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豊川信用金庫事件はデマが原因で預金の一斉引き出しが起きた事件。心理学の観点からも考察。

もくじ

豊川信用金庫事件の概要

  • 女子高生の噂話が発端
  • 豊川信用金庫が倒産するという噂が一気に拡散
  • トイレットパーパー騒動など類似の騒動も

「豊川信用金庫事件」は女子高生の会話がきっかけとなり、1週間で約26億円もの預金が引き出されるという大騒動に発展しました。 ここでは「豊川信用金庫事件」の概要について説明します。冗談を交えた会話が噂となりパニックが起こる過程に何が起きたのか、時系列に詳述していきます。

女子高生の3人組の電車での話が発端

「豊川信用金庫事件」の発端は、女子高生3名による他愛もない雑談でした。豊川信用金庫に内定していた女子高生が友人に対し、「豊川信用金庫は危ない」と冗談で話しました。しかしそれは「銀行強盗がくるかもしれないから危険」という冗談であり豊川信用金庫の経営が危ないという内容ではなかったようです。 しかし字面のみを鵜呑みにした女子高生は、親戚に豊川信用金庫の経営が危ないのかどうかの相談を持ちかけます。その相談を受けてその親戚も別な人に、豊川信用金庫の危険性を相談しました。その際に経緯を説明しなかったことで、「豊川信用金庫が危ないらしい」という話に変化していったようです。

あっというまに噂は広まった

「豊川信用金庫は危ないのか」と電話で聞かれた親戚は翌日、美容院経営者に「豊川信用金庫は危ないらしい」と伝えました。すると美容院経営者は自身の親戚にも同じことを伝えたのです。その場にはクリーニング業者が居合わせていました。 そしてクリーニング業者はそれを妻に話し、そこから近所に住む主婦の間で噂となります。道端で井戸端会議に興じる主婦たちの会話を、通りがかりの住民が聞いたことでさらに噂は広まっていきました。

豊川信用金庫が倒産するという断定した噂にすり代る

主婦の噂話を耳にした住民が話題にするときには、「豊川信用金庫は危ない」という断定した言い方に変わっていました。そのタイミングで、たまたまクリーニング業者のところで電話を借りた人が「豊川信用金庫から120万円を引き出してほしい」と相手に話しました。 それを聞いていたクリーニング業者の妻は、豊川信用金庫が倒産するから預金を引き出そうとしていると勘違いしてしまいます。そしてクリーニング業者夫婦は自分たちも豊川信用金庫から預金を引き出し、知人に「倒産する」と伝えてしまいました。

豊川信用金庫事件の心理学的な考察

「豊川信用金庫事件」はデマが社会に与える影響について考察する事例として、心理学や社会学の研究材料となっています。 当時は近所の主婦による井戸端会議や噂話は情報源として有効でした。そして悪い噂ほど大げさにそして急速に広まっていくものです。さらに何度も同じ噂を聞くことで、「真偽がわからなくても事実だと思い込んでしまう」という人間心理を浮き彫りにさせた事例でもあると言えます。

豊川信用金庫事件の類似の事件

「豊川信用金庫事件」の発生前には、オイルショックを背景にした「トイレットペーパー騒動」が起こりました。また、それ以外にもデマがもとになって広がった事件がいくつかあります。 ここでは「トイレットペーパー騒動」と「佐賀銀行倒産デマ事件」「東京渡辺銀行取り付け騒ぎ事件」を取り上げて説明します。

トイレットペーパー騒動

「トイレットペーパー騒動」はオイルショック時に起こったものです。1973年10月に原油産油国が原油価格を70%引き上げると決めたため、政府が国民に紙の節約を呼びかけました。 それをきっかけに、「10月下旬には紙がなくなる」というデマが広がり始めます。そして同年11月に大阪市内のスーパーが、「紙がなくなる!」という特売広告を打ちました。それは「激安で販売するので売り切れる」という意図でつくられたものでしたが、デマを信じた主婦が殺到し特売品以外の在庫品まで売り切れる事態となりました。 さらにトイレットペーパーの売り切れを知った新聞社が「あっという間に値段は2倍」と書いたため、大騒動となりました。

佐賀銀行倒産デマ事件

「佐賀銀行倒産デマ事件」は2003年12月に起こりました。そのきっかけは当時23歳だった佐賀県在住の女性が、友人から「12月26日に佐賀銀行が潰れるらしい」という話を聞いたことでした。 その女性は電話で聞いた話を、知人26名に携帯メールで送ります。すると受信した友人たちも自分の知人に電話やメールでその話を伝え、チェーンメールとなりました。 その結果として取り付け騒ぎが起こり、ATMや窓口に預金者が殺到し約500億円がひきだされる事態となりました。しかし「佐賀銀行倒産デマ事件」は、翌日には沈静化しています。

東京渡辺銀行取り付け騒ぎ事件

「東京渡辺銀行取り付け騒ぎ事件」は1927年に起こりました。きっかけは1927年3月に行われた衆議院予算委員会の席で、当時大蔵大臣であった片岡直温が「東京渡辺銀行がとうとう破綻をいたしました」と失言したことでした。 当時の東京渡辺銀行は関東大震災によって経営は悪化していたものの、資金繰りにもかろうじて成功していました。しかし片岡直温の失言が引き金となり噂は一斉に広がり取り付け騒ぎが起きてしまいました。その結果東京渡辺銀行は経営破綻を余儀なくされました。

 

まとめ

女子高生の雑談が取り付け騒ぎに発展した「豊川信用金庫事件」について説明してきましたが、理解していただけましたか。 インターネット上に真偽がわからない情報があふれている現代は、デマや噂が広がるスピードも速くなっています。だからこそ「口は禍の元」であると、自戒することが大切です。その意味でも「豊川信用金庫事件」は、教訓を与えてくれる事件だったといえるでしょう。

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