1分でわかるピアノ騒音殺人事件
- 近隣のピアノの騒音が殺人の原因
- 母子3人が被害に遭った
- 裁判は紆余曲折し最終的には死刑が確定
「ピアノ騒音殺人事件」は1974年8月に平塚市の県営団地で起こったピアノの騒音を原因とする殺人事件です。犯人は音に対して異常に過敏で、階下の女の子がピアノの練習をする音を自分に対する嫌がらせと受け止め、殺害を決意しました。 裁判ではピアノの音の検証や犯人の精神鑑定も行われ、最終的に死刑が確定しました。
ピアノ騒音殺人事件の概要
まずは「ピアノ騒音殺人事件」の経緯を見ていきましょう。事件はどのような状況で起こったのでしょうか。 また犯人はどのような精神状態で殺害を考えるようになったのでしょうか。
1974年に起きた殺人事件
事件は1974年8月の蒸し暑い朝に起きました。その日も朝から犯人の住む県営住宅の階下からは、当時8歳の長女まゆみちゃんが練習するピアノの音が聞こえていました。 被害に遭った家族は夫婦と女の子2人の4人家族で、犯人夫婦がこの県営住宅に引っ越してから間もなくして階下に入居しました。 犯人と被害家族は騒音関係を含めて日頃からトラブルを抱えており、犯人はピアノの音を自分に対する嫌がらせと考えるようになり、刺身包丁で母子3人を刺し殺してしまいました。
犯行の動機はピアノ騒音
当時団地では子供がピアノやエレクトロンを習うことが一種のブームになっていました。高度経済成長で生活が豊かになっていった象徴的な動きでした。 団地の家族は競い合うようにピアノを部屋に飾り、近くには音楽教室ができたりしました。犯人の階下の家族の家にもピアノが運び込まれ、毎日のようにピアノの音が響くようになりました。 当時犯人は妻との離婚問題を抱えており、それでなくても追い込まれた精神状態になっていました。かねてから階下の家族の振る舞いに不満を持っていた犯人は、毎日響くピアノの騒音を切っ掛けに被害者家族への復讐を決意することとなります。
犯人が自ら出頭して逮捕
犯人は夫が出勤するのを確認し、妻がゴミ出しに行った隙に被害者の家に侵入しました。ピアノを弾いていた長女のまゆみちゃんを刺身包丁で刺し殺した後、そばにいた4歳の次女洋子ちゃんも刺し殺しました。 犯人が本当に憎んでいたのは母親の八重子さんだったため、部屋に戻ってきた八重子さんもためらうことなく胸に刺身包丁を突き刺して殺害しました。 犯人は自殺を試みますが失敗し、その後警察に出頭したところを殺人容疑で逮捕されました。
犯人・大浜松三
「ピアノ騒音殺人事件」の犯人は大浜松三(おおはましょうぞう)当時46歳です。大浜はなぜこのような大事件を起こしてしまったのでしょうか。
ひったくりでの逮捕歴
大浜は国鉄の職員でしたが、少額の公金を横領し逃亡しています。 そのうち金を使い果たし、ひったくりをやって逮捕されます。執行猶予付きの判決を受けた後、職を転々としますが落ち着かず一時はホームレスになりました。 農家の婿養子になって落ち着きかけますが、妻が別れた夫と会っていたことに腹を立て離婚します。その後知人の紹介で再婚します。結婚相手の女は気立てがよく明るい人でしたが、大浜は妻に暴力をふるっていました。
過去にも騒音のトラブルがあった
大浜は自動車工場で夜勤をしていた際原因不明の「ドカーン」という音を何度も聞きます。この経験をして以来大浜は音に対して異常に過敏になりました。 以前住んでいたアパートの住人とステレオの音が原因で大げんかに発展したこともあったようです。 近所の子供達が遊ぶ声がうるさいと叱りつけたり、よく吠える犬を何匹も殺して警察に通報されたこともありました。大浜は自分の出す音にも過敏でテレビを見るときもヘッドホンを使って周囲に音が漏れないようにしていました。
犯人・大浜松三と被害者
被害者家族と犯人となる大浜との関係はどうだったのでしょうか。ピアノの音だけが母子3人を包丁で刺し殺した理由なのでしょうか。 大浜が殺意を抱くに至ったプロセスや具体的なトラブルの内容などを被害者家族との関係から詳しく探って見ます。
被害者は大浜松三の下の階に居住
大浜の階下に引っ越してきた家族は子供も二人いて結構賑やかな家族でした。夫は日曜大工が趣味で、引っ越し初日から棚を取り付けるため大きなハンマーの音をたてていました。 大浜の方は夫婦仲も冷めた静かな夫婦でしたので、県営住宅の薄い床材を挟んで二つの相容れそうもない家族が上下で隣り合うことになりました。 日曜ごとに夫の日曜大工の音が大浜を悩ませ、日中は娘の弾くピアノの騒音が大浜の神経をイラ立たせました。定職もなく、妻との離婚話が持ち上がっていた大浜の精神状態は沸騰点に達しようとしていました。
ピアノ騒音の前から騒音トラブル
