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昭和電工事件は戦後の大規模な贈収賄事件。内閣総辞職に至り逮捕者も続出した事件の真相は?

もくじ

昭和電工事件の概要

「昭和電工事件」は戦後の混乱期に起こった一大贈収賄事件です。日本の政財界・官界や当時日本を実質的に統治していたGHQをも巻き込んだ事件で、昭電事件(しょうでんじけん)、昭電汚職(しょうでんおしょく)、昭電疑獄(しょうでんぎごく)とも呼ばれています。 まずはどのような事件であったのか、その概要を確認しましょう。

政界を巻き込んだ贈収賄事件

当時大手化学メーカーだった昭和電工の日野原節三(ひのはらせつぞう)社長は、復興金融公庫からの融資を得るために政府高官や金融機関幹部に対して贈賄工作を仕掛けます。 収賄側として当時日本の民主化を進めていたGHQ民政局に所属する高官の名前も取り沙汰され、裏にはGHQ内で民政局のライバルであった別の部局の暗躍があったとされています。 捜査はGHQからの圧力や米国のマスコミもからみ紆余曲折し、結果的に多くの政治家や金融界幹部の逮捕に至りましたが、裁判では大半の政治家は無罪になりました。

事件が起きたのは戦後の1948年

「昭和電工事件」は戦後間もない1948年に発覚しました。最高裁の判決が1962年ですから足かけ14年にわたって我が国の政財界を揺るがせた大事件になりました。 1947年太平洋戦争による復興資金の供給を目的に、政府全額出資による特殊法人として復興金融公庫が設立されました。復興金融公庫は日本銀行引き受けの復興金融債の発行により巨額の資金を調達し、これを傾斜生産方式による考え方のもと特定の企業に集中的に資金を供給しました。 昭和電工の日野原社長はこの資金に目を付けたのです。

昭和電工株式会社

「昭和電工事件」の当事者である昭和電工株式会社(以下、昭和電工)はどのような会社なのでしょうか。後々様々な事件に関わっていく昭和電工ですが、現在も多くの子会社や関連会社を持つ一大化学メーカーグループです。 「昭和電工事件」を知るうえで、昭和電工の会社概要や主な事業について理解しておきましょう。

昭和電工株式会社の概要

昭和電工の前身は日本電気工業と昭和肥料です。1939年に両者が合併し、二つの会社の字を併せて昭和電工と称しました。因みに昭和肥料は味の素傘下の企業でした。 本社は東京ですが、大坂、名古屋、福岡に支店があります。大坂、川崎などに13の事業所を持ち、千葉など3カ所に研究拠点も持っています。 2018年12月31日現在で、資本金は140,564百万円、グループ全体の従業員数は10,476人です。

昭和電工株式会社の主な事業

昭和電工は総合化学メーカーとして位置づけられていますが、高収益の事業に特化する戦略をとっており「脱総合化」「個性派化学」を目指しています。 事業部門は石油化学事業部門、化学品事業部門、無機事業部門、アルミニウム事業部門、HD事業部門、エレクトロニクス事業部門と多岐にわたっていますが、現在は電子・情報材料部門に注力しています。 特にHD(ハードディデスク)事業は生産能力と高記憶密度技術で世界トップを誇っており、外販メーカーとしては世界トップクラスのシェアを持っています。

昭和電工事件の経緯

ここからメインテーマである「昭和電工事件」の核心に迫っていきます。事件はどのようにして始まり、またどのような展開を見せ最終的にどうなったのでしょうか。 GHQをも巻き込んだ一大贈収賄事件は、多くの増収賄事件がそうであるように警察の地道な内偵から始まりました。

事件発覚までの経緯

最初に捜査に手を付けたのは警察でした。捜査第2課長の指揮のもと水面下で内偵が進められました。 内偵を進めるうち事件の重大さがわかってきます。政界の大物が関わっているだけでなく、当時日本を実質的に統治していたGHQの幹部も金を受け取っていたことが発覚したのです。 この事件が明るみに出ると政府が転覆するかもしれないという危機感を抱きつつ警察の捜査が進められましたが、その後GHQが乗り出すに至って事態は一変します。

