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三億円事件の真相とは?犯人像に触れつつ時効成立となった窃盗事件の全貌。【未解決事件】

もくじ

1分でわかる三億円事件

  • 白バイ隊員に扮した犯人が現金を強奪した事件
  • 1975年に公訴時効、1988年には民事時効が成立
  • 単独犯説が有力だが真相はわからないまま

三億円事件の概要

1968年東京都調布市で起きた「三億円事件」は昭和の迷宮入り事件の中でも極めて有名な窃盗事件であり、数々の小説や映画のモチーフになっています。 東芝芝浦電気の年末一時金3億円を乗せた現金輸送車が白バイ隊員を装った男に急襲され、捜査当局の必死の捜査にも関わらず1975年に公訴時効1988年に民事時効となりました。

1968年に府中で起きた窃盗事件

事件が起きたのは1968年の12月ですが、この頃の日本は敗戦ショックから立ち直り日米安保条約を巡っては学生運動が激化するなどまさに激動の時代でした。 事件は現在の東芝である東京芝浦電気の年末一時金2億9,430万7,500円を乗せた現金輸送車が東京・府中市内で白バイ隊員を装った男に停車を命ぜられ、その隙に現金輸送車ごと奪われたのが概要です。 「強盗」との認識もありますが本件において犯人は誰も殺傷しておらず、輸送車から乗務員が離れた隙に現金が奪われたに過ぎないので「窃盗」にあたります。

時効成立により未解決事件となった

この事件では犯人が残した証拠品も多く目撃証言も数多く寄せらたことから、当初は早期解決されるものと思われていました。 しかし証拠品の多くは市場に大量に出回っている品々であり、寄せられた情報もいわゆる「ガセネタ」が大半であったため捜査は難航を極めます。 その結果延べ17万人の捜査員が動員され、捜査費用は約9億円にも上り約11万人の容疑者リストを作成したにも関わらず、1975年12月10日に公訴時効1988年12月10日には民事時効成立により迷宮入りとなったのです。

三億円事件の経緯

三億円事件には巨額のコストと莫大な数の捜査官が動員され、警察当局の威信をかけて追い求めたにも関わらず容疑者を特定することさえできませんでした。 迷宮入りとなった理由には犯人が用意周到に準備された計画を冷静に完遂しただけでなく様々な偶然が重なったことが考えられますが、初動捜査にも問題があったといわざるを得ません。

日本信託銀行に脅迫状

事件の発端は1968年12月6日日本信託銀行・国分支店長あてに1通の脅迫状が送りつけられたことから始まります。 現代では信じられませんがこの当時日本でも学生運動などから派生したテロ行為の一環として、企業をターゲットとした爆弾予告をはじめとする脅迫事件は相次いでいます。 本件は300万円を用意しなければ支店長宅を爆破するといった内容であったため捜査官約50名を指定場所に出動させましたが、犯人は現れることはありませんでした。

東京芝浦電気従業員のボーナスを現金輸送車が輸送

日本信託銀行・国分支店長に対する脅迫事件の全貌が解明できないまま、12月10日9時30分頃銀行員4人を乗せた現金輸送車が東京芝浦電気に向かいました。 約3億円の現金は頑丈なジュラルミン・ケース3個に納入され、まさに厳重警戒の中での輸送でしたが脅迫事件の直後であり相当な緊張感の中でのミッションであったことは容易に想像できます。 現代において給与やボーナスは振込が一般的ですが、この当時は現金支給しかなく輸送にあたっては警備会社ではなく直接銀行員が担当しており、犯人にとっては好都合な条件が揃っていたといえるでしょう。

白バイ隊員に扮した犯人が犯行に及ぶ

現金輸送車が府中刑務所の裏手付近に差し掛かったところで、白バイ隊員を装った男がニセ白バイで近づき停車を促しました。 この男は爆弾が仕掛けられていると告げると車の下に潜り込み、隠し持っていた発煙筒を点火させ、あたかも爆発しているよう見せかけるとその隙に現金輸送車を走らせます。 銀行員たちは白バイ隊員を装った男が本物だと思い込んでいましたが、残された白バイがニセ物であることに気づきようやく事件が発覚しました。

多摩農協脅迫事件

多摩農業協同組合に現金の要求や爆弾及び放火予告を内容とする脅迫状が最初に送り付けられたのは1968年4月25日のことです。 その後電話・壁新聞などの方法で8月22日まで9回にわたって繰り返され、6月25日に至っては同月9日に起きた横須賀線電車爆破事件にも触れられていますが、現金の引き渡しはありませんでした。 三億円事件との関わりとしては、その内容などが日本信託銀行に送られたものと酷似していたため同一犯ではないかと疑われましたが、残念ながら容疑者の特定には至りませんでした。

