1分でわかる大久保清による連続殺人事件
- 大久保清は強姦、殺人を繰り返した
- 大久保清は計8名の女性を殺害した
- 死刑判決となり死刑執行がなされた
大久保清の生い立ちと経歴
短期間に路上で声をかけた8人もの女性を殺害するというおぞましい犯罪を犯した大久保清とは、どのような人物だったのでしょう。事件を起こす前に誰も彼の異常性に気づくことはできなかったのでしょうか。 大久保清という人物を作り上げたであろう生い立ちから、事件を起こすまでの詳しい経歴を辿ってみましょう。
大久保清の生い立ちと家族
大久保は3男4女の7人兄弟でした。しかし長兄は幼くして亡くなり、次兄はあまり両親とは合わず、その分大久保が両親に溺愛されて育ちました。 しかし父親は性に関してオープンな性格であり、子供の前でも特に隠す必要はないと思っていたようです。また、母親にはロシア人の血が入っていたため、大久保は子供のころいじめを受けていたといいます。 さらに小学6年のころには幼女を畑に連れ込みいたずらをしたこともありました。
大久保清の複数の強姦事件
大久保が初めに強姦事件を起こしたのは、1955年のことです。大学生に成りすまし17歳の少女を強姦しました。逮捕されましたが初犯であったため1年6か月の懲役で済んでいます。しかし同年12月またもや強姦事件を起こしました。 初犯に続いて間を置かずの事件であったため大久保は少年刑務所に送られました。 その後模範囚として早めに出所しましたが、今度は20歳の女性を無理に連れ込み強姦未遂を起こしています。この時は未遂だったこともあり、示談となりました。
谷川伊凡という名前で詩集を出していた
偽名を使ったり強姦事件を起こしたりした大久保は、やがて結婚して子供も生まれいったん落ち着きを見せます。 谷川伊凡というペンネームを使い詩集を自費で出したのもこのころです。もともと勉強ができる方ではなかった大久保でしたが本を読むことは好んでいたようで、読むだけに終わらず自らも筆を執り本まで作っていました。 またこの時期は妻親族の援助を得て牛乳屋を開き、熱心に働いていたようです。
大久保清の結婚生活
大久保は妻となる女性には前科のことなど何も知らせずに結婚しました。 長男が生まれた頃にはまともに働いていましたが、結婚からわずか3年後、長女が誕生するころだったにもかかわらず、恐喝などで逮捕され実刑判決を受けることになり、妻に過去の罪を知られてしまいました。 また、大久保は結婚してからも女性に声をかけることをやめられず、恐喝事件のすぐ後に16歳の少女と20歳の女性を強姦し検挙されました。服役中は模範囚となるものの妻からは離婚を申し込まれています。
大久保清の連続殺人事件の経緯
大久保清は結婚し一時期落ち着いていたにもかかわらず、事件を起こした上に釈放後は短期間に8人もの女性を殺害してしまいます。 大久保はなぜそのような卑劣な犯罪行為を繰り返してしまったのでしょうか。大久保が連続殺人事件に至るまでの詳しい経緯を見ていきましょう。
大久保清は親の金で購入したスポーツカーを所有
模範的な囚人であった大久保は仮釈放されると両親の住む実家に預けられました。離婚を望む妻はすでに実家へ帰っており、大久保とは暮らすことはありませんでした。 出所したばかりの男がなぜ当時最新であった高額のスポーツカーを購入することができたのかといえば、新しく始める販売の仕事に必要だからといって親から資金をもらったためです。 大久保はその資金をもとに購入した車で女性たちに声をかけ、殺していきました。
数多くの女性と肉体関係を持とうとしていた
車を手に入れてから逮捕されるまでのわずか1月半の間、毎日のようにスポーツカーを乗り回しました。 その期間で大久保が声をかけた女性の数は約150人にものぼるとされています。そのうち、30人ほどの女性が誘われて車に乗ったとされています。 また車に乗ってしまった30人のうち、10人ほどが大久保と性的関係を持っていたことも確認されており、大久保は多くの女性との性的関係を望んでいたとされています。
肉体関係を持った女性8人を殺害
大久保は車に乗るよう誘い性的関係を持つまでに至った8人の女性たちを容赦なく次々と殺害し、その死体を同じ場所に埋めていきました。 8人のうち3人はまだ女子高生であり、残り5人のうちの3人もまた学生ではないものの十代の少女で、後の2人も21歳という若さでした。 また8人の女性を殺害する過程において、別の20歳の女性を強姦し、けがを負わせていることも判明しています。
大久保清の逮捕と判決
恐ろしい犯罪を繰り返した大久保が逮捕されたきっかけとは、いったいどのようなものだったのでしょうか。そもそもなぜ彼はこのような短期間に8人もの女性を手にかけてしまったのでしょう。その動機や逮捕されてからの心境もまた気にかかるところです。 逮捕のきっかけや逮捕後の大久保の状況、裁判での様子や判決などを解説します。
逮捕のきっかけと逮捕後
殺害された女性の家族が独自に捜索をし始めたことが大久保逮捕のきっかけとなりました。女性の兄は経営していた会社の従業員らを動員し、警察の指導を受けながらも70台もの自動車で大久保を追い詰め、カーチェイスの末に捕まえると警察へ引き渡しました。 逮捕後は犯行を認めず、物証もなかったために拘留期間が過ぎることが懸念されていましたが、逮捕の翌日には強姦された女性が名乗り出たため再逮捕されました。 しかし黙して語らなかったため、女性たちの死体を見つけるまでに80日も必要としました。
裁判の判決
大久保は裁判になるまでも、裁判中もその動機を語ることはしませんでした。また精神鑑定も行われましたが、精神病ではないが異常性格者であるとの結果が出ています。 私選弁護人を解雇したり、裁判官に申し立てを繰り返すなどの行為を行い、裁判官を告訴するなどの行いもありました。 国選弁護人には非常に非協力的で、8人も殺害した凶悪な犯罪行為を犯したというのに最後まで動機を話すことはせず、遺族には全く謝罪も反省もないままに公判を終えました。
死刑執行
動機の解明はされませんでしたが、欲望の赴くままに女性たちの命を奪っていったとされ、裁判では死刑の判決が下りました。死刑判決後大久保が控訴することはなく、一審の判決そのままに死刑が確定しました。 死刑判決からわずか2年と10か月で法務省から執行命令が出され、死刑が執行されました。1976年のことで大久保は41歳になっていました。 死刑が執行されたのは通常では考えられないほどの速さであり、この事件がどれだけ世間に衝撃を与えたのかがうかがえます。
大久保清の連続殺人事件の映画化
大久保の犯した類を見ないほどの凶悪な殺人事件は、ほかの事件とともにオムニバス形式で映画化されることとなりました。 大久保のおこした連続殺人事件を題材とした映画で大久保の役を演じたのは俳優の川谷拓三でした。また、その後にドラマ化された際に大久保役を引き受けたのはビートたけしです。 さらにその後も映像化されるたびに白竜や佐藤浩市といった俳優たちが大久保役を演じています。 主演俳優からみても、この事件がどれだけ世間の話題を集め、どれほどに注目されていたのかということがよくわかります。
まとめ
大久保が女性たちを殺害していった動機は最期まで不明でしたが、許してはいけない卑劣な犯罪であることは確かです。特に女子高生や女子大生などは情緒の不安定な年ごろであり、誘われたら断れないという気弱な少女もいることでしょう。 この事件を教訓にして、若い女性達には警戒心を忘れず、しっかりと断る勇気を持つことの重要性をあらためて自覚してほしいものです。