1分でわかるロス疑惑
- アメリカで日本人夫妻が発砲され妻が死亡
- 夫の三浦和義に容疑がかけられる
- 三浦和義は無罪となるも自殺
ロス疑惑(三浦和義事件)の概要
当時日本でも大きく取り上げられたその事件は日本人の夫婦が銃撃事件に巻き込まれ、夫人が死亡するというセンセーショナルなものでした。 事件が起きたのがロスだったために「ロス疑惑」、もしくは「疑惑の銃弾事件」と呼ばれ、話題になりました。やがて妻に多額の生命保険が掛けられていたことから、科学的な根拠や証拠もなく夫に疑惑の目が向けられていきます。 事件は渦中の人物の名をとり「三浦和義事件」や「三浦事件」とも呼ばれ、報道もまた次第にエスカレートしていきました。 保険金目当ての殺害事件はこちらの記事をチェック↓
1981年にアメリカで日本人夫妻を襲った殺人事件
日本人の夫妻を襲った残酷な事件は、アメリカロサンゼルス市内で発生しました。 1981年11月夫妻はロスに滞在していましたが、拳銃を持った2人組の男性に襲われてしまいます。頭を撃たれた妻は、不運にも意識不明の重体になり、夫もまた足を負傷しながらも犯人の情報を警察に伝えました。 日本と違いアメリカでは珍くはない拳銃による犯罪に、夫妻は巻き込まれ、運が悪かったと思われていました。しかし犯人は捕まらず重体だった妻は同月末、移送先の日本の病院で帰らぬ人となりました。
被害者の夫である三浦和義に疑惑がかけられた
ロス滞在中に妻を思わぬ形で亡くした夫はワイドショーなどにもたびたび出演し、その心境を語っています。しかし妻に多額の生命保険が掛けられていたことが暴露され、同情の目は疑惑の視線へと移り変わります。 夫は妻をお金のために殺したのではないかと、マスメディアが報道するときなどにも決めつけるような発言なども多くなり、真実は置き去りに三浦和義のプライベートまでさらけ出すようになりました。 保険金を巡る殺人事件はこちらからチェック↓
ロス疑惑(三浦和義事件)の経緯
発端は1981年に起きたホテル殴打事件で、さらに間を置かず銃撃事件に巻き込まれた際に妻は死亡し、夫も負傷しました。 不運な事件に巻き込まれてしまったために妻を失ってしまった三浦に、なぜ疑惑の目が向けられるようなことになったのでしょうか。また三浦が逮捕される経緯なども順を追って詳しく見ていきましょう。
1981年8月に事件発生
事件が発生したのは1981年8月、夫妻は旅行中でした。ホテルの部屋へ侵入され、妻が襲われてしまったのです。 襲ってきたのはアジア系の女性とのことでしたがそれ以上は詳しいことは分からず、しかしその時は妻も軽傷で済みました。 これだけで終わっていれば運が悪かった、軽傷で済んでよかったとなりますが、この3か月後にはまた事件に巻き込まれ、妻は命を落としてしまいました。
1984年に週刊文春が三浦和義の疑惑を報道
三浦和義に対する疑惑が持ち上がったのは、事件から3年がたった1984年のことでした。 週刊文春が、「多額の金が三浦にわたっている」という旨の保険金にまつわる疑惑を記事にし、連載形式で報道したためです。 その報道に続く形で、マスメディアはこぞって三浦のプライベートにまで遠慮なく踏み込みました。状況証拠のみであくまで疑惑であるにもかかわらず、まるで犯人であるかのようにマスコミ各社に報道されました。
1985年に三浦和義が日本で逮捕
週刊文春による、三浦に関する疑惑報道の翌年の1985年、警察は三浦和義の逮捕に踏み切りました。きっかけになったのは、元女優・矢沢美智子が産経新聞に載せた告白文ではないかとされています。 告白文の内容は、妻を襲えば愛人である自分と結婚してくれると三浦にほのめかされたとのことでした。結局三浦は逮捕、翌日矢沢も逮捕されともに実刑判決を受けました。 以降三浦は拘置所・刑務所あわせて16年もの間拘束されました。
2003年に無罪が確定