1988年に民事の時効が成立

この事件が異彩を放っているのは、強奪の際に暴行などを行っていないことから窃盗罪にあたるため公訴時効は7年民事時効は20年と被害金額は莫大であるにも関わらず時効の期間が短い点です。 そのため事件発生から7年後の1975年12月10日に公訴時効20年後の1988年12月に民事時効が成立済みです。 仮にこの事件に強盗罪が適用されていれば公訴時効は10年、さらに強盗殺人罪・強盗致死罪が問われていれば公訴時効はありませんから、違った結末になっていたことも予想されます。

三億円事件の犯人が現場に残した証拠

この事件の特徴の一つに犯行に使用したニセ白バイを始め脅迫状や逃走車両など、証拠となりうるものの数々を現場に残していたことがあげられます。 一般的には証拠品が多いと容疑者はすぐに特定できますが、本件ではそのほとんどが大量生産品であり容疑者に辿り着くどころか、反対に捜査を混乱させてしまったのは皮肉としかいいようがありません。

事件発生現場には多くの証拠品

事件発生現場にはニセ白バイに改造されたヤマハ製バイクや装飾に使われたメガホンや新聞紙片、爆弾に装うために使用された発煙筒など多くの証拠品が残されていました。 なぜかニセ白バイはカバーらしきものを引きずっていましたが、その中からは決定的な証拠になり得るハンチング帽が見つかっています。 しかしハンチング帽は鑑識に回される前に捜査官同士で被ってしまったため、証拠としての機能を失うといった大失態を演じており、容疑者にとってはラッキーな結果となっているのです。

逃走車乗り換え現場

事件から約1時間後になって現場から約1km離れた国分寺市にある武蔵国分寺跡の雑木林から現金輸送車などが発見されましたが、その他に手がかりとなるものは見つかりませんでした。 犯人は現金輸送車を乗り捨て逃走車に乗り換えていますが、警察当局は逃走車の存在を想定していなかったため、その特定に時間がかかってしまいます。 なお後になって逃走車はネイビーブルーのトヨタカローラ(第2カローラ)であることが判明しましたが、初動捜査の遅れは大きなミスでした。

犯行前待機場所

犯行直前に犯人が待機していたと見られているのが、第三現場と呼ばれる府中市にある明星高校の空地です。 この近辺ではカバーに覆われたバイクが目撃されており、犯人がこの場所に来るために使用したグリーンのカローラ(第1カローラ)も見つかり、社内にはネイビーブルーの雨具が見つかりました。 この雨具にはクリーニングのタグ跡などがありましたが、当初は証拠としては重要視されていなかったため十分に調べられることはなく、「時すでに遅し」の状況だったことは否めません。

乗り換えた逃走車の乗り捨て現場

事件発生から4か月後逃走車(ネイビーブルーのカローラ)が東京都小金井市の団地駐車場で見つかり、第四現場と呼ばれるようになりました。 ここからは逃走車のほかに盗難車が3台ニセ白バイへと改造途中のホンダドリーム1台など多数の証拠品が見つかっています。 逃走車内部からはジュラルミン・ケースその他の四輪車からはイヤリングや雑誌などが発見され、犯人グループには女性がいると推測されましたが、犯人を追い詰めるまでには至っていません。

各所へ送った脅迫状

犯人は爆弾予告の脅迫状をターゲットに送りつけることで、相手に「爆破があるかもしれない」といった一種のマインドコントロールを促すことに成功します。 しかしこの脅迫状こそ犯人につながる重要なカギであり、切手に付着していた唾液から血液B型であることや、切り文字に使われていた雑誌の紙片が発煙筒の巻紙に使われていたものと同一であることが判明しました。 さらに多摩農協脅迫事件とも多くの類似点が見つかっており、同一犯である可能性も浮上しましたが、容疑者像を浮かび上がらせるには至りませんでした。

三億円事件の警察による捜査

膨大な数の証拠品がや数々の目撃証言などがありながら三億円事件は容疑者すら特定できないまま時間だけが過ぎ去り、次第に捜査官にも焦りや疲れが生まれるようになってきました。 後になって捜査当局の初動捜査のミスや油断がしばしば指摘されますが、一体、どういった捜査を行ってきたのか改めて検証してみましょう。

