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城丸君事件は工藤加寿子による犯行が疑われた殺人事件。黙秘権行使や時効で事件は未解決に。

もくじ

1分でわかる城丸君事件

  • 電話で呼びだされた男の子が殺害された事件
  • 容疑者は黙秘権を行使して無罪
  • 時効制度の弊害ともいえる事件

城丸君事件の概要

城丸君事件は当時9歳の男の子が失踪し、やがてその遺骨が発見された事件です。犯行が疑われた工藤加寿子は裁判で完全黙秘を貫き、最終的に無罪が確定しました。結局犯行の内容や犯人は明らかにならないまま今日を迎えています

城丸君は人に会うことを告げ、家を出て帰らず

札幌市豊平区に住んでいた城丸君は冬休み中の1984年1月10日の朝、人に会うことを告げて家を出たまま帰りませんでした。9時半頃自宅にかかってきた電話を城丸君がとったことが全ての始まりでした。 城丸君は電話で話した後要領を得ない話をして家を出ました。 「ワタナベさんのところへ物を取りに行く」といった話だったようですが、城丸家ではワタナベという姓の家とは特に親しい関係はありませんでしたので、家族は城丸君の話をいぶかしく聞きました。

城丸君が工藤加寿子の家に入る場面の目撃証言

母親に頼まれた城丸君の兄がとあるアパートの近くまで城丸君を追いかけましたが、兄は目が悪かったため城丸君がアパートに入ったかどうかまではわかりませんでした。 アパートの二階には後に犯人と疑われる工藤加寿子が住んでいました。城丸君が工藤加寿子の部屋に入る目撃証言があり、工藤加寿子も城丸君が来たことを認めていますが、ワタナベさんの家のことを尋ねて直ぐ出て行ったと証言しています。 捜査でアパートの隣のワタナベという家が調べられましたが、城丸君がその家を訪ねた形跡は見つかりませんでした。

工藤加寿子の家が火事になり遺骨が発見される

城丸君が忽然と姿を消してから何の進展もないまま歳月が流れた1986年の12月、札幌市の北にある新十津川町の農家で火災が発生しました。 工藤加寿子はその農家の主人と二度目の結婚をしていました。夫は焼死し夫の弟が焼け跡を整理していた際、子供の人骨を発見しました。 人骨はポリ袋に入れられており、警察は城丸君のものではないかと疑い工藤加寿子を問い詰めましたが、彼女は完全に否定しました。当時の技術では焼けた人骨からDNA鑑定することは不可能で、このときも確定的なことは何も明らかになりませんでした。

遺骨が城丸君のものと判明し工藤加寿子は逮捕

城丸君が失踪してから15年近くたった1998年DNA鑑定の技術が進歩したことから再び人骨が調べられ、焼け跡から見つかった人骨は城丸君のものであることがわかりました。 実は城丸君がいなくなった日の夜工藤加寿子は段ボールを抱えてアパートを出るところを目撃されており、彼女には城丸君殺害の嫌疑がかけられていました。 警察は人骨が城丸君のものであることが判明したことで工藤加寿子の逮捕に踏み切りました。当時殺人罪の時効は15年でしたので、殺人罪に関する時効が迫っていました。

 

城丸君事件と工藤加寿子に関する不審点と説

城丸君事件の犯行を疑われた工藤加寿子には犯行に関係すると思われるいくつかの不審な事実が浮かび上がってきました。同時に焼死した工藤加寿子の夫には多額の生命保険がかけられていたことから、彼女には保険金殺人の嫌疑もかけられていました。

工藤加寿子は借金を負っていた

工藤加寿子は1955年北海道の浦河町で生まれますが、中学校卒業後登別温泉の売店の売り子を皮切りに熱海・神戸・横浜・東京と渡り歩きます。 やがて夜の商売に足を踏み入れるようになり、ホステスとして働きはじめました。結婚して娘をもうけますが、1年で離婚しています。 離婚後彼女は娘を連れて札幌のススキノでホステスとして働きますが、当時1,000万円以上の借金を抱えており、生活保護も受けていたとされています。

多額の保険金のかかる工藤加寿子の夫が火事で焼死

やがて工藤加寿子はお見合いで農家の男と二度目の結婚をすることになりました。水商売の女との結婚ということで夫の親戚はこぞって反対したようですが、二人は反対を押し切って結婚しました。 工藤加寿子は農家の嫁としての務めは全く果たさず毎日ギャンブル三昧だったようで、夫が家を新築するために貯めていた2,000万円の金もいつの間にか使い果たしていました。 二人の家から出火したのは結婚から1年が過ぎた頃でした。その頃夫は自分は殺されるかも知れないと親戚に相談していました。焼死した夫には2億円近い生命保険がかけられていました。

工藤加寿子は城丸君の身代金を要求しなかった

城丸君の家その地域では名の知れた資産家でした。このため城丸君が失踪したとき警察は身代金目的の誘拐事件を考えました。ところが城丸君失踪後身代金の要求は全くありませんでした。 警察は城丸君の失踪が身代金目的の誘拐事件ではないと判断して捜査方針を立てました。 では、犯人は何のために城丸君事件を呼び出したのでしょうか。後の裁判では身代金の要求がなかった事実も結果に影響があったと思われます。

