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砂川事件は立川基地拡張を発端とした憲法問題。争点の統治行為論や憲法9条、最高裁の見解は?

もくじ

1分でわかる砂川事件

砂川事件の要点

  • 米軍の立川基地拡張に対する反対運動が発端
  • 在日米軍のが違憲か否かが争点となり、結果は合憲に
  • 反対運動の人々が有罪になった後、立川基地は移転に

砂川事件(すながわじけん)を知っていますか。 砂川事件は、アメリカ軍の基地拡張に反対する住民の反対闘争のことです。1957年に事件が発生し、その後裁判に発展し、1963年の最高裁の確定判決で決着をみます。 その過程でなされた最高裁判所の判決が「憲法9条が我が国の自衛権を否定するか」「安保条約に対して司法の審査権が及ぶか」などの重要な論点について判断を下しており、今日に至るまで重要な判例として影響を与え続けています。

砂川事件の概要

1957年7月8日、当時の東京都北多摩郡砂川町で,立川米軍基地を拡張するための測量に反対する地元民らが立入禁止の境界柵を破壊して基地に侵入、うち7名が安保条約刑事特別法違反として起訴されました。 この事件は、直接的には一つの刑事事件にすぎませんが、裁判所は無効な法律を適用して処罰することはできません。前提として旧安保条約の合憲性が争われることになったわけです。

米軍の立川基地の拡張への反対運動

事件の発端は終戦10年を経過した1955年です。同年3月、在日米軍は日本政府に立川ほか4飛行場の拡張を要求しました。同年5月に、立川基地拡張を通告された住民は、砂川基地拡張反対同盟を結成、総決起大会を開き反対を訴えました。 この反対運動は、町議会を巻き込み、その後労働組合や社会党、労働者農民党が闘争を支援するまでとなりました。 土地収用のための測量実施派と測量阻止派のせめぎあいが続く中、翌1956年10月には砂川町の芋畑で地元農民らと武装警官隊が衝突し、千人を超える負傷者が出る事態に至りました。

デモ隊のうちの7名が米軍基地内に侵入

政府はこの闘争を受けて測量中止を発表しました。しかし、翌1957年7月にふたたび事件が起こります。土地の返還請求訴訟を起こしていた基地内の民有地の強制測量に住民が反対したのです。 特別調達庁東京調達局(連合国の需要する建造物や設備、役務等の調達を行う国の機関)が強制的に測量を行ったことが原因となって、基地拡張に反対するデモ隊が、基地内に侵入しますが、その際立ち入り禁止境界柵を壊したのです。

7名が刑事特別法違反で起訴された

同年9月には学生や労働組合員23人が検挙され、そのうち7人が「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(現在の地位協定の前身)に伴う刑事特別法」第2条違反の罪(施設又は区域を侵す罪)に問われ、起訴されます。 同罪は、正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設・区域の立ち入り禁止場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない者に、1年以下の懲役又は2千円以下の罰金(当時)若しくは科料に処する罪です。

砂川事件の裁判と判決

砂川事件はその後裁判所へと舞台を移されます。第一審は東京地方裁判所で審理されましたが、一審は起訴された7人に対して無罪判決を言い渡します。 しかし、上告後の最高裁判所で、この判決は破棄・差し戻しされ、差し戻し後の東京地方裁判所判決では有罪判決が出され、最終的にはこの有罪判決が確定判決となりました。

第一審では在日米軍は違憲とし無罪判決

第一審裁判では、刑事特別措置法の合憲性が問題となります。上述したとおり、裁判所は無効な法律で人を裁くことはできません。裁判所が依るべき法律自体が有効か無効かが争われました。 東京地方裁判所は、1959年3月30日、わが国が合衆国軍隊の駐留を許容していることは、憲法9条2項前段によって禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当し、刑事特別法第2条の規定は憲法違反であるとして、全員に無罪を言い渡しました。

最高裁判所は統治行為論とし第一審の判決を破棄

第一審判決に対して、検察側は直ちに最高裁判所に上告を行います。これに対し、最高裁判所は1959年12月に判決を言い渡します。 最高裁は、安保条約のような高度の政治性を有するものは、裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、裁判所の審査権の範囲外であるとして、第一審判決を破棄します。 これがいわゆる「統治行為論」といわれるものです。このほか、「衆議院の解散」が「統治行為論」として司法審査の範囲外とされた例があります。

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1分でわかる砂川事件

  • 米軍の立川基地拡張に対する反対運動が発端
  • 在日米軍のが違憲か否かが争点となり、結果は合憲に
  • 反対運動の人々が有罪になった後、立川基地は移転に

砂川事件(すながわじけん)を知っていますか。 砂川事件は、アメリカ軍の基地拡張に反対する住民の反対闘争のことです。1957年に事件が発生し、その後裁判に発展し、1963年の最高裁の確定判決で決着をみます。 その過程でなされた最高裁判所の判決が「憲法9条が我が国の自衛権を否定するか」「安保条約に対して司法の審査権が及ぶか」などの重要な論点について判断を下しており、今日に至るまで重要な判例として影響を与え続けています。

