\ 琉球風水志 シウマの占いページはこちら /

山岳ベース事件の主犯と被害者の死因とは?連合赤軍による事件の真相に迫る。

]]>

1分でわかる山岳ベース事件

  • 連合赤軍によるリンチ殺人事件
  • 山岳ベースとは連合赤軍の拠点
  • 山岳ベースでは29人中12人を殺害

「山岳ベース事件」とは、1971年~1972年の間に新左翼系過激派組織である連合赤軍によって引き起こされた、リンチ殺人事件のことです。 当時の連合赤軍は武力行使により銀行強盗などさまざまな凶悪犯罪を引き起こしていましたが、「山岳ベース事件」においては「総括」の名のもとに同志である29人のメンバーのうち12人を殺害しています。

山岳ベース事件の内容

「山岳ベース事件」では同士であったはずの連合赤軍メンバーが、いつしか森恒夫・永田洋子といった2人の絶対的な指導者のもと、凄惨なリンチ殺人事件にエスカレートしていきました。 彼らはいずれも高学歴であり、崇高な思想を持ち「革命」を掲げて山岳ベースに集まりました。なぜ、このような事件を引き起こしてしまったのかを解説します。

山岳ベース事件は左翼・連合赤軍による同志内の殺人事件

「山岳ベース事件」は左翼系過激派組織「連合赤軍」によって引き起こされますが、この組織は共産主義同盟赤軍派と日本共産党神奈川県委員会(革命左派)が統合されたものです。 1960年代の日本は日米安保闘争に代表されるように学生・労働者運動が盛んであり、共産主義者が「革命」を旗印に過激な活動を行っていました。 連合赤軍は活動を続けるうちに、自らの行動だけでなく同志に対する批判を繰り返すようになり、やがて同志内の殺人事件に発展していくのです。

山岳ベースは連合赤軍の拠点のこと

山岳ベースとは、連合赤軍が警察から逃れるために群馬県の山岳地帯に作られた複数の拠点の総称であり、個々の拠点は「地名+ベース」と呼ばれています。 1971年12月連合赤軍のメンバーは数々の犯罪を犯して指名手配となっていたため、群馬県の山岳地帯に入山し29人のメンバーで山岳ベースを拠点に活動することになりました。 しかし翌年2月までに死者12人、逮捕者8人、脱走者4人を出すことになり、残った坂口弘ら5人は「あさま山荘事件」を引き起こすことになるのです。

榛名ベースなど他の拠点もあった

山岳ベースといえば「榛名ベース」が有名ですが、そのほかにも「新倉ベース」「釈迦葉ベース」など複数のベースが存在します。 山岳ベースを最初に作ったのは、連合赤軍に統合される前の革命左派ですが、彼らは数々のテロ行為を繰り返していたため指名手配されており都市部での活動が困難になっていました。 そのため、彼らは山岳地帯にアジトを作らざるを得なくなりましたが、警察から逃れながら各地を転々としたことから複数の拠点が存在するのです。

山岳ベース事件での主犯は森恒夫・永田洋子

連合赤軍の最高指導者には赤軍派の森恒夫、ナンバー2には革命左派の永田洋子が就任しますが、この2人が「山岳ベース事件」での主犯となります。 当初、山岳ベースでは「革命」を起こすためのアジトとして軍事訓練などを実施していましたが、次第に「総括」と呼ばれる自己批判を求めるようになるのです。 「総括」は自らが自己批判するだけでなく、次第に周囲のメンバーが暴行を加える「総括援助」へとエスカレートしていきます。これらを主導したのが森恒夫と永田洋子でした。

山岳ベース事件の被害者は高学歴な同志たち

山岳ベースに集まった29人のメンバーはいずれも高学歴の持ち主であり、それぞれ高い理想を持って入山した人々でした。 「山岳ベース事件」の犠牲となったのは横浜国立大学や岡山大学、京都大学といった国立大学のほか、早稲田大学や明治大学といった有名私立大学の学生・卒業生だったのです。 高学歴ゆえに「日本に革命を起こす」といった高い理想を掲げることとなった反面、妄信的に理想を追い求めてしまい悲惨なリンチ殺人事件を引き起こしてしまったともいえるのです。

