連続企業爆破事件とは

1974年から1975年にかけて、海外進出していた企業をターゲットにした「連続企業爆破事件」が起こりました。断続的に行われたこれらの爆破事件における実行犯は「東アジア反日武装戦線」内にあった、3つのグループのメンバーでした。
極左グループの東アジア反日武装戦線による企業の爆破テロ
「連続企業爆破事件」とは三菱重工業・大成建設・間組といった旧財閥系企業の社屋や施設を、爆弾によって爆破した事件です。 実行犯は「東アジア反日武装戦線」という極左グループの過激派で、「狼(おおかみ)」「大地の牙」「さそり」という3グループが実行しました。 この実行犯たちは逮捕されるまでに、11件の爆破事件を起こしています。
アジア侵略などに加担したと考える企業に対し爆破行為を行った
東アジア反日武装戦線は反日亡国論を主張し、日本国家をアジア侵略の元凶とみなしていました。そこで海外進出が盛んだった旧財閥系の企業はアジア侵略に加担したという理由で、爆破行為を行いました。 「連続企業爆破事件」は1974年8月30日に三菱重工ビルを爆破したことに始まり、1975年5月に間組京成江戸川橋鉄橋工事現場が爆破されるまで計11回に及びました。
東アジア反日武装戦線とは

「東アジア反日武装戦線」は1972年よりその名称が使われるようになった、アナキズム系の武闘派左翼グループのことです。 1970年に法政大学に在籍していた大道寺将司を中心に結成された、「Lクラス闘争委員会」が源流とされています。
東アジア反日武装戦線は日本が行ってきたアジアへの侵略行為に疑問を抱く
「東アジア反日武装戦線」の前身である「Lクラス闘争委員会」では、日本がアジアに対し行ってきた悪行を学びました。その中で日本帝国主義の下で行われたアジアへの侵略行為に対し疑問を抱くようになりました。 学習の中で反日思想を醸成させるのと同時に、レジスタンス運動やキューバ革命についても学んだことで反日行動のために武力闘争を行わなければならないという考えにたどり着いたことによって「連続企業爆破事件」につながりました。
連続企業爆破事件の代表的な事件一覧

「連続企業爆破事件」は「三菱重工爆破事件」を皮切りに、わずか1年足らずの間に11件も起こりました。 ここでは「三菱重工爆破事件」だけでなく、「三井物産爆破事件」「帝人中央研究所爆破事件」「体制検察爆破事件」「鹿島建設爆破事件」を取り上げて事件概要を紹介します。
三菱重工爆破事件
「三菱重工爆破事件」は1974年8月30日に起こりました。東京都千代田区丸の内にあった三菱重工業東京本社ビルに時限爆弾が仕掛けられ、12時45分に爆破されました。 この爆破によりビルの1階が大破されただけでなく9階建てだったビルの窓ガラスがすべて割れ、近隣に停車していた車両も破壊されました。 その結果通行人も含み死者が8名、負傷者が376名が出る大惨事となりました。
三井物産爆破事件
「三井物産爆破事件」は1974年10月14日に発生しました。13時過ぎに三井物産における本社屋であった物産館の電算機室を爆破しました。 実行日が日曜日だったことに加え、犯行20分前に予告電話をしたこと、三菱重工爆破事件の時より火薬量を減らしていたこと、ビルが重厚な建物であったことから被害は少なく済みました。 死者が出ることはありませんでしたが、17名の重軽傷者が出ています。
帝人中央研究所爆破事件
「帝人中央研究所爆破事件」は、1974年11月25日に起こりました。東京都日野市にあった帝人中央研究所の配電盤室を早朝である3時に爆破したというものです。 使用されたのが消火器爆弾だったこともあり、配電盤室の隣がプロパンガス貯蔵庫だったにも関わらず被害は軽微で負傷者もいませんでした。 本来は帝人本社を爆破する計画だったとされていますが、警察の意表を突くために予定変更したといわれています。
大成建設爆破事件
「大成建設爆破事件」は1974年12月10日に起こりました。11時に大成建設本社ビル1階にあった駐車場の隅で、事件爆弾が爆発したというものです。 この爆発により大成建設本社ビル並びに近隣にあった大倉商事ビルの窓ガラスが割れ、9名が重軽傷を負いました。 この爆発により停車中の2tトラックが横転したほどの威力であり、警察が歳末特別警戒を行っていた時期だったことから衝撃を受けた人も多かったそうです。
鹿島建設爆破事件
「大成建設爆破事件」から時を置かず、1974年12月23日に「鹿島建設爆破事件」が起こりました。 3時10分に鹿島建設の資材置場で、ワックス缶爆弾が爆発したというものです。 鹿島建設本社ではなく資材置場を爆破したのは日雇い労働者から搾取するゼネコンを攻撃する際に、現場で働く労働者の覚醒を促したいという思惑があったからとされています。
連続企業爆破事件の犯人である東アジア反日武装戦線の主要メンバーの判決や現在

