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白鳥由栄は昭和の脱獄王として名を馳せた人物。4回にも及ぶ脱獄の真相とは?

もくじ

1分でわかる白鳥由栄

  • 白鳥由栄は「昭和の脱獄王」と呼ばれた男
  • 劣悪な待遇に不満を抱いて4度も脱獄した
  • 最後には模範囚として刑に服して出所している

白鳥由栄の脱獄に至る経緯

白鳥由栄は強盗殺人の罪で、1935年に逮捕されました。彼自身は無実を主張していましたが受け入れられず、刑務所で劣悪な扱いを受けたことから、脱獄を決意しました。都合4回にわたる脱獄はすべて、理不尽な扱いに抗議する白鳥由栄の義憤がきっかけです。

発端は強盗殺人事件による逮捕

白鳥由栄は1907年に青森県で生まれました。22歳で結婚して長女も生まれたものの、不況が原因で仕事を転々と変えたそうです。 白鳥由栄はそのうちに窃盗を働くようになり、1933年4月に仲間とともに強盗殺人を犯してしまいました。2年後の1935年8月、別件で仲間が逮捕されたことを知った白鳥由栄は、犯行を自供して逮捕されています。 この最初の逮捕については諸説あるようです。仲間の逮捕を知った義理堅い白鳥由栄が自ら自首したとも、取り調べで仲間が真相を話したと誤解して自供したともいわれています。いずれにしても白鳥由栄自身は、殺人については否定して無実を主張しています。

刑務所での対応は酷かった

白鳥由栄は無実を主張しましたが、裁判では有罪となりました。1935年12月、青森刑務所へ収監され、そこから白鳥由栄の脱獄と投獄を繰り返す人生が始まりました。 獄中の白鳥由栄の待遇は、とにかく劣悪でした。ほとんど人間扱いされることはなかったため、白鳥由栄は待遇改善を訴えて何度も抗議したそうです。 しかし刑務所側は彼の主張を一切聞き入れず、より一層過酷な懲罰を科しました。刑務所内の待遇と看守の態度に怒りを覚えた白鳥由栄は、脱獄を計画するようになります。

警察の取り調べや捜査に問題があった可能性も

白鳥由栄は強盗殺人の罪で逮捕されました。それを知っている看守たちは、いずれ死刑になるから早く死ね、と揃って彼を罵倒しました。言葉だけでなく、ツバや痰を吐きかけるなどもしたようです。 また白鳥由栄は裁判以前に、警察の捜査でも終始、無実を主張していました。しかしまったく受け入れられず、一説には拷問に近い尋問で、自白を強要されたともいわれています。 白鳥由栄は後年、最後に収監された府中刑務所では真っ当な扱いを受け、模範囚として服役しています。このことから、彼が本来は真面目な性格なのがわかります。白鳥由栄が何度も脱獄したのは、警察や看守の対応に原因があると言ってよいでしょう。 ※(提案)白鳥由栄の脱獄は主に看守の態度や待遇に問題があったためなので、見出しは「刑務所や警察の側に問題があった可能性も」の方がよいのではないでしょうか

白鳥由栄の4回に及ぶ脱獄

白鳥由栄は合計26年間を刑務所で過ごしています。そしてその間、4度の脱獄を成功させて、合計で約3年も逃亡生活を送っています。刑務所は再逮捕、再投獄の度に白鳥由栄の警備を厳重にしましたが、それでも彼は凄まじい執念で脱獄を果たしました。

青森刑務所からの脱獄

白鳥由栄が青森刑務所に収監されたのは、1935年12月でした。 白鳥由栄が入れられたのは独居房で、当時くみ取り式だった便所の汚物を捨てる時だけ、建物の中と外を出入りできたようです。彼は指の腹を独房や建物、裏門の鍵穴に押し当てて鍵型を写し取り、外出時に拾った1本の針金で合鍵を作ってしまいました。 そして白鳥由栄は、合鍵作りを含めた数ヶ月間の観察で看守の巡回を完全に把握し、1936年6月に1度目の脱獄を果たします。この時、彼の年齢は28歳でした。

