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佐川一政によるパリ人肉事件に迫る。白人女性を殺害し食したものの自由の身になった理由は?

もくじ

1分でわかるパリ人肉事件

パリ人肉事件

  • 1981年にフランスで起こった猟奇殺人事件
  • 留学中の日本人男性がオランダ人女性を殺害し遺体の一部を食べた
  • 逮捕されたものの精神鑑定の結果不起訴処分となる

「パリ人肉事件」は1981年6月13日に発覚した猟奇殺人事件です。犯人である日本人留学生が被害者の遺体の一部を食べたことで、世界中の注目を集めました。 今回は「パリ人肉事件」の概要と裁判の行方、事件後どうなったかについて解説します。

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佐川一政による残虐な犯行

(画像:Unsplash

「パリ人肉事件」は発覚した1981年6月13日の2日前、同年同月11日に起こりました。パリに留学していた当時32歳の日本人男性がこの事件の犯人です。事件の猟奇性から日本だけでなく世界中から注目を集めました。 ここでは「パリ人肉事件」とはどんな事件だったのか、その概要について詳述します。

フランスの大学院に留学をしていた佐川一政による犯行

「パリ人肉事件」が起こったのは1981年6月11日のことです。フランス・パリにある大学院に留学していた当時32歳の佐川一政が犯行に及びました。 逮捕後にわかることですが、佐川は子どもの頃から人肉を食べたいという欲求を持っていました。そして留学前に日本でも食肉目的でドイツ人女性を襲い、逮捕されています。 しかし父親が女性に示談金を支払ったことで告訴は取り下げられ、佐川はフランスに留学しました。

佐川一政はオランダ人女性を殺害した

1981年6月11日佐川一政は自宅に同じ留学生であるオランダ人女性を招待していました。その口実は「ドイツ語で詩を朗読してもらいたい。」というものでした。 被害にあった女性は美人でスタイルも良く、佐川は以前から愛情を抱いていたとされています。 そして女性が詩の朗読を始めると、佐川は隙を見て女性の背後に近づきます。そして22口径のカービン銃で女性を背後から撃って殺害しました。

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1分でわかるパリ人肉事件

  • 1981年にフランスで起こった猟奇殺人事件
  • 留学中の日本人男性がオランダ人女性を殺害し遺体の一部を食べた
  • 逮捕されたものの精神鑑定の結果不起訴処分となる

「パリ人肉事件」は1981年6月13日に発覚した猟奇殺人事件です。犯人である日本人留学生が被害者の遺体の一部を食べたことで、世界中の注目を集めました。 今回は「パリ人肉事件」の概要と裁判の行方、事件後どうなったかについて解説します。

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佐川一政による残虐な犯行

「パリ人肉事件」は発覚した1981年6月13日の2日前、同年同月11日に起こりました。パリに留学していた当時32歳の日本人男性がこの事件の犯人です。事件の猟奇性から日本だけでなく世界中から注目を集めました。 ここでは「パリ人肉事件」とはどんな事件だったのか、その概要について詳述します。

フランスの大学院に留学をしていた佐川一政による犯行

「パリ人肉事件」が起こったのは1981年6月11日のことです。フランス・パリにある大学院に留学していた当時32歳の佐川一政が犯行に及びました。 逮捕後にわかることですが、佐川は子どもの頃から人肉を食べたいという欲求を持っていました。そして留学前に日本でも食肉目的でドイツ人女性を襲い、逮捕されています。 しかし父親が女性に示談金を支払ったことで告訴は取り下げられ、佐川はフランスに留学しました。

佐川一政はオランダ人女性を殺害した

1981年6月11日佐川一政は自宅に同じ留学生であるオランダ人女性を招待していました。その口実は「ドイツ語で詩を朗読してもらいたい。」というものでした。 被害にあった女性は美人でスタイルも良く、佐川は以前から愛情を抱いていたとされています。 そして女性が詩の朗読を始めると、佐川は隙を見て女性の背後に近づきます。そして22口径のカービン銃で女性を背後から撃って殺害しました。