毎日学校が終わる3時頃からピアノの音が響くようになり、大浜はたまりかねて階下の家を訪ねて、親の教育が悪いと苦情を伝えましたが、相手にされず一笑に付されただけでした。 回覧板を持ってきた長女に、「おじちゃん、人間は生きてれば音が出るのよ。」と言われた大浜は親が言わせていると考え、復讐心を持つことになります。 大浜は失業と離婚問題で精神的に参っている状態で、幻聴も聞こえるようになっていました。子供達が夏休みになり、大浜の避難場所であった図書館などにも居場所がなくなり、いよいよ大浜は追い詰められていました。
ピアノ騒音殺人事件の裁判
裁判にかけられた大浜はどうなったのでしょうか。当時の裁判では異例のピアノによる騒音の現場検証結果が証拠として調べられたり、大浜の精神鑑定が行われたり、裁判は波乱続きでした。
騒音の検証が行われた
横浜地裁における第一審ではピアノの騒音の状態を現場検証した市の職員が証人として出廷しました。 1回目の測定は午後2時に行われました。周囲の騒音のレベルが44ホンあり、ピアノの音は検出されませんでした。2回目の測定は静かな午前7時半に行われ、このときのピアノの音のレベルは44ホンでした。 この結果ピアノの音は環境基準値以内であることが確認されたのです。しかし実際にピアノを弾いたのは市の職員で時間も15分間と短かったため、この検証の信憑性が話題になりました。
大浜松三には死刑の判決が下る
裁判では大浜の精神鑑定も行われました。精神鑑定した医師は大浜の精神状態は異常なく責任能力はあると証言しました。 被害者家族の夫も証言台に立ち、大浜に死刑を求めました。 一方この事件を切っ掛けに注目を集めだした「騒音被害者の会」の代表も証言台に立ち、大浜に対する同情論を述べましたが、横浜地裁は己の犯した罪に対する悔悟の情がないとして大浜に死刑を言い渡しました。
控訴するも大浜松三自身が取り下げ
大浜自身は望んでいませんでしたが、第一審の弁護人は高裁に控訴しました。 大浜は地裁の第一審では「死刑になりたかった。」などど発言していましたが、控訴趣意書では「被害者家族の夫に襲われると思い先手を打った。」などと主張を変え、精神鑑定のやり直しも求めました。 大浜は東京拘置所に身柄を移されますが、隣室の水洗の音がうるさいと訴え、このような状態が続くのであれば死刑になって死んだ方がましと、自ら控訴を取り下げてしまいました。
ピアノ騒音殺人事件などのご近所トラブルを防ぐには
思いも掛けないことからご近所トラブルに巻き込まれることがあることを理解しましょう。 特に都会においては隣近所がひしめき合って生活しています。人が密集すればトラブルも起こりやすくなります。また現在社会で生活していればストレスも多く、普通であれば我慢できることも我慢できなくなることもあり得るのです。 もしこのようなトラブルに巻き込まれそうになったら自分で解決しようとせず、早めに警察や自治体などに相談しましょう。それでも解決が難しければ引っ越しを考えましょう。なによりまずは身を守ることが最優先です。
ピアノ騒音殺人事件の類似の事件
今回は「ピアノ騒音殺人事件」を解説しましたが、「音」が原因となった事件はほかにもあります。 ここでは「奈良騒音傷害事件」と「ペット騒音殺人事件」を紹介します。様々な価値観を持って暮らしている人と人はチョットした切っ掛けでぶつかり合い、取り返しのつかない結末を迎えてしまうことがある事例です。
奈良騒音傷害事件
「音」が関係するご近所トラブルとしては「奈良騒音傷害事件」があります。布団を叩く音を注意されたというほんの些細なことが切っ掛けで凄まじい騒音攻撃が始まったのです。騒音攻撃は2年半にわたって続きました。 ターゲットとされた隣の主婦は騒音によって頭痛や不眠に悩まされました。その状況は被害者によって録画され、テレビのワイドショーで毎日のように流されました。 事件は最高裁まで争われましたが、最終的に1年8ヶ月の実刑判決が確定しました。
ペット騒音殺人事件
音は音でもペットの鳴き声が原因で殺人事件まで起きてしまったのが、1974年川崎市の団地で起きた「ペット殺人事件」です。 タクシー運転手渡辺が団地で飼っていたペット犬のポメラニアンの鳴き声がうるさかったことから、同じ団地に住むホステスの小関が8階から犬を投げ捨てて殺してしまいました。 後日小関は渡辺に17万円の慰謝料を支払い一応示談が成立しますが、渡辺の怒りは収まらず、小関の家に乗り込み包丁で刺し殺してしまったのです。
ピアノ公害が認知された要因の一つに
2019年現在、大浜は最年長死刑囚として収監中です。この「ピアノ騒音殺人事件」は日本で最初に起こった近隣騒音殺人事件になりました。 この事件を切っ掛けに集合団地の騒音問題が注目されるようになり、「ピアノ公害」といった言葉も生み出されました。その後近隣騒音を巡る様々な対策もとられるようになったことを記憶しておきましょう。
コメント