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岡田更生館で何があったのか?大森実の決死の取材が功を奏すまでに迫る。

もくじ

1分でわかる岡田更生館事件

  • 県立岡田更生館で起きた監禁・暴行・殺人
  • 2年間で76人が犠牲
  • 見日新聞大森記者の潜入取材で実態が判明

岡田更生館事件‎の概要

岡田更生館事件は戦後間もない時期に現在の岡山県吉備町岡田で起きた、現在では忘れ去られようとしている悲惨な監禁・暴行・殺人な事件です。 岡田更生館で何が起こったのでしょうか。悲惨な事件の概要から見ていきましょう。

岡山県の県立岡田更生館で起きた監禁・暴行傷害・殺人事件

岡田更生館事件は戦後間もない1946年に現在の倉敷市吉備町岡田に設けられた浮浪者を収容する施設・岡田更生館で起きた監禁・暴行・殺人事件です。 戦後空襲で焼け出された人や外地からの引き揚げ者・復員者などで日本中に浮浪者があふれていました。更生館はこのような行き場のない浮浪者を収容する施設として、GHQの指示で全国に設けられた施設の一つでした。 岡田更生館の館長らは行き場のない浮浪者達の弱みにつけ込んで、これらの人を巧みに囲い込み劣悪な環境の中で虐待を繰り返していました。館長らは施設維持のために支給される公的な支援金を着服し私腹を肥やしていました。

2年程の短い期間で76人が犠牲に

街の浮浪者達は「十分な食事が与えられ、給金も貰える」と言葉巧みに岡田更生館への入所を仕掛けられました。この甘言に誘われ岡田更生館にはピーク時で500人以上の入居者がいました。 実態は全く異なっていました。入居者は丸坊主にされ、満足な食事も与えられず多くが栄養失調に陥りました。十分な寝具も与えられず、脱走を防ぐため寝るときは全裸にされていました。 施設の指導員達は収容者に執拗な暴行を加えていました。脱走する者もいましたが直ぐに連れ戻され、見せしめのため殴り殺されることもありました。死体は薪と一所に裏山で焼却されました。なんと2年間で被害者の数は76人にのぼったとされています。

背景には大量の浮浪者

岡田更生館事件の背景には日本中の浮浪者問題がありました。 当時は戦後の混乱期の真っ只中で、空襲で焼け出され家も家族も失った人や外地からの引き揚げ者・復員者は行き場のないまま、街にあふれていました。岡山県でも多くの浮浪者が路上生活を余儀なくされていました。 このような浮浪者の存在は犯罪の温床となり治安の悪化を招いていました。これを憂慮した当時日本を統治していたGHQは日本中に浮浪者を収容する施設の設置を命じました。これによって岡田更生館のような施設が全国に62カ所設置されました。

岡田更生館事件が発覚するまでと大森実の潜入

収容者にとって地獄のような岡田更生館でしたが、館長達は巧みに施設の実態をカムフラージュしていました。毎日新聞の大森実記者達が実態を暴くまで、監督官庁や警察を含めて世間の多くは岡田更生館を模範的な施設として理解していました。 どのようにして大森実記者達は岡田更生館の実態を暴くことに成功したのでしょうか。そこには決死の潜入取材がありました。

施設脱走者が大阪の毎日新聞本社に駆け込み、地獄のような実態を暴露

岡田更生館の実態を解明する切っ掛けとなったのは岡田更生館を脱走した一人の放浪詩人の訴えでした。放浪詩人の北側冬一郎は駅のベンチで寝ている所を岡田更生館の職員に誘われ施設に入所しました。 職員の巧みな甘言に乗せられた北側冬一郎が入所した岡田更生館は地獄のようなところでした。入所すると直ぐ丸坊主にされ、土蔵のような建物に放り込まれます。満足な食事も与えられず餓死を待つばかりの状況に追い込まれました。 命の危険を感じた北側冬一郎は決死の覚悟で施設を脱走します。地元の警察や県も一蓮托生ではないかと疑った北側冬一郎は大阪まで足を運び、毎日新聞の大阪本社に駆け込みました。

