内の航空会社も「中華航空140便墜落事故」のような墜落事故をいくつか起こしています。 ここからは日本の航空史上で最大の犠牲者を出した「日本航空123便墜落事故」、墜落原因がショッキングな「日本航空350便墜落事故」について事故の概要をご紹介します。

日本航空123便墜落事故

「日本航空123便墜落事故」は日本航空のJAL123便が、1985年8月12日に群馬県の高天原山に墜落した事故です。当時乗っていた524名中、520名が亡くなりました。日本ではもちろんのこと、世界でも最悪の単独機の墜落事故です。 123便は1978年、千歳空港への着陸後に滑走路でバウンドを起こした「日本航空115便しりもち事故」と同じ機体でした。その時のボーイング社の修理がずさんだったことが原因で、123便の墜落事故が起こったのです。

日本航空350便墜落事故

「日本航空350便墜落事故」は1982年2月9日に起こった特殊な飛行機事故です。福岡から羽田空港に向かっていたJAL350便が東京湾に墜落しました。当時乗っていた166名中149名が重軽傷を負って、24名が死亡しました。 350便の機体には整備不良はなく、事故の原因は機長の精神疾患でした。機長が着陸の最中に錯乱し、機首下げとエンジンの逆噴射を行ってしまいました。急降下した機体は滑走路の510メートル手前に墜落しました。

まとめ

飛行機は今や国内国外を問わず、長距離移動に欠かせない乗り物です。一度事故が起これば大惨事になるのは事実ですが、事故率の統計で見れば世界で飛行機はもっとも安全とされています。 と言っても。「中華航空140便墜落事故」は痛ましい事故でした。この事故を教訓として、技術と知識の蓄積で悲惨な航空事故が廃絶されることを願ってやみません。

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