モンタージュ

三億円事件といえば事件から11日後の12月21日に公開された白バイ隊員のモンタージュ写真が強烈なインパクトを残しており、そのことが捜査に支障を来したと指摘する人も少なくありません。 実はモンタージュ写真の人物は捜査の初期段階で容疑者として捜査されていた少年であり、現金輸送車に乗っていた銀行員の曖昧な証言から作成されたものなのです。 しかしこの少年にはアリバイがあるばかりか、1968年12月15日に自殺を図っていますが、その事実は1974年まで伏せられたままでした。

ローラー作戦

ローラー作戦とは捜査官が周辺地域の全世帯に訪問して聴き取りを行う操作方法であり、三億円事件では積極的に導入されることになったのです。 当時三多摩地区には学生が多かったことから、主に学生を対象としたローラー作戦を展開することは、激化の一途を辿る学生運動を抑圧するため公安当局らが仕掛けたものだとする批判もありました。 その真偽のほどは定かではありませんが、いずれにせよ、ローラー作戦においても有力な手掛かりはつかめないまま、捜査はますます膠着状態に陥ります。

指紋鑑定

三億円事件においてはバイクや盗難車両など膨大な数の証拠品が残っており、それらには複数の指紋が残されていました。 これらは犯人につながるものとして指紋鑑定が進められましたが、証拠品の大半は大量生産されたものであり、あまりにも多くの指紋が検出されたため必然的に照合すべき指紋も莫大な数となります。 加えて当時は指紋鑑定の精度も低く、鑑識課の担当官の人数も少なかったことから決定的な成果を上げられなかったのは、今となっては非常に悔やまれることです。

三億円事件で浮上する犯人像

三億円事件は巨額の現金を見事な手口で強奪したこと、白バイ隊員のヘルメットを被ったモンタージュ写真のインパクトの強さなどから、様々な犯人像が浮かび上がっては消えていきました。 事件当時から単独犯説と複数犯説が議論され、現在は単独犯説が有力とされていますが、いずれも決定打に欠けており今となっては真相を解明することは叶いません。

目撃証言

三億円事件には多くの目撃証言が集まりましたが、とりわけ現金輸送車で輸送していた銀行員の証言によるモンタージュに期待が集まりました。 しかし咄嗟のことで記憶が曖昧である上、現場からの通報が遅れたことや不用意に現金輸送車から離れたミスを犯したことがプレッシャーとなり、期待通りの結果を得ることはできませんでした。 なお府中市内では改造される前のバイク、犯行現場付近では犯行直前に待機する白バイ隊員や爆走する現金輸送車などが目撃されていますが、いずれも決定的な手掛かりにはなっていません。

複数犯説

複数犯説の根拠としては、長期間にわたって綿密な計画を立てて複数の車両を盗難し、バイクに至ってはニセ白バイに改造するといった大掛かりな準備を一人で行うことは不可能だとしている点です。 しかも盗難車の中からは女性のイヤリングが見つかったことから、犯人グループには女性もしくはゲイボーイの存在があったことが想定され、実際に取り調べを受けた者もいます。 したがって犯人は銀行の内部事情に詳しい者、バイクなどのメカニックに詳しい者など、得意分野に応じて役割を複数人で分担して犯行にあたったと推測されているのです。

単独犯説

単独犯説の根拠としては、証拠品を複数残している上、バイクがカバーをが引きずったまま犯行に及ぶなど複数犯では考えられないミスが多い点があげられます。 また逃走過程において逃走車両を援護する対策が全くとられていないこと、乗り換えられた逃走車が放置されていることも極めて不可解です。 さらに現在では20億円にもなる巨額のお金を分配した形跡はもとより、配分を巡って争った形跡がないことも、単独犯説をより信ぴょう性の高いものとしています。

世間を騒がせた自白本「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」

2018年8月、「小説家になろう」という小説投稿サイトで自称三億円事件の犯人を名乗る白田という人物が投稿した小説が話題となりました。 その後2018年12月に書籍化もされ同月からコミックの連載も始まりました。 しかしネット上のレビューでは数多くの辛辣な意見が並べられています。白田という人物が本当に三億円事件の犯人であるかは不明です。ただしネット上ではフィクションではないかという声が大半を占めています。

真実が明かされることはあるのか?

三億円事件は昭和の未解決事件の中でも被害額がひと際大きく未だに謎が多いことから、現代のミステリーとして映画や小説のモチーフになっています。 しかしその背景には多くの捜査員の努力が徒労に終わったことはもとより、犯人に疑われたことでその後の人生が大きく狂ってしまった人がいることも忘れてはなりません。

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