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ロボトミー殺人事件は精神外科手術によって感情を失った桜庭章司による復讐劇。

もくじ

1分でわかるロボトミー殺人事件

ロボトミー殺人事件とは

  • 1979年9月に東京都で起こった強盗殺害事件で、精神科医の妻と母親が死亡
  • 犯人は1964年に被害者遺族である精神科医からロボトミー手術を受けていた元患者だった
  • 世界的にもロボトミー手術に対する批判が多くなり、精神外科は衰退した

ロボトミー殺人事件の概要

(画像:Unsplash

ロボトミー殺人事件は犯人が被害者遺族となった精神科医に外科手術を受けてから15年後に発生しています。犯人がロボトミー手術を強行された背景には、精神科医が家族を説得し本人に嘘をついて手術を行っていたという事実がありました。 ここでは、ロボトミー殺人事件の概要を詳述します。

桜庭章司は気性が荒いことで有名だった

ロボトミー殺人事件の犯人である桜庭章司(さくらばしょうじ)は1929年1月1日に長野県松本市で生まれました。小学校時代に東京に転居し東京高等工学校(現・芝浦工業大学)付属工科学校に進学しますが、家計を助けるために1年で退学しています。 20歳になった1949年には「これからは英語の時代」と考えるようになり、独学で勉強し通訳の資格を取得します。その後英語力を生かして当時占領軍の基地があった新潟県にある電話局に就職をしています。 一方で1948年に北陸5県社会人ボクシング選手権大会に出場し、ライト級で優勝するなど文武両道を貫きました。しかし家庭の事情で1950年に松本に戻り土木作業員として働くようになると、短気で暴力的な面が見られるようになります。やがて気性が荒いと周囲に恐れられるようになったようです。

器物損壊事件などを起こし精神病院への入院を余儀なくされた

桜庭章司が精神病院に入院したのは1964年3月11日のことでした。同月3日に老いた母親のことを話し合おうと東京都板橋区に暮らす妹を訪ねて口論となり、人形ケースを壊したことがきっかけです。妹の夫が警察に通報し、桜庭章司は器物破損事件の容疑者として現行犯逮捕されました。 翌4日に妹は告訴を取り下げたにも関わらず、警察は桜庭章司を1週間も留置します。そして過去に恐喝や暴力事件の前科があることを知り、それが精神疾患からくるものかどうかを判定するため精神鑑定を受けさせました。 都立梅ヶ丘病院で行った精神鑑定の結果、桜庭章司は「精神病質」と診断されます。そのため警察は同月11日に東京都多摩市にある聖跡桜ヶ丘の桜ヶ丘保養所(現・桜ヶ丘記念病院)に桜庭章司を強制措置入院させました。

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1分でわかるロボトミー殺人事件

  • 1979年9月に東京都で起こった強盗殺害事件で、精神科医の妻と母親が死亡
  • 犯人は1964年に被害者遺族である精神科医からロボトミー手術を受けていた元患者だった
  • 世界的にもロボトミー手術に対する批判が多くなり、精神外科は衰退した

ロボトミー殺人事件の概要

ロボトミー殺人事件は犯人が被害者遺族となった精神科医に外科手術を受けてから15年後に発生しています。犯人がロボトミー手術を強行された背景には、精神科医が家族を説得し本人に嘘をついて手術を行っていたという事実がありました。 ここでは、ロボトミー殺人事件の概要を詳述します。

桜庭章司は気性が荒いことで有名だった

ロボトミー殺人事件の犯人である桜庭章司(さくらばしょうじ)は1929年1月1日に長野県松本市で生まれました。小学校時代に東京に転居し東京高等工学校(現・芝浦工業大学)付属工科学校に進学しますが、家計を助けるために1年で退学しています。 20歳になった1949年には「これからは英語の時代」と考えるようになり、独学で勉強し通訳の資格を取得します。その後英語力を生かして当時占領軍の基地があった新潟県にある電話局に就職をしています。 一方で1948年に北陸5県社会人ボクシング選手権大会に出場し、ライト級で優勝するなど文武両道を貫きました。しかし家庭の事情で1950年に松本に戻り土木作業員として働くようになると、短気で暴力的な面が見られるようになります。やがて気性が荒いと周囲に恐れられるようになったようです。