金銭目的で保険金詐欺や身代金要求を行う予定だった説

工藤加寿子は当初身代金目的で城丸君を誘拐したものの、警察の手が回るのが予想以上に早かったため身代金の要求を諦め、城丸君を殺害したのではないかとの疑いが持たれています。 彼女が持ち出しているところを目撃されている段ボールを再婚先の農家の庭先で燃やしていた際、異臭が出ていたことを近隣の住民が証言しています。 農家から出火したとき工藤加寿子と娘は既に身なりを整えており、保険証書などの貴重品も持ち出す準備ができていたことも、彼女の保険金殺人を疑わしいものにしています。その後彼女は夫の保険金を請求しましたが、保険会社から嫌疑をかけられ請求を断念しています。

 

城丸君事件の裁判と判決

城丸君事件の裁判はある意味非常に異様なものになりました。被告である工藤加寿子は完全黙秘を貫きました。検察側の400にものぼる被告人質問に工藤加寿子は「答えることはない」との発言を繰り返すばかりで新たな事実は何一つとして判明しないままとなりました。

殺人罪以外は時効となっていた

工藤加寿子は殺人罪の罪で起訴されました。本来工藤加寿子にはで傷害致死・死体遺棄・死体損壊罪の嫌疑がかけられていましたが、これらについては既に公訴時効が成立していました。 1998年時点で時効が成立していないのは殺人罪だけでしたから裁判は殺人罪だけを巡って争われることになりました。その殺人罪に関しても時効まで1ヶ月を残すばかりでした。まさにギリギリの逮捕・起訴でした。 もし城丸君の骨が農家の焼け跡から発見された1986年に今のDNA鑑定の技術があれば、工藤加寿子の逮捕は実際よりもはるかに早かったと思われます。

決定的な証拠等も出ず

殺人罪という観点からは城丸君事件に関して工藤加寿子の犯行を示す目撃者などの決定的な証拠はありませんでした。 ただ警察の取り調べの中で大罪を犯したことを匂わせる発言をしたり、毎日仏壇に手を合わせて男の子を供養していたような行動が確認されたりと、犯行の状況証拠はかなりそろっていました。 しかしながら殺人罪を適用するためには明確な殺意の認定が必要です。工藤加寿子が城丸君を呼び寄せた目的や動機が殺害を意図するものであることは立証できませんでした。

工藤加寿子は黙秘権を行使

工藤加寿子は罪状認否で起訴状を全面否定した以外完全黙秘を貫きました。検察側のいかなる質問にも何も答えませんでした。 検察側は被告人は黙秘することによって罪を逃れようとしていると非難しましたが、裁判所は黙秘権がある以上それを行使することによって被告人が不利益にされていけないと、これを一蹴しました。 黙秘権は確かに被告人与えれた権利です。しかしながらそれを裁判という場で貫き通すのは並大抵のことではなかったと思われます。

工藤加寿子は無罪判決となり国家賠償を請求

第一審の札幌地裁では「疑わしきは被告人の利益に」という推定無罪の原則が適用され、工藤加寿子は無罪判決を勝ち取りました。裁判所は工藤加寿子によって城丸君が死亡させられた可能性が高いとしながらも、その殺意の存在に疑問が残るとしました。 検察側は控訴しましたが、第二審の札幌高裁においても第一審の無罪判決が支持されました。検察側は最高裁への上告を断念しましたので無罪判決が確定しました。確定的な証拠がない中で、黙秘を貫くことによって自らの墓穴を掘らなかった被告人側の完全勝利といえます。 日本には無罪判決を受けた者が国家へその損害賠償を請求する刑事補償という制度があります。工藤加寿子はこの権利を行使し、930万円の賠償金を得ました。

時効制度の弊害か

2010年刑事訴訟法が改正され、殺人罪などの公訴時効が撤廃されました。同時にその他の重大な犯罪の時効期間も延長されました。 殺人罪の公訴時効に関しては撤廃を求める声と必要性を認める賛否両論が長年議論されてきましたが、最終的には犯人によって身内の命を絶たれた遺族達の強い思いが反映されました。 もし城丸君事件のときに殺人罪の公訴時効が存在しなければ、もっと十分な証拠調べが行われ犯人を粘り強く追及できていたかも知れません。時効が迫っていたため不十分な形で起訴せざるを得なかったこの事件はある意味時効制度の弊害だったともいえます。

城丸君事件の遺族の無念

日本は法治国家ですから法によってしか人を裁くことはできません。そしてその法は推定無罪を原則としている以上、城丸君事件の判決は当時の法体系の中ではやむを得ない結果だったと考えることは、いかにもそのとおりです。 それにしても城丸君事件の遺族の無念さは察して余りあります。あれだけの状況証拠がそろっていながら、黙秘という遺族にとっては卑怯なやり方で犯人が逃げおおせたのですから、遺族は怒りのもって行き場がなかったと思われます。 無罪を勝ち取った工藤加寿子にとってはどうでしょうか。毎日仏壇に手を合わせていたという証言がもし本当であれば、彼女にも人間らしい心が少しは残っていたことになります。そうであれば、あれからどのような人生を歩むにしろ、城丸君事件の重荷を背負って生きることはかなりつらいものになったと思われます。

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