1分でわかる鶴見事故
- 1963年11月9日神奈川県で起きた列車脱線多重衝突事故
- この事故による死者は161名、重軽傷者120名にのぼった
- 被害者遺族による事故現場近くに慰霊碑が建立された
鶴見事故の概要

「鶴見事故」は国鉄昭和五大事故といわれるほど被害が大きいものでした。貨物列車が脱線し旅客列車と衝突したことから死傷者が増加し被害が拡大しました。 さらに「鶴見事故」が発生する前年の1962年にも「三河島事故」という列車脱線事故が起こっていたため国鉄は連続で脱線事故を起こすこととなり国鉄の事故対策や管理体制などに大きな非難を浴びることとなりました。ここでは「鶴見事故」の概要について、詳述します。
1963年に起きた列車3台が絡む脱線衝突事故
1963年11月9日の21時40分過ぎに「鶴見事故」は発生しました。定刻より4分遅れて走行していた下りの貨物列車が脱線したのが始まりです。 脱線した貨物列車は架線柱に衝突し、上り線の線路に入り込み、約90kmで侵入してきた上り線を走行していた旅客列車が脱線していた貨物列車と衝突しました。 そのため上りの旅客列車の一部が下り線にはじき出され、そこに貨物列車の後を走行していた旅客列車が衝突したのです。このため3台の列車が絡む、甚大な被害をもたらした脱線衝突事故となりました。
事故発生現場は鶴見駅と新子安駅の間
「鶴見事故」が発生したのは国鉄東海道本線鶴見駅 と新子安駅の間にある滝坂不動踏切から500メートルほどのあたりでした。 実は脱線した貨物列車の後ろを走行していた旅客列車は事故を発見してすぐに減速するとともに非常制動をかけています。 しかしほぼ同じタイミングで上りの旅客列車が線路内に侵入したことで衝突を避けることはできませんでした。
列車の一部は大破して死者161名・負傷者120名を出した
「鶴見事故」では90km/h前後の旅客列車が脱線した貨物列車に時間をおかずに衝突してしまったことが被害を大きくしました。 衝突によって下り車線に弾き出された上り旅客列車の先頭車両が下りの旅客列車の側面に衝突しました。 そのため下り列車の中には原形を留めないほどに粉砕された車両もあり、死者161名・負傷者120名にのぼる大惨事となったのです。
鶴見事故の原因

事故発生を受け国鉄は鶴見事故技術調査委員会を設けて調査に乗り出しました。そして廃線を利用して実際に列車を脱線させるという検証事件も行っています。 ここでは「鶴見事故」の原因について、詳述します。
脱線の原因は様々あった
「鶴見事故」発生を受けて国鉄ではすぐに調査を開始しました。その結果ワラ1形と呼ばれる貨車がカーブから直線になるところでレールに乗り上げていたことがわかったのです。 しかし脱線した列車車両の車輪や脱線した場所のレールを調べても異常は見つかりませんでした。その後2回にわたって配線を利用した走行試験を行いましたが、脱線の理由は判明しなかったのです。 そのため「鶴見事故」の要因は車両の問題や積載量・線路状況・過疎現速度などが積み重なった競合脱線であると発表されました。
三河島事故の原因と通づる
「鶴見事故」が起こった前年である1962年には「三河島事故」が発生しています。 この原因は貨物列車が停止信号に気づくのが遅れたことで脱線し、下り本線に飛び出した貨物列車の車両に旅客列車が衝突したことでした。三河島事故でも旅客列車が巻き込まれたことから多くの犠牲者が出ました。 前年に類似した原因で事故が起きているにもかかわらず鶴見事件が防ぐことができなかったことに関しては、国鉄側の対応に疑問が残ります。
鶴見事件のその後

「鶴見事故」並びに「三河島事故」の要因は競合脱線とされていました。しかし主な要因がわからないため原因不明といっても過言ではない状況だったのです。 そのため「鶴見事故」を風化させてはならないと、その後に色々な動きがありました。ここでは「鶴見事故」のその後について、詳述します。
事件現場近くに遺族によって慰霊碑が建てられた
「鶴見事故」の現場からほど近い岸谷1丁目に「国鉄鶴見事故遭難者供養之塔」という慰霊碑が建立されました。これは事件を風化させてはならないという被害者の遺族が建てたものです。 現在でも事故が起こった11月9日には慰霊碑がある總持寺において、JRと一部の遺族によって慰霊祭が営まれています。また年に4回はJR職員が慰霊碑の清掃を行っているそうです。
脱線防止の対策
「鶴見事故」に関する調査は1972年2月まで続きました。その調査報告を受けて脱線防止の対策をとることになります。 具体的な内容としては護輪軌条やレール塗油器の設置や2軸貨車のリンクと車輪踏面形状の改良などがあげられます。 こうした対策は1975年に終了し、その後はほとんど競合脱線は起こっていません。
まとめ

貨物列車の脱線時に上下線ともに旅客列車が進入したことで被害が拡大した「鶴見事故」について解説しました。 前年の「三河島事故」から2年連続での脱線衝突事故であったため、国鉄内での調査や防止対策に時間を要しています。 しかし平成になっても「福知山線脱線事故」が起こりました。過去の事故を教訓に再び悲劇がくり返されないことを願うばかりです。