器物損壊事件などを起こし精神病院への入院を余儀なくされた

桜庭章司が精神病院に入院したのは1964年3月11日のことでした。同月3日に老いた母親のことを話し合おうと東京都板橋区に暮らす妹を訪ねて口論となり、人形ケースを壊したことがきっかけです。妹の夫が警察に通報し、桜庭章司は器物破損事件の容疑者として現行犯逮捕されました。 翌4日に妹は告訴を取り下げたにも関わらず、警察は桜庭章司を1週間も留置します。そして過去に恐喝や暴力事件の前科があることを知り、それが精神疾患からくるものかどうかを判定するため精神鑑定を受けさせました。 都立梅ヶ丘病院で行った精神鑑定の結果、桜庭章司は「精神病質」と診断されます。そのため警察は同月11日に東京都多摩市にある聖跡桜ヶ丘の桜ヶ丘保養所(現・桜ヶ丘記念病院)に桜庭章司を強制措置入院させました。

精神病院でも素行の悪さは治らず

桜庭章司は精神病院に強制措置入院させられた後、院内で20歳くらいの女性と知り合います。その女性は桜庭章司と担当医が同じで精神外科手術を受けました。 桜庭章司は担当医師から「手術は成功した」と説明されていましたが、その女性の人格は手術前とは異なっており、手術から約1ヶ月後に女性は首つり自殺してしまいます。 女性が自殺したことに激怒した桜庭章司は執刀医に詰め寄りました。この行動により桜庭章司は精神科医に危険人物としてレッテルを貼られ、ロボトミー手術の強行につながっていきます。

精神病とされた桜庭章司は強制的にロボトミー手術を受けさせられた

手術した若い女性の末路を見ていた桜庭章司はロボトミー手術を恐れるようになります。そして担当医にも「ロボトミー手術をしないでほしい。」と懇願していました。 自身の母親に対しても「担当医に求められても絶対に手術の承諾書にサインしないように」と手紙で依頼しています。しかし担当医は病院に母親を呼びつけ、承諾書にサインするまで熱心に説得を続けました。 そして1964年11月2日に桜庭章司に対して「肝臓の検査のため」と嘘をついて全身麻酔をかけ、チングレクトミーという種類のロボトミー手術を行いました。

手術後感性や感情が失われ、スポーツライターの仕事に支障が出たと主張

精神病院に強制措置入院させられていた当時の桜庭章司はスポーツライターとして仕事をしていました。編集者からの信頼も厚く入院中も仕事の依頼が続いていたほどです。 ロボトミー手術後にスポーツライターとして仕事を再開しようとしますが、感受性の鈍化や意欲の減退が起こっていました。そのためまともな記事を書くことはできませんでした。 ロボトミー殺人事件の公判においても、「術後にスポーツライターの仕事に支障が出た。」と主張しています。

手術の復讐として藤井澹の妻子を殺害

桜庭章司の目的は担当医だった藤井澹(ふじいきよし)さんを殺して自殺をすることでした。そのため遺書を持参したうえで長時間作用型鎮静・睡眠薬であるバルビタールを服用して、藤井澹さん宅に1979年6月26日17時過ぎに押し入っています。 そして自宅にいた藤井澹さんの母親と後に外出先から帰宅した妻を拘束し、18時30分に帰宅するはずだった元担当医を待ちました。しかし20時を過ぎても藤井澹さんは帰宅しませんでした。 桜庭章司は「藤井澹さんとの無理心中を行うためには、そのまま逃走するわけにはいかない」と考えます。そして、藤井澹さんの母親と妻を刺殺しました。さらに物取りに見せるため、現金と預金通帳を持ち出しています。

桜庭章司は無期懲役となった

藤井澹さんの自宅から逃走したものの、大量に薬を飲んでいた桜庭章司はもうろうとした状態でした。そのため池袋駅で職務質問をされ、そのまま逮捕されてしまいます。 強盗殺人容疑で起訴された桜庭章司被告に対し精神鑑定が行われました。その際に脳内に残された手術用器具や脳波の異常が見つかっています。 しかし桜庭章司被告は責任能力があると判定されたたため、第一審で無期懲役という判決が出ます。桜庭章司被告は「無罪か死刑でなければロボトミー手術を理解していない」として最高裁まで争いました。しかし1996年に最高裁で上告が棄却され刑が確定しています。