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佐川一政は女性を殺害した後、性交渉をし女性の肉を食した

被害者であるオランダ人女性は至近距離から撃たれたこともあり、即死しました。佐川はその後女性の身体を拭き、血をぬぐったそうです。 そして佐川は女性の衣服を脱がせ、屍姦(しかん)に及びます。行為が終わると女性の遺体を一部切り取り、生のまま食べたのです。 その後女性の遺体をバスルームに運び、電動のこぎりと肉切り包丁を使って解体します。そして女性の臀部・太もも・乳房をフライパンで焼き、夕食として食べました。

佐川一政は遺体を遺棄したとこを発見される

1981年6月13日フランス人の夫婦はパリ西部ブローニュの森の池のほとりを散歩していました。そして東洋人の小男が池にスーツケースを2つ投棄しているところを目撃したのです。 自宅に戻った夫婦は男の行動を不審に思い、警察に通報します。すぐに現場に向かったパリ警察は池からスーツケースを回収しました。 そしてスーツケースを開けると、白人女性のものと思われるバラバラになった遺体が詰まっていたのです。小さな東洋人男性という目撃証言により、佐川一政は早々に逮捕されました。

パリ人肉事件の裁判と判決

パリ警察が佐川一政を逮捕したのは1981年6月15日のことです。逮捕された佐川は警察に全面自供します。そして起訴されたのですが、通常の猟奇殺人事件とは異なる経緯を辿ることとなります。

佐川一政はパリでの裁判で責任能力が無いとされ不起訴

1981年6月15日に逮捕された佐川一政はサンテ刑務所に拘留され裁判を待ちました。そして裁判が始まった時佐川は「自分にとっては性的欲望は食人願望と同じだ。」と主張しました。 佐川は犯行を全面的に認めていたものの、パリの裁判所は「極度の心神喪失状態であった。」と判断しました。そのため佐川には責任能力がないとされ、不起訴処分となってしまいました。 当時この判決については、賛否両論がありました。

佐川一政はフランスの精神病院に入院

不起訴処分により「パリ人肉事件」では無罪となったものの、パリの裁判所は精神病院へ入院と裁決しました。 そのため佐川はアンリ・コラン精神病院に入院します。しかし14ヵ月後には国外退去同然に退院させられてしまうのです。 日本に帰国した後も精神病院に入院させるよう引継ぎがあったとされています。

佐川一政は日本で行われた精神鑑定で責任能力はあると鑑定

フランスから帰国した佐川一政は東京都立松沢病院に入院しました。そして松澤病院でも佐川に対する精神鑑定が行われたところ、「佐川は精神病患者ではない」という衝撃的な結果が出されました。 佐川を刑事責任に問えることと同義であるため、日本警察は佐川の起訴を検討し始めました。

佐川一政は刑罰を負わず退院

しかし佐川一政は刑罰を科されることなく、入院から1年半後に東京都立松沢病院を退院しています。 その背景には佐川を起訴するため日本警察が捜査資料の開示を求めたにも関わらず、フランス側が応じなかったことがありました。 結果的に猟奇殺人事件を起こした佐川一政は、わずか4年で社会復帰を果たすことになります。

パリ人肉事件のその後

佐川一政は自分が引き起こした「パリ人肉事件」の刑罰を受けることなく、社会復帰を果たしています。そして佐川は作家としてデビューを果たし、やがてメディアに登場するようになるのです。

佐川一政の家族である父親や弟は社会的制裁を受ける

「パリ人肉事件」を引き起こした佐川一政本人は刑事責任を問われることはありませんでした。しかし佐川の家族は社会的制裁を受けることになります。 事件当時佐川の父親は栗田工業の社長を務めていました。しかし事件によって辞任に追い込まれます。そして佐川の母親は事件を機に精神病を患い、長い闘病を余儀なくされました。 広告代理店に勤めていた佐川の弟も一時は休職に追い込まれますが、退職は免れたといいます。

佐川一政はメディア出演などで多額の収入

1985年に東京都立松沢病院を退院した佐川一政がメディアに登場するようになったきっかけは、1989年に起きた「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」でした。犯人の宮崎勤が幼女の骨を食べたことを報道し、週刊誌やワイドショーがコメントを求めて佐川一政のところに殺到したのです。 同年11月に佐川一政は初めての手記を発表し、その後はメディア出演が増えていきます。そして「サンテ」という小説を上梓し、作家デビューします。 印税とメディア出演により、佐川は多額な収入を得るようになりました。

