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少年ライフル魔事件は片桐操による銃乱射立てこもり事件。犯行動機や事件の真相は?

もくじ

1分でわかる少年ライフル魔事件

  • 1965年に起きた銃乱射立てこもり事件
  • 犯人は未成年の少年で、銃に異常な執着心
  • 被害者1名かつ未成年の犯行では異例の死刑判決

少年ライフル魔事件の概要

少年ライフル魔事件は1965年7月神奈川県の山林で発生した事件です。山林で銃を撃っていた少年が通報され、警察官と撃合いになりました。少年はこの時に警察官1人を殺害し、逃亡して銃砲店へ立て籠もるなど大事件へと発展します。

銃を好む少年が山中で発砲

1965年7月29日当時18歳だった犯人の少年は神奈川県座間町(現在の座間市)の松林で、空気銃を使用してスズメなどに向かって発砲していました。 少年は幼少期から銃に強い憧れを持っており、たびたび射撃場に通うほど銃の扱いになれていたようです。しかし射撃場以外で発砲するのはこの日が初めてでした。 少年が銃を撃っていた場所は猟銃などの使用禁止区域だったことから、まもなく警察へ通報されます。一説には自分で通報したともいわれていますが、さだかではありません。

駆けつけた警察官に発泡し殺害

通報を受けて駆けつけた警察官1名は銃の使用をやめるように呼びかけて、少年を注意しました。 気分を害した少年は脅すつもりで警察官に銃を向け、発砲してしまいます。しかし銃の狙いは外れ、少年は誤って警察官の胸部を撃ち抜いてしまいました。 撃たれた警察官はピストルで反撃しようとしたようですが、少年が空気銃で殴りつけたことがトドメとなって死亡しました。こうして少年は衝動的に殺人を犯してしまいました。

警察官の銃や制服を奪い逃走

少年は警察官を殺害後ピストルや警察手帳、制服などを奪いました。 その後少年は現場に遅れて到着した警察官2名を襲撃し、2名のピストルを渡すよう要求します。少年は1発ずつ発砲し、その場から逃げ出しました。 警察官2名のうち1名は腹部を撃たれて重傷となりましたが、もう1名はベルトのとめ金のおかげで奇跡的に無傷だったとのことです。

銃の販売店に立てこもり銃撃戦となる

少年は警察官になりすまして民間人を騙し、山林地帯から町田市へと向かいました。途中で本物の警察官に見つかって止められてしまいますが、付近にいた別の車に乗り込み運転手を人質にしてさらに逃亡を続けます。 少年はこの後同じ人質を運転手代わりに使って、2度車を乗り換えました。 東京方面へ向かって車で逃走した少年は事件発生から数時間後の午後6時に渋谷区の銃砲店に押し入りました。少年は店員らを人質にして立てこもり、店を包囲した警察と銃撃戦を繰り広げましたが、午後7時20分頃に逮捕されました。

少年ライフル魔事件の犯人・片桐操

事件を起こした少年の名前は片桐操(かたぎりみさお)です。銃撃戦はテレビ中継もされたことで、事件は社会的に注目されていましたが、当時まだ未成年だった少年が犯人だったことは大きな衝撃となりました。捜査で判明した少年の犯行動機はさらにショッキングなものでした。

片桐操の生い立ち

片桐操は1947年に生まれました。4人兄弟の末っ子で、父親が第2次大戦中に陸軍兵士だった影響から銃に興味を持つようになったようです。銃好きが高じて小学5年生の時に自分で傘を改造したお手製の銃を作ったこともあります。花火の火薬を利用して実際にビー玉を発射可能だったそうです。 中学を卒業した片桐操は自衛隊へ入隊しようとしましたが、試験に落ちて断念しました。その後は自動車修理工やタンカー船のコック見習いなどの仕事で資金を溜め、銃を購入していきました。 片桐操は少なくともライフル銃と散弾銃、各1丁ずつ所持していたといわれています。