「連続企業爆破事件」の実行犯は、「東アジア反日武装戦線」に参加していた「狼」「大地の牙」「さそり」という3グループのメンバーでした。1975年5月19日に主要メンバーが逮捕されています。 ここでは「連続企業爆破事件」の主要メンバーであった、「道明寺将司」「道明寺あや子」「佐々木規夫」「桐島聡」「沼田由紀子」の5名について説明します。
大道寺将司
北海道釧路市出身の大道寺将司は、「東アジア反日武装戦線」の源流である「Lクラス闘争委員会」の主宰者です。 一度は百数十名の学生が参加した「Lクラス闘争委員会」が、70年安保闘争で敗北したことを機に自然と解散したため、法政大学を中退しメンバーの一部と研究会を結成します。これが後の「東アジア反日武装戦線・狼部隊」となります。 「三菱重工爆破事件」を含む9件の「連続企業爆破事件」に関わりました。
大道寺あや子
北海道釧路市出身の大道寺あや子は、「東アジア反日武装戦線」の主宰者である大道寺将司の妻です。星薬科大学在学中に高校の同級生だった大道寺将司に研究会へ勧誘され、その後活動に身を投じ後に結婚します。 「狼」に所属し「三菱重工爆破事件」などに加担し、大道寺将司とともに逮捕されます。獄中・法廷闘争を行っていた1977年に日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件により、超法規的措置で釈放され日本を出国した後の所在は現在もつかめていません。
佐々木規夫
北海道小樽市出身の佐々木規夫は、大学入試に失敗し一度は家業を手伝うもののやがて上京。1967年頃より「朝鮮革命研究会」を結成し、日本の朝鮮侵略や抵抗運動史を学んでいました。 1974年大道寺将司から「狼」に勧誘されて活動に参加し、連続企業爆破事件に関与することになります。 1974年に大道寺将司らと共に逮捕されますが、1975年8月に日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件により超法規的措置がとられ釈放。日本を出国しています。
桐島聡
広島県出身の桐島聡は、明治学院大学在学中に「東アジア反日武装戦線」の黒川芳正並びに宇賀神寿一と知り合い「さそり」に参加。「連続企業爆破事件」の複数に加担したとされています。 1975年5月に「東アジア反日武装戦線」の主要メンバーが逮捕されましたが、警察は桐島聡の存在を把握しておらず本人は逃亡します。 その後警視庁は桐島聡を爆発物取締罰則違反で指名手配しますが、現在に至るまで生死も行方も不明のままです。
浴田由紀子
山口県出身の浴田由紀子は、「東アジア反日武装戦線・大地の牙」部隊リーダーであった齋藤和の内縁の妻です。齋藤和に感化され1974年に「大地の牙」に正式加入し、「連続企業爆破事件」に加担したとされています。 1977年に日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件により、超法規的措置によって釈放され日本国外に逃亡しましたが、密かに日本に戻り潜伏活動を行っていた1995年に逮捕されました。
まとめ

1年足らずの間に11件も起こった「連続企業爆破事件」について説明してきました。 超法規的措置で釈放され日本脱出をはかった主要メンバーは現在も国際手配されていますが、収監先で獄死したり刑期満了で釈放された者もいます。 こうした事件があったことを風化させず、教訓として覚えておきましょう。