砂川事件の概要

1957年7月8日、当時の東京都北多摩郡砂川町で,立川米軍基地を拡張するための測量に反対する地元民らが立入禁止の境界柵を破壊して基地に侵入、うち7名が安保条約刑事特別法違反として起訴されました。 この事件は、直接的には一つの刑事事件にすぎませんが、裁判所は無効な法律を適用して処罰することはできません。前提として旧安保条約の合憲性が争われることになったわけです。

米軍の立川基地の拡張への反対運動

事件の発端は終戦10年を経過した1955年です。同年3月、在日米軍は日本政府に立川ほか4飛行場の拡張を要求しました。同年5月に、立川基地拡張を通告された住民は、砂川基地拡張反対同盟を結成、総決起大会を開き反対を訴えました。 この反対運動は、町議会を巻き込み、その後労働組合や社会党、労働者農民党が闘争を支援するまでとなりました。 土地収用のための測量実施派と測量阻止派のせめぎあいが続く中、翌1956年10月には砂川町の芋畑で地元農民らと武装警官隊が衝突し、千人を超える負傷者が出る事態に至りました。

デモ隊のうちの7名が米軍基地内に侵入

政府はこの闘争を受けて測量中止を発表しました。しかし、翌1957年7月にふたたび事件が起こります。土地の返還請求訴訟を起こしていた基地内の民有地の強制測量に住民が反対したのです。 特別調達庁東京調達局(連合国の需要する建造物や設備、役務等の調達を行う国の機関)が強制的に測量を行ったことが原因となって、基地拡張に反対するデモ隊が、基地内に侵入しますが、その際立ち入り禁止境界柵を壊したのです。

7名が刑事特別法違反で起訴された

同年9月には学生や労働組合員23人が検挙され、そのうち7人が「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(現在の地位協定の前身)に伴う刑事特別法」第2条違反の罪(施設又は区域を侵す罪)に問われ、起訴されます。 同罪は、正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設・区域の立ち入り禁止場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない者に、1年以下の懲役又は2千円以下の罰金(当時)若しくは科料に処する罪です。

砂川事件の裁判と判決

砂川事件はその後裁判所へと舞台を移されます。第一審は東京地方裁判所で審理されましたが、一審は起訴された7人に対して無罪判決を言い渡します。 しかし、上告後の最高裁判所で、この判決は破棄・差し戻しされ、差し戻し後の東京地方裁判所判決では有罪判決が出され、最終的にはこの有罪判決が確定判決となりました。

第一審では在日米軍は違憲とし無罪判決

第一審裁判では、刑事特別措置法の合憲性が問題となります。上述したとおり、裁判所は無効な法律で人を裁くことはできません。裁判所が依るべき法律自体が有効か無効かが争われました。 東京地方裁判所は、1959年3月30日、わが国が合衆国軍隊の駐留を許容していることは、憲法9条2項前段によって禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当し、刑事特別法第2条の規定は憲法違反であるとして、全員に無罪を言い渡しました。

最高裁判所は統治行為論とし第一審の判決を破棄

第一審判決に対して、検察側は直ちに最高裁判所に上告を行います。これに対し、最高裁判所は1959年12月に判決を言い渡します。 最高裁は、安保条約のような高度の政治性を有するものは、裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、裁判所の審査権の範囲外であるとして、第一審判決を破棄します。 これがいわゆる「統治行為論」といわれるものです。このほか、「衆議院の解散」が「統治行為論」として司法審査の範囲外とされた例があります。

日米安全保障条約と憲法第9条

砂川事件は統治行為論のほかにも重要な論点についていくつか判示しています。そのうち主なものは、日米安全保障条約が憲法9条に違反するかという点と、自衛隊は憲法9条に違反するかという点についてです。 前者は、外国軍隊は憲法9条2項でいうところの「戦力」に当たるかどうかという点です。後者は、わが国の自衛隊が憲法9条2項の「戦力」に当たるどうかということです。 結論的にはいずれの点についても、最高裁は憲法9条には違反しないという判断を下しています。

度重なる再審の棄却

アメリカ側に対し日本政府が予想される裁判の判決を報告していた公文書が証拠として出てきたことをきっかけに、起訴された人々が再審請求を行いました。 度重なる再審請求も棄却され即時抗告に関しても棄却されました。

砂川事件後基地は移転された

上記最高裁判決により差戻しを受け、再度審理を行った東京地裁は1961年3月、罰金2千円の有罪判決を言い渡しました。この判決につき上告を受けた最高裁は1963年12月、上告を棄却し、有罪判決が確定しました。 米軍は判決後、首都圏域の防空基地を横田基地に一本化する方針に変更、1977年11月に立川基地は日本に全面返還されました。 跡地は国営昭和記念公園、立川広域防災基地、陸上自衛隊立川駐屯地などに転用されましたが、東中神駅周辺については、立川基地跡地昭島地区の整備にあわせ、まちづくりが進められています。

まとめ

今回は、砂川事件について解説しました。 アメリカでの情報開示により最高裁判決に対する見方が評価が少し変わってきていますが、憲法の歴史を勉強する上で砂川事件判決は著名であり、その中身について知っておくことはたいへん有意義です。 判決要旨を解説したものはたくさんあります。地方裁判所の判決も含めて、憲法9条について興味を深めてみてはどうでしょうか。

 

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