時が経つにつれ仕事はなくなり生活に困窮

一時は高額収入を得ていた佐川一政ですが、その生活は長続きしませんでした。 やがて世間は佐川一政への関心をなくし、2001年になるとほとんどの仕事が途絶えたといいます。 2005年に佐川一政の父が亡くなり1,500万円を遺産相続したものの、借金返済に充てたれたため生活は困窮します。同年には公団住宅に引っ越し、一時は生活保護を受けていたそうです。

パリ人肉事件の犯人・佐川一政

「パリ人肉事件」の後、犯人である佐川一政はカニバリストとして有名になりました。それに加えて佐川に対し無罪判決が下されたため、どうしてカニバリズムに興味を持つようになったのかに関心を寄せる人も多かったようです。

生い立ち

佐川一政は1949年4月26日に、兵庫県神戸市で未熟児として生まれました。1歳になる頃には腸炎を発症し、カルシウムとカリウムを静脈注射することで命をつないでいたといいます。 虚弱体質だったこともあり、佐川の両親はいくつまで生きられるかと心配していたようです。内向的な性格だった佐川は、読書や音楽鑑賞を好む少年に育ちます。 幼少期に叔父が何度も魔法使いが子供を誘拐して鍋で煮て食べるという話を聞かせたことが、カニバリズムに関心を持つきっかけとなりました。

 

佐川一政の家族

佐川一政の父親は「再建の達人」といわれた人物で、事件当時は伊藤忠商事から栗田工業に出向していました。 母親は神戸で貿易商を営む裕福な家庭で育ち、専業主婦でした。 佐川には1歳年下の弟がいて、事件当時は大手広告代理店に務めていました。事件後も勤務を続けていた会社を50歳になって退職し、油彩画家に転身しています。

パリ人肉事件が題材の映画:カニバ パリ人肉事件 38年目の真実

2019年7月12日、「カニバ パリ人肉事件38年目の真実」が公開されました。これは「パリ人肉事件」の犯人である佐川一政が今どのように生活しているのかに焦点をあてているドキュメンタリー作品です。 佐川と現在自分を介護してくれている弟との関係について深掘りしながら、「パリ人肉事件」の根底にあったカニバリズムとは何かを追求する作品となっています。 この作品は第74回ベネチア国際映画祭のオリゾンティ部門において、審査員特別賞を受賞しました。

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パリ人肉事件の類似事件

「パリ人肉事件」以後にも、カニバリズム関連の事件は起こっています。 最も有名なのは「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」でしょう。犯人である宮崎勤が被害者の遺骨や手首・足首を食べたことが、センセーショナルに報道されました。 また2000年4月には、「定時制高校生人肉食目的教師殺人未遂事件」が起こっています。実際に人肉を食べてはいませんが、それを目的に殺人未遂を起こしたと当時16歳の少年は供述しました。

パリ人肉事件のような凶悪殺人事件が起きる原因

カニバリズムは「食人」「食人俗」「人肉嗜食」と呼ばれ、人が人の肉を食べる行動・習慣のことです。 文化人類学や民俗学では、風習の一つと捉えられることもあります。 しかし猟奇殺人事件としてカニバリズムが起こる場合には、精神疾患と関わりが深いと考えられています。食人鬼と呼ばれたアンドレイ・チカチーロやアルバート・フィッシュ、エド・ゲインなどは佐川一政と同様に統合失調症でした。

パリ人肉事件のような凶悪殺人事件との向き合い方

カニバリズムには常習性があるといわれています。精神病質な人がくり返しカニバリズムを空想すると、その常習性がより強まってしまうのです。 空想によって加害者の脳内に大量のドーパミンが分泌され、快感を得ます。そして再びその快感を得るために、食人をくり返そうとします。 食人中毒になってしまうと、治療は難しくなります。カニバリズム志向がある人をいち早く見つけ、実行するまえに治療させることが肝要でしょう。

まとめ

映画公開に伴って再び注目を集めている、「パリ人肉事件」について解説しました。事件後に犯人である佐川一政がメディアに登場したこともあり、世界中から注目されました。 民族風習としてのカニバリズムは別として、自分の快楽のために猟奇殺人事件が起こることは許されることではありません。映画「カニバ パリ人肉事件38年目の真実」を教訓とすることが重要です。

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