片桐操の犯行動機

片桐操が銃撃戦で逮捕された後、世間は彼が未成年だったこと、そして取り調べで語った犯行動機で大きな衝撃を受けました。 片桐操は事件を起こした動機として、大藪春彦の小説「野獣死すべし」を挙げました。同作は激しいガンアクションが特徴のハードボイルド小説で、片桐操は劇中の出来事を体験してみたかったと語りました。 事件直後は反省するそぶりも見せないどころか、「好きなだけ撃てて満足した」という趣旨の発言もしています。

少年ライフル魔事件で片桐操に死刑判決

1967年4月に行われた横浜地裁の裁判で片桐操は無期懲役の判決を下されました。 続く控訴審の東京高裁は1968年11月に無期懲役を破棄して死刑を宣告します。さらに翌年1969年10月に最高裁が東京高裁の判決を支持したことで死刑が確定しました。 片桐操の残虐性が根深く、懲役刑での矯正は不可能とというのが死刑の理由です。また片桐操も裁判を通じて自身の持つ抑えがたい銃への興味を語り、死刑を望む発言をしています。そして1972年7月21日宮城刑務所に収監されていた片桐操の死刑が執行されました。享年25歳でした。

少年ライフル魔事件に類似の立てこもり事件

よく似た類似事件に永山則夫連続射殺事件があります。1968年に発生した事件で、当時19歳だった犯人の永山則夫が拳銃を使用して、東京・京都・北海道・愛知県の4都市で4名を射殺しました。 事件は永山則夫が横須賀のアメリカ海軍基地に不法侵入し、拳銃を強奪したことから始まりました。そして永山則夫は社会への復讐と称して1ヶ月あまりのうちに4名を殺害しました。 永山則夫は育児放棄された8人兄弟の末っ子でした。犯行は自身の不遇を社会に責任転嫁した逆恨みです。永山則夫は10年におよぶ裁判で死刑が決定し、1997年8月1日に死刑執行されました。獄中生活で手記や小説などを執筆し、作家としても活躍しました。享年は48歳でした。

少年犯罪の心理

少年ライフル魔事件は未成年が起こした犯罪だったことから、片桐操の心理状態・精神状態が注目されました。事件は日本では珍しい拳銃による立てこもり事件だったので、長時間におよぶ警察との対峙が犯人の心理状態にどう影響するかは重要な点でした。片桐操が未成年かつ殺害1名で死刑となったことも、彼の精神状態と深く関係しています。

立てこもり事件の犯罪心理

多くの立てこもり事件は警察にとって犯人との戦いであると同時に、時間との戦いでもあります。そこで重視されるのが立てこもり犯の心理状態です。 立てこもり事件が通常の犯罪と異なる点は警察と犯人が長時間対峙することです。その中で犯人は警察の動向や人質に気を配らなければいけないので、多大なストレスに苛まれます。 立てこもりが長引けば長引くほどストレスから犯人が最悪の行動に出る可能性が高くなります。そのため警察は人質の安全はもちろん、犯人の精神状態も考えて突入や交渉を進めなければいけません。

未成年で一人の殺害で死刑になった稀なケース

少年ライフル魔事件は若すぎる犯人ということやショッキングな犯行だけでなく、裁判の結果も注目された事件です。片桐操の死刑判決は当時も現在も異例中の異例でした。 日本の裁判で死刑が宣告される場合、大抵は残酷な手口による複数名殺害が理由となります。被害者が1名の殺人事件で死刑判決が出たのは1950年以降で10件ほどしかありません。犯人が未成年となると、さらに少なくなります。 つまり異例の判決となるほど片桐操の心理状態が危険だと判断されたわけです。片桐操は死刑執行の直前、教誨師(受刑者に道徳を説く者)に自分のような凶悪犯罪者ではなく、できる限り多く真っ当な人間を育てるよう言い残しています。

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