ロボトミー手術とは

ロボトミー手術が初めて行われたのは1935年といわれています。ジョンフルトン氏とカーライルヤコブセン氏がチンバンジー2匹を手術したのが始まりです。その後ポルトガルの神経科医であるアントニオエガスモニス氏が人間に対して手術を行い、1940年には治療の一環として用いられるようになりました。 ここではロボトミー手術について詳述します。

精神外科手術として注目を浴びており、ノーベル賞も受賞

チンパンジーや人間の脳にある前頭葉を切除するというロボトミー手術により凶暴性が治まり従順になるという論文が発表され注目を集めました。 1945年から1947年の2年間に世界各国で2,000件のロボトミー手術が行われたといわれています。しかしその効果が話題になることはあっても、副作用について報じられることはなかったようです。 1949年にロボトミー手術の発案者であるアントニオエガスモニス医師はノーベル生理学・医学賞を受賞しました。その結果ロボトミー手術の実施件数は18,000件以上になったそうです。

前頭葉を切除する手法

ロボトミー手術は脳の前頭葉を切り離すという手法です。モニス術式や経眼窩(けいがんか)術式、眼窩脳内側領域切除術などの術式があります。前頭葉を切り離すことで神経回路を遮断すると、ヒステリーやかんしゃくを抑えることができます。 そのため主に統合失調症やうつ病の患者さんに対してロボトミー手術が行われていました。しかし時間の経過とともに、その副作用が明らかとなります。 それは前頭葉を切り離すことで患者さんの感情を奪い、ロボットのようにしてしまうという重大なものでした。

 

精神外科の衰退の歴史と現在

ロボトミー手術は精神外科に分類されます。精神外科とは大脳を切除するという外科手術を受けることで、精神疾患を治療するという分野でした。1935年に国際神経学会でロボトミー手術についての論文発表が行われたことで、精神外科を実践する医師が増えました。しかし精神外科は時代と共に衰退していくこととなります。 ここでは精神外科の衰退の歴史と現在について詳述します。

ロボトミー手術を機に盛り上がる

1935年にポルトガルで初めて人間に対するロボトミー手術が行われると、翌1936年9月にはアメリカで激越性うつ病患者に対しウォルターフリーマン博士が実践しています。 1930年代後半には精神疾病に対する治療法がなく、ロボトミー手術によって抑制できる可能性があることは画期的なことでした。 そのため世界中でロボトミー手術が行われ、1949年にアントニオエガスモニス医師がノーベル生理学・医学賞を受賞したことで大いに盛り上がります。

人間の尊厳の観点から廃止となった

ロボトミー手術が世界各国で行われるようになると、術後にてんかん発作・人格変化・無気力といった副作用が報告されるようになります。そうした副作用が予測不可能であることから「人権蹂躙(じんけんじゅうりん)である」と批判され始めました。 そんな中でノーベル生理学・医学賞を受賞したアントニオエガスモニス医師がロボトミー手術を行った患者に銃撃されるという事件が起こります。その背景には当時のロボトミー手術は人体実験に近かったことがあげられます。 人間の尊厳という医学倫理上の観点で外科手術がやり玉にあげられるようになり、抗精神病薬が開発されたこともありロボトミー手術は廃止されました。

精神外科は日本では自主規制されている

1950年代後半にノーマライゼーションという概念が北欧で提唱された頃、精神病院で非人道的な治療を行っていることを批判する運動が起こりました。 1960年代に入るとロボトミー手術により被害を受けた患者がアントニオエガスモニス医師のノーベル生理学・医学賞受賞の取り消しを求める運動も始まりました。そうした状況の中で精神外科は衰退していきました。 日本でも1975年からロボトミー手術は自主規制されていますが、現在でも健康保険の対象となっています。そして近年の脳外科手術の技術力向上を受けて、イギリスなどでは一定の条件を満たしている重度精神障害者に限りロボトミー手術が行われているようです。

インフォームドコンセントの重要性なども見直された

ロボトミー殺人事件は桜井章司受刑者が手術を受けた経緯が明るみに出たことで支援者も現れています。担当医だった藤井澹医師がインフォームドコンセントを行わずに手術を強行したことが問題視されたのです。 そしてロボトミー殺人事件は日本の司法において医師の民事責任を認めるきっかけとなり、インフォームドコンセントの重要性も見直されました。二度とこうした事件が起こらないよう医学界の動きにも注目したいところです。

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