秋田刑務所からの脱獄

1度目の脱獄の3日後、白鳥由栄はあっさり再逮捕されました。その後は小菅刑務所(現在の東京拘置所)などで看守に恵まれて穏やかに過ごしましたが、1941年10月に移った秋田刑務所では、再び不当な扱いを受けることになります。 白鳥由栄が入れられたのは、銅板で補強された懲罰房で、鉄格子のはまった明かり取りの小さな窓しかありませんでした。しかも食事と排泄以外では、手錠もはめられたままだったのです。 ブリキ片と釘で簡易ノコギリを作った白鳥由栄は、部屋の角を利用して3mの高さを登り、明かり取りの鉄格子を徐々に切断していきました。そして1942年6月、暴風雨の騒音にまぎれて2度目の脱獄を果たします。この時、彼の年齢は34歳でした。

網走刑務所からの脱獄

1942年9月、3ヶ月逃亡した白鳥由栄は、小菅刑務所でよくしてくれた看守を訪ねて自首しました。2度の脱獄はいずれも待遇改善を求めるものだったと訴えましたが、1943年4月に収監された網走刑務所はさらに過酷な環境でした。 白鳥由栄は手枷と足枷をつけられ、立つこともできなかったそうです。食事も口しか使えず、排泄は垂れ流し状態でした。手足の枷がこすれて皮膚が化膿し、うじが湧いて骨が見えるほど酷かったそうです。 足枷だけ外された白鳥由栄は、味噌汁を使って手錠と扉の小窓の鉄格子を錆びさせて、根気強く緩めていきました。彼は3ヶ月かけてついにどちらも外し、1944年8月の停電に乗じて、3度目の脱獄を行いました。小窓から抜け出る際、肩を脱臼させ、天井をよじ登るなどの離れ業を行っています。この時、白鳥由栄は37歳でした。

札幌刑務所からの脱獄

網走刑務所の脱獄から、白鳥由栄は約2年間山中に潜んで逃げ続けました。しかし1946年8月、農家にスイカ泥棒に間違えられた彼は、反撃して殺してしまいました。逮捕された白鳥由栄は死刑判決を受け、1947年2月に札幌刑務症へ投獄されます。 そこには白鳥由栄専用の特別房が用意されており、24時間体制の監視まで付いていたそうです。完璧な脱獄対策の中、白鳥由栄は唯一補強されていなかった床板に注目しました。白鳥由栄は桶のタガ(桶を固定する円形の枠)と釘で簡易ノコギリを作って、看守の目を盗んで床に穴を開け、食器などで土を掘っていったのです。 1947年3月、白鳥由栄は4度目の脱獄に成功しました。積雪のおかげで、刑務所の壁は簡単に乗り越えられたといわれています。この時、彼の年齢は39歳でした。

 

白鳥由栄の服役

4度目の脱獄後、札幌付近に潜伏していた白鳥由栄は、職務質問してきた警察官の親切な対応に感動して自首しました。やり直し裁判では白鳥由栄の死刑判決が撤回され、最後に収監された府中刑務所ではまともな待遇で扱われました。そのおかげで白鳥由栄は脱獄することなく、模範囚として刑に服しています。

警察官からタバコを得て心が動き自首

白鳥由栄は約1年間、札幌近辺で逃亡生活を送っていました。 そして1948年1月19日、偶然職務質問してきた警察官に対して、白鳥由栄は自ら名を名乗って自首しました。タバコを1本欲しいと言った白鳥由栄の要求に、警察官が快く応じたことがきっかけでした。何年も人間扱いされなかった彼にとって、この出来事で途轍もなく心動かされたのです。 こうして逮捕された白鳥由栄の裁判が、札幌高裁でやり直されることとなりました。スイカ泥棒誤認の殺人は傷害致死だったとして、死刑判決は撤回され、改めて懲役20年の判決が下されました。