森・永田は暴力を「敗北死」と呼び加害者の心理を操った

森恒夫と永田洋子による総括は日ごとに過激化していきました。メンバー達は恐怖のあまり彼らを止めることができなくなりました。 1971年12月31日にはついにメンバーの一人が総括という集団暴行で死亡してしまいました。森恒夫と永田洋子はこの死を「敗北死」と位置づけました。 二人は暴力による「総括援助」を正当化し、メンバー達の心理を操っていきました。

山岳ベース事件での総括の様子

「総括」とは左翼活動家がよりレベルの高い活動家になるため、自らの活動が理想とすべき理念に合致しているか自分自身で反省することです。 当初はメンバー間で自己批判を求め、総括が終わるまでは軍事訓練から外すなどの措置が取られていましたが、次第に厳しさを増し極寒の屋外に長時間正座することなどを要求するようになりました。 さらには「総括援助」と称して集団で暴行が加えられるようになりますが、森恒夫は「殴られて気絶すれば目覚めた時に真の革命戦士になれる。」といった理論を説き始めます。

遺体は証拠隠滅をはかられ埋められていた

1971年12月31日に総括による最初の犠牲者が出ると、約1か月半の間に12人もの若い命が断たれてしまいます。 また、総括だけでなく組織に対して裏切り行為があったメンバーには森恒夫から「死刑」が宣告され、最初から殺害目的でアイスピックやナイフで刺した後に絞め殺すといった凄惨な仕打ちが行われました。 犠牲となったメンバーは証拠隠滅のために山中に埋められましたが、他のメンバーは恐怖に苛まれ連合赤軍は内部崩壊の一途を辿ることになります。

山岳ベース事件の事件発覚から逮捕・裁判まで

山岳ベース事件は「連合赤軍」というわずか29人の小さなコミュニティにおいて、「総括」と呼ばれるリンチ殺人が秘密裏に繰り広げられ用意周到に隠蔽されていました。 そのため、事件発覚は後に勃発する「あさま山荘事件」後になりますが、どういった経緯で犯人は逮捕され裁判はどのように進められたのかについて解説します。

山岳ベースの1つに残された証拠から事件発覚

警察当局は連合赤軍が群馬県山中の潜伏していることを確信し山狩りを続けた結果、迦葉ベースを発見し被害者のものと思われる遺留品を押収されました。 被害者の遺留品を突きつけられたメンバーの一人が犯行を供述すると、ようやくあさま山荘事件で逮捕されたメンバーも自供し始めます。 さらに、3月8日には絶対的な指導者であった森恒夫が前橋地裁に事件の全容を記した「上申書」を提出したことで、他のメンバーは供述せざるを得なくなるのです。

森が拘置所で自殺

山岳ベース事件の主犯である森恒夫が前橋地裁に上申書を提出したことは、他の連合赤軍メンバーに大きな動揺と反発を招く結果となりました。 そのため坂口弘は獄中における手紙のやり取りで森恒夫に厳しく総括を求めました。当初は反発していた森も次第に坂口の批判を受け止めるようになります。 その後森恒夫は坂口弘らとともに統一公判が行われる予定となっていましたが、目前に控えた1973年1月1日東京拘置所において自殺してしまうのです。

加害者には死刑・無期懲役などの判決が下される

「山岳ベース事件」に加わった12人の裁判はその他の事件の容疑とともに1973年から始まり、1993年2月に最高裁で主犯格の永田洋子及び坂口弘に死刑判決、植垣康博の無期懲役判決が確定して終了します。 ただし森恒夫は東京拘置所で自殺したため控訴棄却となり、坂東國男はクアラルンプール事件において国外逃亡中であるため判決は下っていません。 その他のメンバーには未成年メンバーの保護処分を除き、懲役4年から無期懲役の実刑判決が確定しています。

山岳ベース事件が与えた影響

「山岳ベース事件」はあさま山荘事件で坂口弘らが逮捕された後に発覚しました。 口を噤(つぐ)んでいたメンバー達も次第に事件について語り始めるようになっていきました。「山岳ベース事件」に関わったメンバーが手記などを発表するようになると、事件のすさまじさが生々しく伝わるようになります。 その結果連合赤軍の思想に一定の理解を示していた人々にも変化が起こり、左翼には過激なイメージがつくことになってしまったのです。

