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リクルート事件は戦後最大の企業犯罪。江副浩正と竹下内閣の関係とは?

もくじ

1分でわかるリクルート事件

  • リクルート関連会社の株式が政治家に賄賂で譲渡された
  • 内閣総辞職、リクルート創業者の退任にまで発展
  • 当時のリクルートの評判はガタ落ち

昭和の終わりから平成にかけて起こった贈収賄事件の中で、最大規模のものといえば「リクルート事件」でしょう。現在でもあらゆる分野で活躍しているリクルート社は、多数の政治家や官僚を逮捕に追い込み内閣総辞職させた過去を持ちます。 第二次世界大戦後の歴史でも例を見ない規模の企業犯罪だった、「リクルート事件」について説明します。

関連会社の未公開株が賄賂として譲渡された

リクルート社は当時、就職や進学・住宅といった情報誌の制作・配布が事業の柱でした。 当時の社長である江副浩正氏はさらなる事業拡大のため、有力者に対し関連会社であるリクルートコスモス社の未公開株の譲渡を行いました。この未公開株は公開後は値上がり必至だと理解してのことです。 江副氏が未公開株を譲渡した相手は自由民主党をはじめとする与野党議員・経済界・マスコミ界の大物・労働省・文部省(共に当時)の官僚など多岐にわたりました。 未公開株の譲渡は、1984(昭和59)年12月20日~1986(昭和61)年6月の間に複数にわたって行われました。

川崎市助役への譲渡が朝日新聞により報道

リクルート事件は1988年6月18日、朝日新聞がスクープ記事を掲載したことで発覚しました。「川崎市助役へ1億円利益供与疑惑」というタイトルで、リクルートコスモス社の未公開株が譲渡されたとすっぱ抜いたのです。 この便宜供与の目的は、再開発中であったかわさきテクノピア地区に建設予定のビルについて、建蔽率を500%から800%に引き上げさせることでした。それにより高層建築物を造ることが最終目的だったのです。

リクルートとは

リクルートの創業は1960年、江副浩正氏が東京大学が発行していた「東京大学新聞」の広告代理店として「株式会社大学新聞廣告社」を立ち上げたことが始まりです。事業の拡大を受けて組織形態や社名を変更し、1984年から株式会社リクルートが正式社名となります。 事件当時のリクルートがどんな会社だったかについて、説明します。

リクルートは人材派遣・紹介を手がける上場企業

株式会社リクルートの前身である株式会社大学新聞広告社時代は、新卒採用したい企業と就職活動中を行う学生を結ぶことを目的とした情報誌を発行していました。 その後アルバイトも含めた求人広告業だけでなく、人材派遣業・人材紹介業・販売促進など様々な事業を展開し、上場を果たしました。 2018年には組織再編を行い「人材派遣事業」「HRテクノロジー事業」「メディア&ソリューション事業」という3つのセグメントに分かれています。

創業者は江副浩正

株式会社リクルートの創業者は江副浩正氏です。 1936年に数学教師の息子として生まれた江副氏は、資産家の子弟が多く通う甲南中学・高校に進学し東京大学合格を目指します。受験が有利になるように受験生が少なく、問題も簡単なドイツ語を外国語として選択するなど、当時から人とは異なる発想力が際立っていました。 こうした発想を持つ江副氏は東京大学在学中にリクルートの前身である株式会社大学広告社を創業し、後のリクルートブックとなる「企業への招待」という大学新卒者向けの求人広告情報誌を創刊します。 そして創業社長として何度かの社名変更を経て、株式会社リクルートになった以後も事業を拡大していきました。

リクルート事件の影響

朝日新聞のスクープ時は、贈賄の対象は川崎市の助役だけでした。しかしマスコミによる後追い取材が進んでいく中で、当時の大物政治家をはじめ財界の実力者、官僚、マスコミ関係者など100名以上に未公開株が譲渡されたことが発覚します。 リクルート事件発覚後の影響は甚大で、戦後最大ともいわれるスキャンダルに発展しました。

12人が有罪判決

1986年10月の店頭公開後、リクルートコスモス株を譲渡されていた人たちはそれを株を売却し莫大な利益を得ます。その売却益は総額で6億円といわれています。 捜査を担当した東京地検特捜部は1989年、株式会社リクルートの元会長であった江副浩正容疑者を筆頭に贈賄容疑で4名、政界・文部省・労働省・NTTの関係者8名を収賄容疑で起訴します。2003年までに12名全員に有罪判決が下され、その後刑が確定しました。 しかし当時の竹下登首相をはじめ中曽根康弘前首相、宮沢喜一副総理といった大物政治家は、リクルートコスモス社の未公開株を譲渡されていたにも関わらず立件されていません。

竹下内閣総辞職

未公開株を譲渡されていた当時の大物政治家は、職務権限との関連性が低く譲渡先も広範囲にわたっていたことから立件は見送られました。 しかし多くの大物政治家の関与は明確なことから、「国民に政治不信を招いた」として当時の竹下登内閣が総辞職を表明しました。 本来であればポスト竹下と呼び声が高かった安部慎太郎氏や宮澤喜一氏、渡辺美智雄氏が総裁選に名乗りを上げる場面でしたが、竹下首相同様に未公開株を譲渡されていたためできませんでした。

江副浩正は退任

創業以降順調に業績を伸ばした株式会社リクルートは、バブル期に銀座に自社ビルを建てるほどの成長を遂げていました。しかし勢いはあっても新興企業ということで、歴史ある大企業からは一線を画されており財界では浮いた存在だったといいます。そんな状況を変えるために政財界との交流を深めようとしていたことが、リクルート事件の背景にありました。 1988年にリクルート事件が発覚すると、大物政治家が数多く関わっていたこともあり、国会での証人喚問に召喚されます。それを機に株式会社リクルートの創業者であった江副浩正氏は、会長職を退任しました。

現在のリクルート

リクルート事件をきっかけに同社内では、企業と社会の関わり方について抜本的な見直しを行います。事件発覚後、進学情報誌事業を筆頭に深刻なクライアント離れが進んでもいました。 そんな中で同社は「ニューリクルートへの提言」を全従業員に求めます。これは経営陣が会社を立て直すのではなく、社員一人ひとりが当事者として問題と向き合い、改善方法を考えて提案・実践することで企業風土を変えることが目的でした。 これをきっかけにさまざまな検討や議論が行われ、その内容が経営理念や倫理綱領に反映しました。それは現在も受け継がれています。 新たなスタートを切ったリクルートはその後企業としての信頼を回復し、高く事業を運営する上場企業に生まれ変わりました。

リクルート事件が書かれた本

リクルート事件の当事者である江副浩正氏は「リクルート事件・江副浩正の真実」を2009年に刊行します。当事者の視点から、リクルート事件について書かれた書籍として注目を集めました。 この著作にはリクルート事件発覚までの経緯や当時の心情はもちろん、逮捕前のマスコミや逮捕後に司法当局から受けた仕打ちなども描かれています。どの立場にたって読み進むかで、印象も感じる問題点も異なる一冊となっています。

 

類似の贈収賄事件

贈収賄事件として有名な事件は昭和電工事件、ロッキード事件、KDD事件など様々あります。 いずれも政治家等が絡み大規模な問題に発展しています。 詳細は以下のリンクからご一読ください。

まとめ

「リクルート事件」について、なぜ戦後最大の企業犯罪といわれるかも含めて理解していただけましたか。 12名が有罪判決となって幕引きされましたが実際には大物政治家の立件が見送られています。そのため国民の政治不信が高まり当時の内閣は総辞職する事態に陥りました。 こうした事件が二度と起こらないことを、切に願います。

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