府中刑務所での服役と出所

1948年7月、懲役20年の確定した白鳥由栄は、GHQ(第2次大戦後に日本を指揮した連合軍司令部)の用意した特別列車で府中刑務所に移送されました。 府中刑務所が他と違ったのは、白鳥由栄を受け入れた所長の方針です。所長は彼を悪名高い脱獄犯ではなく、一般の囚人と同等に扱う方針を貫きました。白鳥由栄はそのやり方に応えて、脱獄はおろか問題行動を一切起こさなくなりました。 白鳥由栄は模範囚となり、20年の刑期が13年に短縮されています。そして1961年、ついに仮出所が認められ、26年にわたる投獄生活に終止符が打たれました。

白鳥由栄は出所後静かに暮らし心筋梗塞で死亡

仮出所後、白鳥由栄は約2年間を更生保護施設で過ごし、建設作業員の仕事に就きました。彼は獄中生活の中で妻とは離婚しており、家族の下へは生涯帰りませんでした。しかし時折、長女の姿を遠目に見に行くことはしていたそうです。 1978年2月24日、白鳥由栄は71歳で亡くなりました。死因は心筋梗塞でした。 白鳥由栄に家族がいなかったため、当初は無縁仏になるかと思われましたが、思わぬ引き取り手が現れました。白鳥由栄が仮出所した際、近所のよしみでよくしてもらった子供が成長しても覚えており、引き取りを名乗り出たのです。そして白鳥由栄の遺骨は無事埋葬されました。

白鳥由栄は昭和の脱獄王として有名に

白鳥由栄は71年の生涯で、4度の脱獄に成功しました。彼の名前は生前から日本中に轟いており、名実ともに「昭和の脱獄王」と呼ばれていたほどです。 白鳥由栄の脱獄王ぶりを示すものとして、2度目3度目の脱獄を果たした彼に、刑務所と看守達が戦々恐々としていたエピソードがあります。 脱獄されると責任問題になるので、刑務所側は考えられる限りあらゆる方法で警戒しました。それでも不安に思った看守達は、せめて自分の当直の日以外で脱獄してくれ、と強く願っていたといわれています。2017年に放送されたあるバラエティ番組では、実際に元看守が白鳥由栄脱獄の始末書を書かされたことを明かしています。

海外でも話題となった

白鳥由栄の名前は、日本国内の一部で有名でした。しかし2019年頃から、徐々に海外でも知れ渡っていきます。 たとえばKento Bentoという、海外のYouTuberが製作した動画です。白鳥由栄の生涯を要約した内容が、とんでもない反響を呼びました。まるでフィクションとしか思えない話が大変な話題となり、1千万再生を超えるほどの人気となったのです。 2020年に入ってからも、各国のネットメディアが白鳥由栄の記事を公開し、その度に注目されるようになっています。

ゴールデンカムイは白鳥由栄をモデルにした作品

また近年は、白鳥由栄をモデルとしたキャラクターも生み出されました。 2020年に3度目のアニメ化が予定されている人気漫画「ゴールデンカムイ」に登場する、白石由竹(しらいしよしたけ)がそうです。 「ゴールデンカムイ」はアイヌ民族の隠し財宝を中心としたアクション作品で、白石由竹は無類の脱獄技術を持った脱獄王として活躍します。 ※キャラクターの1人、白石由竹がモデルとなっているだけで、作品自体は白鳥由栄と無関係です。見出しは「ゴールデンカムイの白石由竹は白鳥由栄をモデルにしている」の方が適当かと思われます

脱獄は平成でも40件近く起きている

時代は移り変わり、刑務所の監視体制や技術も向上しています。しかし脱獄事件は、平成の間にも40件近く発生しました。 法務省矯正局の発表によると、刑務所や少年院などの施設から逃亡した事例は29件で、2018年までに36名が脱走したとのことです。2019年には起きなかったようですが、ほぼ1年間に1件のペースで起きている計算になります。 脱獄理由も脱獄方法もさまざまですが、1つだけ確かなことがあります。どれだけ技術が進歩しても、人間が関与する限り監視でミスは起こるものですし、不満や野心によって脱獄を企てる者がいなくなることはありません。

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