事件発覚後、多くの逮捕者を出す

「昭和電工事件」にGHQの幹部が関わっていたことが判明し、GHQは圧力を掛けてきます。捜査から警察を閉め出し検察主導で捜査が進められるようにしたのです。 表向きは「警察は情報を漏らす」というのが理由でしたが、当時検察はGHQのいうがままという状態でしたので、GHQが捜査をコントロールしやすくするためだったとされています。 その後米国のマスコミ関係者の関わりなどがあって捜査は紆余曲折(うよきょくせつ)します。最終的には検察の捜査によって政府高官や閣僚が相次いで検挙されましたが、GHQの疑惑は表面化されませんでした。

芦田均内閣は総辞職

「昭和電工事件」では大物政治家が相次いで検挙されました。 当時大蔵省の官僚だった後の首相である福田赳夫(ふくだえつお)や野党民主自由党の重鎮であった大野伴睦(おおのばんすい)の逮捕に始まり、やがて政府高官や閣僚の逮捕にまで及ぶことになりました。 ついに栗栖赳夫(くるすたけお)経済安定本部総務長官や西尾末広(にしおすえひろ)前副総理が検挙されるに至り、芦田内閣は総辞職をもって崩壊してしました。その後、首相であった芦田自身も逮捕されましが、裁判では栗栖以外の政治家は無罪放免となりました。

昭和電工事件の関係者・逮捕者

「昭和電工事件」では贈賄側・収賄側として、政財界や官界、GHQなど多くの関係者が事件に関わりました。 ここではそれぞれの関係者がどのように関わったのか、その結果はどうだったのかを追っていきます」。

日野原節三

「日野原節三」は「昭和電工事件」の中心人物の一人です。昭和時代における実業家の一人で、東京帝国大学を卒業し太平洋戦争の後日本水素工業の社長を務めました。 1947年昭和電工の社長に迎えられ、会社を再建するために復興金融公庫の巨額資金に目を付けました。復興金融公庫から融資を受けるためにGHQを含め政治家や官僚に贈賄や政治献金を行いました。 日野原は1948年に逮捕され最高裁まで争いましが、1962年に懲役1年・執行猶予5年の判決が確定しました。

二宮善基

「二宮善基(にのみやよしもと)」も昭和時代における実業家の一人です。東京帝国大学を卒業し日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行し副総裁を務めた後退行しました。 その後東洋曹達工業に迎えられ社長、会長を歴任しました。経済界でも活躍し、1962年には経済同友会の代表幹事に就任しました。 「昭和電工事件」当時復興金融公庫の理事を務めており、昭和電工の日野原社長から125万円の現金のほか家屋修理や洋服の便宜供与を受けました。

福田赳夫

「福田赳夫(ふくだえつお)」は後の首相を務めたことで有名です。東京帝国大学卒業後高等文官試験(高級官僚の採用試験、今の国家公務員試験)にトップで合格し大蔵省(現財務省)に入省します。 大蔵省の主計局畑で順調に出世し、「昭和電工事件」当時は主計局長を務めていました。日野原社長から10万円の現金を受け取り逮捕されます。 裁判では無罪となったものの、これを期に大蔵省を退官し政界に打って出ます。政界入りした後は岸信介に仕え、党幹事長や大臣を歴任し後に首相になりました。

栗栖赳夫

「栗栖赳夫(くるすたけお)」も東京帝国大学を卒業後日本興業銀行(現みずほ銀行)に入ります。学究肌の人でしたが総裁まで昇りつめました。その後政界に入り芦田民主党総裁の覚えめでたく、大蔵大臣、経済安定本部総務長官を歴任します。 「昭和電工事件」が発覚すると大蔵大臣時代に復興金融公庫融資委員長として昭和電工から45万円の現金を受け取った容疑で、現役閣僚でありながら逮捕されます。 1962年11月最高裁において懲役8ヶ月、執行猶予1年の刑が確定されました。晩年はほぼ破産状態だったとされています。

その他の関係者(昭和電工)

「昭和電工事件」では44人が起訴されました。もちろん昭和電工においても日野原社長以外に該当者がいます。 藤井孝(ふじいたかし)常務も日野原社長とともに、贈賄容疑で逮捕・起訴されました。 藤井常務が担当したのは主に金融関係者で、安田銀行や三和銀行の中堅幹部でした。両銀行は復興金融債の融資事業に関係していたのです。藤井常務の贈賄額は数万円単位のものでした。

