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桜木町事故は人為的なミスにより起きた列車火災事故。多数の犠牲者を出した事件の原因とは。

もくじ

1分でわかる桜木町事故

桜木町事故の要点

  • 1951年京浜線桜木町駅で起きた列車火災
  • 乗客106名が焼死、92名が重軽症
  • 事故後国鉄は対応におわれた

「桜木町事故」は1951年4月24日京浜線桜木町駅構内で起こった列車火災事故です。 火災が起こった車両からの逃げ場を失ったことにより多くの死傷者が発生しました。事故は国鉄に大きなショックを与え、政治問題にもなりました。

桜木町事故の概要

(画像:Unsplash

「桜木町事故」は旧国鉄時代の列車火災事故です。出火原因は吊架工事の作業員がスパナを落としてしまったことです。 垂れた架線に通勤列車が接触し、短絡(ショート)したことから火災が発生しました。逃げ場を失った乗客106名が焼死し、92名が重軽傷となってしまいました。まず事故の概要から見ていきましょう。

1951年京浜線の桜木町駅で起きた列車火災

「桜木町事故」は1951年に京浜線の桜木町駅にて発生した火災事故です。電気工事中の作業員の人為的なミスにより架線が垂れ下がり、その垂れ下がった架線に他の電車のパンタグラフが絡まりショートしたことで発火し一気に燃え広がりました。 当時の列車は木造で火が燃え広がるのが早く先頭車両と2両目の車両を中心に多くの死傷者が出ました。

死者106名負傷者は92名の被害を出した

「桜木町事故」では先頭車両が全焼し2両目の車両も半焼したため、死者106名、負傷者92名という大きな被害者を出しました。 当時の車両には乗客の脱出に必要な措置がとられていなかったことから、乗客は脱出することができず車両の中で焼死するしかなかったのです。 事故は高架線路で発生したため集まった群衆にも為す術がなく、逃げ場を失った乗客達が炎の中で焼かれるのを見守るしかないという地獄絵図が展開されたのです。

桜木町事故の原因

(画像:Unsplash

「桜木町事故」の直接的な原因は何だったのでしょうか。そして事故がここまで拡大してしまった要因は何だったのでしょうか。 「桜木町事故」は人為的要因が大きかったとされています。それでは事故の直接的な原因とともに、事故が大きくなってしまった原因を探ってみましょう。

作業員がスパナを落とした

事故当日桜木町駅で吊架線工事の作業員が誤ってスパナを落とし、架線が切断され垂れ下がったままの状態になりました。 その架線が通りかかった車両の1輌目のパンタグラフに絡みついたことから、運転士が慌ててパンタグラフを下ろしましたが、パンタグラフは破損してしまいました。 このため短絡によって発生した火花が可燃性の塗料に着火し、一気に木製の車両に燃え広がったのです。

扉が開かなかった

「桜木町事故」の被害がここまで拡大した大きな原因として車両の窓が開かなかったことがあります。 当時の車両の窓は中段が固定された三段式のもので、そこから乗客が脱出することは不可能でした。もし窓の中段が可動式で開放部が広ければ犠牲者の数は激減したであろうとされています。 加えて連結部の扉が内開きとなっていたため、先頭車両の乗客が2両目の車両に移動しようとした際、乗客達の押されて扉が内側に開けなかったことも被害を大きくしました。

旧式の車両

事故車両である「モハ63」は戦中・戦後に製造された通勤用列車でした。 戦中・戦後だったことから物資不足が影響し、部品も正規の部品ではなく代用品を使用したり質より量重視で大量に製造されました。 座席数も少なく立席が多くなるようにつくられていたため、車内換気の必要性から車両の窓中段を固定しており、それが「桜木町事故」の被害を大きくしたのです。

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1分でわかる桜木町事故

  • 1951年京浜線桜木町駅で起きた列車火災
  • 乗客106名が焼死、92名が重軽症
  • 事故後国鉄は対応におわれた

「桜木町事故」は1951年4月24日京浜線桜木町駅構内で起こった列車火災事故です。 火災が起こった車両からの逃げ場を失ったことにより多くの死傷者が発生しました。事故は国鉄に大きなショックを与え、政治問題にもなりました。

桜木町事故の概要

「桜木町事故」は旧国鉄時代の列車火災事故です。出火原因は吊架工事の作業員がスパナを落としてしまったことです。 垂れた架線に通勤列車が接触し、短絡(ショート)したことから火災が発生しました。逃げ場を失った乗客106名が焼死し、92名が重軽傷となってしまいました。まず事故の概要から見ていきましょう。

1951年京浜線の桜木町駅で起きた列車火災

「桜木町事故」は1951年に京浜線の桜木町駅にて発生した火災事故です。電気工事中の作業員の人為的なミスにより架線が垂れ下がり、その垂れ下がった架線に他の電車のパンタグラフが絡まりショートしたことで発火し一気に燃え広がりました。 当時の列車は木造で火が燃え広がるのが早く先頭車両と2両目の車両を中心に多くの死傷者が出ました。