2003年、三浦の裁判が終わり、無罪に確定しました。 東京地裁での裁判では有罪の判決が出たものの不服を申し立て控訴することで、高裁において証拠不十分と認められ、無罪を勝ち取ることができました。検察側は最高裁まで持ちこみましたが、新たな事実や決定的な証拠を提示することはできず、判決を覆すに至りませんでした。 逮捕当時、疑惑報道を過熱させたマスコミ各社は、無罪決定を受けてもさほど大きく取り上げることはしませんでした。
2008年2月にロサンゼルス市警に逮捕される
サイパン島において三浦が逮捕されたのは、2008年2月のことです。無罪と判断された三浦がロス市警に逮捕されたのは国が違うという一点に尽きます。 実は日本では無罪と決定しても、アメリカではまだ調査中の事件であったためです。ロスへの移送が検討される中、三浦和義は法廷に出て無罪という判決が日本で出ている、ということを根拠に、ロスへの移送中止と身柄の開放を要求しました。 しかし残念ながら殺人罪に関しては無効とされたものの、共謀罪では日本での審理がされていないとの理由から解放とはなりませんでした。
2008年10月に三浦和義が自殺
2008年10月、ロサンゼルス警察に身柄を確保されて移送された三浦和義は、実に27年ぶりにロスの地へ足を踏み入れました。 しかしロスへと渡ったその日のうちに三浦和義は、留置所内で自らのシャツを使用して首をつっているのが発見され、病院に搬送はされたものの亡くなってしまいます。 調査したロサンゼルス市警は、状況などから自殺と断定し発表しましたが、三浦和義の弁護士は他殺ではないかと疑問を呈していました。
ロス疑惑(三浦和義事件)の関係者
事件の関係者は多くはありません。深くかかわっており、名前が出ているのはたったの3人だけになります。 事件の中心、疑惑の人物である三浦和義、三浦の愛人、妻を襲ったと告白した元女優・矢沢美智子、事件を担当する高名な弁護士、弘中惇一郎です。3人がどのような人物であるのか一人ずつみていきましょう。
三浦和義
銃弾に倒れた妻に対して、疑惑の目を向けられている三浦和義は、子供のころは子役をしていたこともありました。 青年時代には家出を繰り返すこともあったといいます。自分で火をつけておいて、その中から取り残された人を助け出すなど、注目を集めたいと思えるような問題ある行動もしています。 特異な言動が目立つ三浦和義は、事件の最中はもとよりその死により死後もまた、世間の注目を集めることとなりました。
元女優・矢沢美智子
元女優の矢沢美智子は、ホテルの殴打事件を実行したとされる女性です。三浦和義の愛人であり、妻を襲うことで結婚をほのめかされていたといいます。 しかし事の重大さに気付いた矢沢は、ホテルには妻に警告するために出向いたとのことでした。ただし、不法侵入に驚いた妻ともみあいになり、最終的に殴って軽傷を負わせてしまったというのが彼女の主張です。 真実はともかく、矢沢には2年6か月の実刑判決が下されました。
担当弁護士・弘中惇一郎
三浦和義の担当をした弘中惇一郎弁護士は、「無罪請負人」や「カミソリの弘中」などと呼ばれるほどの敏腕弁護士です。そのぶん高額な報酬でも知られており、三浦和義は実は十分な資金があったのではとも言われています。
もう一つのロス疑惑とは
「もう一つのロス疑惑」と呼ばれる事件があります。 三浦の妻が亡くなる2年前、1979年にロス郊外で遺体が発見されました。遺体は東洋系の女性でミイラ化しており、当初は身元不明でした。事件は「ジェイン・ドウ・88事件」と呼ばれていました。 のちに彼女は三浦の元交際相手であり、三浦が再三彼女の口座からお金を引き出していたことが判明します。すでに自死していた三浦に対し、状況証拠のみでその女性に関する、殺人、窃盗の容疑を掛けられました。
真相は不明も疑惑は残り続ける
事件から長い時が過ぎた今では真相を知ることはもうないのでしょうか。カギを握る人物、三浦和義が亡くなってしまい、すべては闇の中です。とはいえ、妻殺害の実行犯が生きていれば、いずれ真実を知る機会もあるのかもしれません。 一つ確かなことは、この事件により刑の確定していない被疑者の人権にも注意が向くこととなりました。