その他の関係者(政界)

芦田内閣が「昭和電工事件」で総辞職に追い込まれたのは西尾末広(にしおすえひろ)前副総理の逮捕が大きかったとされています。 来栖総務長官の逮捕までは何とか持ちこたえていたものの、西尾前副総理の逮捕に至りさすがに持ちこたえられなかったのです。 前述のように政界関係者では、裁判の結果来栖以外は全員無罪放免になっています。「受け取った金銭等は賄賂だったとの意識はなく政治献金だった」という主張が認められました。

その他の関係者(GHQ)

「昭和電工事件」の影の主人公はGHQでした。当時日本を実質的に統治していたGHQは、日本の民主化を進めていた民政局と反共対策を担当していた参謀2部で主導権争いをしていました。「昭和電工事件」はこの争いの巻き添えを食ったという見方をする人もいます。 昭和電工から金銭等を受け取ったとして、GHQ民政局のチャールズ・ケーディス大佐ら幹部の名前があがり、これを切っ掛けに大差は失脚しします。裏にはライバルの参謀2部のチャールズ・ウィロビー少将らの暗躍があったとされています。 GHQは「昭和電工事件」の捜査を自分たちのペースで進めるために各方面に圧力をかけ、捜査主体を警察から検察に移させ結果に大きな影響を与えました。

昭和電工によるその他の不祥事

昭和電工は「昭和電工事件」以外にも幾つかの社会的に問題となった不祥事を起こしています。 ここでは、「新潟水俣病」「トリプトファン事件」「川崎公害」「排水データ偽装事件」の四つをとりあげてその概要を解説します。

新潟水俣病

水俣病は九州熊本のものが有名ですが、第二水俣病と呼ばれているのが昭和電工が新潟で起こした「新潟水俣病」です。1965年に確認され、四大公害病の一つとされています。 昭和電工鹿瀬工場はメチル水銀を阿賀野川に排出します。これが植物連鎖によって人体に影響を及ぼしたのです。 四大公害病の中で発生はもっとも遅かったのですが、訴訟は最も早く提起されました。三次訴訟まで訴訟が起こされましたが、昭和電工は不都合な資料を全て廃棄して証拠隠滅を図っており、全容解明は難しいとされています。

トリプトファン事件

「トリプトファン事件」はアメリカで起こった事件です。昭和電工は人間の必須アミノ酸の一つである「L-トリプトファン」を製造していました。 1980年代末〜1990年代前半にかけて、昭和電工が製造した一部の「L-トリプトファン」が含有された健康食品を服用したアメリカ人に、大規模な健康被害が起こりました。被害件数は1,500件以上、死者は38名にも及びました。 健康障害は「好酸球増加筋肉痛症候群(eosinophilia–myalgia syndrome:EMS)」というものでした。当初健康食品の不純物が原因として疑われましたが、調査の結果「L-トリプトファン」の過剰摂取が原因として認定されました。

川崎公害

「川崎公害」は「川崎喘息」ともいわれ、戦前から戦後高度成長期にかけて神奈川県川崎市で喘息などの健康被害を起こした大規模公害事件です。 特に国の高度成長政策の一環で行われたエネルギー転換政策のもと、川崎市に整備された大規模コンビナートによる排ガスがその原因とされています。 発生源としては、日本鋼管(現JFE スチール)や東京電力のほか昭和電工もあげられています。昭和電工は1994年の判決により他の企業とともに賠償金の支払いを命じられ、1996年に和解が成立しました。

排水データ偽装事件

昭和電工千葉事業所は2004年(平成16年)1月から12月にかけて排水の記録データの偽造を行いました。決められている一日の排水量を1年間で58回上回っていたデータを書き換えたのです。 一日の排水量は自治体との公害防止協定で定められていました。この基準値内におさまるよう排水記録データの書き換えを行い、基準値内にあると自治体に報告したのです。 行った社員の二人は書類送検されました。 我が国の政財界では未だに似たような事件が後を絶たないのが残念でなりません。我々も自分の足下を確かめ、改めるべきは改めたいものです。

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