新聞記者・大森実が浮浪者に扮して潜入

北側冬一郎の話を聞いた毎日新聞の大森実記者達はあまりにも衝撃的な話に当初は半信半疑でした。大森実記者は手がかりを求めて過去の新聞をあさり、過去に岡田更生館からの脱走者関連の記事を発見しました。 記事では岡田更生館への疑いが払拭されたことになっていましたが、岡田更生館に足を運んだ大森実記者はその物々しい警備体制に異様なものを感じ、浮浪者に扮して実際に岡田更生館に潜入取材することを決意しました。 大森実記者は周辺の聞き取り調査を行った後、信頼できる検察や警察の人物に話を通し、救出の段取りを固めたうえで、同僚と二人で浮浪者に扮して岡田更生館に潜入することに成功しました。

大森実の危機

岡田更生館潜入に成功した大森実記者達は地獄のような施設の実態を目の当たりにします。 岡田更生館の実態を暴く十分な目撃証拠を得た大森実記者達は翌日かねて打ち合わせていた段取りで救出されることになっていましたが、大森実記者は脱走者が実際にどのような目に遭わされるのかを見極めるために脱走を試みます。 脱走した大森実記者達はあえなく施設の指導員達に捕まってしまいます。暴行を加えられようとした 大森実記者達は正体を明かしましたが中々信じて貰えませんでした。必死の大森実記者はとっさに近くにあった電話で毎日新聞の本社に救出を依頼し、何とか危機一髪で救出されました。

記事が掲載、全国ニュースへと発展

救出された大森実記者は旅籠屋に連れて行かれ缶詰状態で記事の執筆に取りかかりました。 岡田更生館が県営であったことから、岡田更生館の実態を報じた毎日新聞に岡山県は猛抗議し、ライバル紙も当初毎日新聞の中傷だと県の姿勢に同調しました。 しかしながら毎日新聞側は潜入取材で得た動かぬ証拠を突きつけ、岡田更生館のえん罪キャンペーンをもはね除けました。岡田更生館の事件は国会でも取り上げられるようになり、やがて捜査のメスが入りました。

関係者全員が逮捕、起訴へ

岡田更生館には実態捜査のため警察、報道、国会議員が詰めかけました。 岡田更生館側はそれでも施設の実態をカムフラージュしようと、入居者に施設が問題ないことを演技させようとしますが、岡田更生館に潜入した大森実記者が声をあげるのを実際に見た入居者達は施設の実態を明かし始めました。 結果岡田更生館の関係者は全員逮捕・起訴され、裁判の結果有罪が確定しました。

岡田更生館事件のその後

大森実記者達による決死の潜入取材でその実態が明らかになり、法的にも裁かれた岡田更生館事件のその後はどうだったのでしょうか。 岡田更生館の施設は今も存在するのでしょうか。岡田更生館事件のその後を見てみましょう。

館長らに有罪判決

館長をはじめ岡田更生館の関係者は業務上横領と私文書偽造の罪で裁かれました。裁判の結果関係者全員に執行猶予付きの有罪判決が言い渡されました。 岡田更生館の館長らは県から施設に交付された当時のお金で約90万円を横領して、来館者の接待費や私用に使っていました。 岡山市内の浮浪者を岡田更生館に収容していた県の元職員は事件発覚後職を辞しています。彼は後に「良識の鈍っていた自己を恥じる。」と述懐しています。

跡地は住宅地に

事件後岡田更生館は岡山県吉備寮に名称変更されていますが、1955年には施設そのものが廃止になりました。翌年には救護施設として新たにスタートしましたが、それも1年で廃止されています。 岡田更生館の跡地には一時民間の病院が開院しましたが、その後閉鎖され今は一般の住宅地になっています。 岡田更生館の惨劇は岡山県にとっては大きな汚点となりました。そのためかどうか岡山県には岡田更生館事件の記録はほとんど残ってないようです。事件の記憶は残された裁判記録を辿るしかなさそうです。

岡田更生館事件の書籍化

岡田更生館事件の公的な記録は裁判記録を辿るしかありませんが、岡田更生館に浮浪者を収容していた元岡山県職員である荻野半麓による『浮浪児とともに』が書籍として残されています。事件を映画化・ドラマ化した作品は残っていません。

まとめ

戦後の混乱期に起きた岡田更生館事件では現代においては信じられないような人権蹂躙が行われました。 大森実記者達の執念とも思われる決死の潜入取材なくして事件が世に出ることがなかったであろうことを思うと、決してこの現実を風化させることなく、是非今後も語り継がれることが望まれます。

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