山岳ベース事件に関する出版物

山岳ベース事件については、獄中から坂口弘や永田洋子らの手記などのほかに、元メンバーらからなる「連合赤軍事件の全体像を残す会」による「証言連合赤軍」も出版されました。 とりわけ、事実に基づいた小説や映画は事件の概要や加害者の心境を知るには最適であることから「山岳ベース事件」をモデルとした作品について紹介します。

山岳ベース事件を題材にした小説

「山岳ベース事件」を題材とした小説では桐野夏生氏の「夜の谷を行く」、立花和平氏の「光の谷」が有名ですが、それぞれに異なる視点で描かれています。 桐野夏生氏の「夜の谷を行く」は「山岳ベース事件」で逮捕された女性の服役後の生活や、永田洋子死刑囚の獄中死から決別した過去の記憶に苛まれる姿が描かれた作品です。 立花和平氏の「光の谷」は映画化もされていますが、山岳ベース事件の死刑囚の視点から淡々と事件を振り返り、一般人がテロリストに変貌していく過程が丁寧に描写されています。

山岳ベース事件を題材にした映画

「山岳ベース事件」を題材にした映画としては、小説を映画化した高橋伴明監督の「光の海」、若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」があります。 高橋伴明監督の「光の海」(2001年)は連合赤軍を扱った初めての映画ですが、「山岳ベース事件」を劇中劇という形で描写しているため、残酷なシーンも刺激が少なく鑑賞しやすい作品です。 これに対して、若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008年)は事実を忠実に再現した作品であり、坂口弘演じるARATAの鬼気迫る演技も話題となりました。

山岳ベース事件の関連事件

「山岳ベース事件」は連合赤軍が起こした凶悪事件の一つですが、彼らはその他にも数々の刑事事件に関与しており、それらは相互に深い関係性を持っています。 つまり、「山岳ベース事件」の全貌を理解するには、連合赤軍もしくは個々のメンバーが関連した事件を把握する必要があることから、代表的な3つの事件について紹介します。

印旛沼事件

「印旛沼事件」とは、革命左派内部において同志たるメンバーが殺害された事件であり、「山岳ベース事件」の原点となる事件だといえます。 1978年頃の革命左派は、最高指導者川島豪を奪還するため銃砲店を襲い大量の銃を集めていましたが、永田洋子、坂口弘、吉野雅邦ら後の赤軍派に名を連ねるメンバーは指名手配の身であり山岳ベースを作らざるを得なくなるのです。 しかし、逃亡するメンバーが相次ぎ、他のメンバーからその処分について詰め寄られた坂口弘は永田洋子、吉野雅邦らと共謀し殺害してしまうのです。

あさま山荘事件

あさま山荘事件は、警察から逃れるため坂口弘らが山岳地帯を点々としていた際、偶然迷い込んだ長野県軽井沢の「あさま山荘」で人質をとって籠城した事件です。 あさま山荘における籠城は、1972年2月19日から機動隊が強行突入する同月28日まで10日間にわたりました。事件では民間人1人を含む3人が死亡します。 この模様は連日テレビで放映され、50%を超える平均視聴率であったことから連合赤軍の名前が日本中に知れ渡ることになりました。

【関連記事】あさま山荘事件についてはこちら!

クアラルンプール事件

新左翼系団体である日本赤軍が1975年にマレーシアにあるアメリカ及びスェーデン大使館を占拠し、服役中の新左翼系活動家7人の釈放を要求した事件です。 日本赤軍が釈放を要求した活動家には連合赤軍の坂口弘、坂東國男の名前がありましたが、坂口弘はこれを拒否し獄中で活動を続けます。 坂東國男は日本赤軍に加入することを条件に釈放され現在も逃亡を続けていますが、このことが坂口弘の死刑執行ができない原因にもなっているのです。

まとめ

山岳ベース事件は「革命」の名のもとに集まった若者たちが次第に狂気の精神世界にのめり込み、凄惨なリンチ殺人を引き起こしてしまう哀しい事件です。 連合赤軍のメンバーはいずれも高学歴であり、ある意味純粋であったともいえますが、人間は間違った思想に取りつかれると一般では考えられないほど残忍になることを忘れてはなりません。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

もくじ
閉じる