死者106名負傷者は92名の被害を出した

「桜木町事故」では先頭車両が全焼し2両目の車両も半焼したため、死者106名、負傷者92名という大きな被害者を出しました。 当時の車両には乗客の脱出に必要な措置がとられていなかったことから、乗客は脱出することができず車両の中で焼死するしかなかったのです。 事故は高架線路で発生したため集まった群衆にも為す術がなく、逃げ場を失った乗客達が炎の中で焼かれるのを見守るしかないという地獄絵図が展開されたのです。

桜木町事故の原因

「桜木町事故」の直接的な原因は何だったのでしょうか。そして事故がここまで拡大してしまった要因は何だったのでしょうか。 「桜木町事故」は人為的要因が大きかったとされています。それでは事故の直接的な原因とともに、事故が大きくなってしまった原因を探ってみましょう。

作業員がスパナを落とした

事故当日桜木町駅で吊架線工事の作業員が誤ってスパナを落とし、架線が切断され垂れ下がったままの状態になりました。 その架線が通りかかった車両の1輌目のパンタグラフに絡みついたことから、運転士が慌ててパンタグラフを下ろしましたが、パンタグラフは破損してしまいました。 このため短絡によって発生した火花が可燃性の塗料に着火し、一気に木製の車両に燃え広がったのです。

扉が開かなかった

「桜木町事故」の被害がここまで拡大した大きな原因として車両の窓が開かなかったことがあります。 当時の車両の窓は中段が固定された三段式のもので、そこから乗客が脱出することは不可能でした。もし窓の中段が可動式で開放部が広ければ犠牲者の数は激減したであろうとされています。 加えて連結部の扉が内開きとなっていたため、先頭車両の乗客が2両目の車両に移動しようとした際、乗客達の押されて扉が内側に開けなかったことも被害を大きくしました。

旧式の車両

事故車両である「モハ63」は戦中・戦後に製造された通勤用列車でした。 戦中・戦後だったことから物資不足が影響し、部品も正規の部品ではなく代用品を使用したり質より量重視で大量に製造されました。 座席数も少なく立席が多くなるようにつくられていたため、車内換気の必要性から車両の窓中段を固定しており、それが「桜木町事故」の被害を大きくしたのです。

桜木町事故関係者の裁判

「桜木町事故」の関係者は起訴されました。起訴されたのはスパナを落下させた作業員3人と、桜木町駅の信号掛、電車運転士の5人でした。 裁判は最高裁まで争われましたが、最終的にそれぞれ禁錮6ヶ月から1年10ヶ月の判決が確定しました。事故の規模を考えると全体として刑が軽かった印象は否めません。 当時列車事故が頻発していた国鉄幹部の責任が法定で追及されることはありませんでしたが、マスコミや野党のバッシングは厳しく当時の国鉄総裁は引責辞任しています。

桜木町事故のその後と影響

「桜木町事故」は以後の鉄道輸送に様々な観点から教訓を残すと同時に、国鉄そのものへも大きな影響を与えました。 ここでは「桜木町事故」を教訓に国鉄はどのような取り組みをしたか、また事故が国鉄その他に与えた影響を見ていきます。

車体の強化

国鉄は素早い対応をとりました。まずは「桜木町事故」で延焼を早めた木造の車両への防火塗料の塗布やパンタグラフの絶縁などの応急措置を実施しました。 少し間を置いて車両天井の鋼鉄化や事故で乗客の逃げ場を塞ぐことになった中段が固定された三段窓の可動化も実施されました。 これらの該当車両の改善はわずか2年で完了させました。国鉄が如何にこの事故にショックを受け、体質改善を急いだかが伺えます。

国鉄への批判

当時事故を多発させていた国鉄に対する国民の不満が「桜木町事故」で爆発し、マスコミは激しくバッシングしました。 「桜木町事故」は政治問題にも発展し、野党は国鉄の怠慢であるとして当時の吉田内閣倒閣運動に結びつけようとしました。 国鉄はプロ野球球団「国鉄スワローズ(現在のヤクルトスワローズ)」を立ち上げたり、列車サービスを復活させるなど事業復興のまっただ中にありましたが、それだけに国鉄内外に与えた衝撃は大きく、世間からは「野球をやる余裕があるのなら、欠陥車両の改善を急げ。」と叩かれました。

アニメ「サザエさん」でも扱われる

「桜木町事故」は国民的人気漫画である「サザエさん」でもモチーフとして使われました。 マスオさんが会社の同僚と一杯やって、サザエさんに叱られるかと恐る恐る帰宅したら、「電車で焼け死なないでよかった。」と家族によろこばれるというオチでした。 「サザエさん」は当時から朝日新聞に連載されており、そのモチーフとして使われるということは如何にこの事故の社会的影響が大きかったかを物語っています。マスオさんは桜木町駅を通って通勤していたのですね。

まとめ

今回は人為的事故ともいわれている「桜木町事故」を解説しました。かつてこのような恐ろしい事故が現実に起こったのです。様々な人為的ミスがなければある程度防ぎ得た事故であったかもしれません。 列車事故は今日に至っても根絶されたとはいえない現状にあります。関係者はこのような過去の教訓を風化させることなく、継続的な鉄道輸送の安全確保に取り組んで頂きたいものです。

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