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西成暴動(釜ヶ崎暴動)とは24回起きた日雇い労働者の暴動。宮迫さんとの関係や西成暴動ビールとは?

 

もくじ

1分でわかる西成暴動(釜ヶ崎暴動)

  • 大阪市西成区(あいりん地区)において勃発
  • 日雇い労働者による暴挙
  • お笑いタレントの宮迫博之氏が巻き込まれた

西成暴動(釜ヶ崎暴動)とは、大阪市西成区(あいりん地区)において1960年代~2000年代まで24回にもわたり勃発した労働者の暴動です。 お笑いタレントの宮迫博之氏がデビュー当時に巻き込まれたことを告白しています。

西成(あいりん地区)とは

西成(あいりん地区)は旧地名から「釜ヶ崎」とも呼ばれる大阪市西成区の北部に位置する地域であり、JR新今宮駅を中心に簡易宿泊施設が密集し路上生活者も多く住んでいます。 この地域には古くから日雇い労働者が多く集まり、暴動が頻繁に起こる地域としてとして知られていますが、どういった特徴をもつ地域なのか解説します。

日雇い労働者が集まるドヤ街

西成(あいりん地区)は日雇い労働者が集まるドヤ街として知られていますが、戦前は「釜ヶ崎」と呼ばれ田畑が広がる農村地帯でした。 しかし現在の浪速区付近に広がっていたスラム街「名護町」の強制立ち退きのあおりを受け多くの移住者が入り込み、その人々を収容する「木賃宿」が多く作られました。 この「木賃宿」も1945年に空襲で焼失してしまうと下宿旅館の街として再出発を図りましたが、やがて日雇い労働者が集まるようになり1950年代にはドヤ街が出来上がったのです。

宿泊施設や職業紹介所などが存在

西成(あいりん地区)は戦前「釜ヶ崎」と呼ばれていた頃に名護町にあったスラム街の住民を受け入れたことで、現在の簡易宿泊施設が集まる街の下地が作られました。 1945年の空襲で焼失したにも関わらず日雇い労働者などが集まってきた背景には立地条件の良さがあり、戦後はさらに多くの地域を含めた巨大なドヤ街を形成することになります。 それに伴って職業紹介所も数多く点在するようになりますが、その大半は公共のものではなく手配師や暴力団によるものでした。

治安は悪い

1950年代から西成(あいりん地区)は日雇い労働者が集まるドヤ街として急速に人口が増加し、簡易宿泊施設やアパートが密集していきます。 当時の住民の50%近くの住民は簡易宿泊施設もしくはアパートで生活しており、定職を持つものはそのうち40%程度であったため不就学児童も少なくありませんでした。 また暴力団の拠点も数多くあったことから治安は悪化の一途を辿り、麻薬密売や盗品売買、売春といった違法行為が行われたのです。

西成暴動(釜ヶ崎暴動)

西成(あいりん地区)では1961年~2008年までに24回もの「西成暴動(釜ヶ崎暴動)」が起きていますが、一番最初の暴動は交通事故に遭った被害者に対する警察の対応が発端でした。 ここから40年以上にわたって「西成暴動(釜ヶ崎暴動)」は繰り返され多くの負傷者を出してしまいますが、どういった内容の暴動だったのかを解説します。

最初の1961年の西成暴動(釜ヶ崎暴動)

1961年に西成(あいりん地区)で起こった最初の「西成暴動(釜ヶ崎暴動)」は交通事故で亡くなられた被害者に対する警察の無慈悲な対応が引き起こしたものです。 西成区の路上でタクシーに人が轢かれるといった交通事故が発生し西成警察が急行しますが、既に死亡が確認されたため遺体を放置したまま現場検証を始めました。 これに対して約4,000人の日雇い労働者らが近隣の東田派出書を破壊したほか、西成警察署のパトカーや施設を破壊しようとしたため、6,300人の警官隊が投入され制圧したのです。

2000年代まで起き合計で24回もの暴動が起きた

「西成暴動(釜ヶ崎暴動)」は1960年代に8回、1970年代に12回、それ以降は間隔を開けながら4回の暴動が引き起こされています。 1960年代に起きた「西成暴動(釜ヶ崎暴動)」は日雇い労働者が自然に集まり暴動に発展していきますが、1970年代には新左翼活動家が窮民眠革命論を掲げて意図的に暴動を引き起こしました。 その後に起きた暴動には新左翼活動家は関わっておらず、金銭トラブルなどに端を発して勃発したものであり、これまでとは性質を異にしています。

西成暴動の様々な原因

1960年代から2000年代にかけて起こった「西成暴動(釜ヶ崎暴動)」はその年代ごとにさまざまな原因があり、特に1970年代には激しく警察と衝突していた左翼活動家が意図的に暴動を引き起こしていました。 しかし、1990年代以降引き起こされた「西成暴動」はそれまでとは大きく様相が異なっていることから、この時期に絞って発生原因を解説します。

収賄

1990年10月に発生した「第22次西成暴動」は、現役の警察官が暴力団から賄賂を受け取っていたことが原因です。 この暴力団は西成区を拠点として日雇い労働者から「シノギ」と称して賃金の一部をピンハネしており、日頃からその不満は溜まり続けていました。 そういった状況下において、本来暴力団を取り締まるべき警察官が日雇い労働者たちの賃金の一部を賄賂として受け取っていた事実が発覚し、6日間にわたる暴動が勃発し各地で放火や略奪が相次いだのです。

飲食店などとのトラブル

2008年6月に発生した「第24次西成暴動」は飲食店店員と日雇い労働者の飲食代金の支払及びその後の警察官の対応が原因です。 飲食店で金銭トラブルを発生させた日雇い労働者は西成警察署に連行され始末書を書かされますが、その際に暴行を受け生活保護の打ち切りを示唆されたと訴えます。 西成警察署は事実でないと否定したものの、釜ヶ崎地域合同労働組合が中心となって西成警察署前でアジ演説などを行ったほか、一部の者が投石や花火を打ち込んだため警察官18人が負傷しました。

西成暴動の被害は大きい

「西成暴動」では24回の暴動で多くの被害が出ていますが、その数はそれぞれの暴動の規模により異なります。 「第1次西成暴動(1961年)」では死者1名、負傷者934名(警察官771名、一般市民163人)、検挙者194名となっており、このほかにも多くの警察施設や車両、商店などに放火、投石及び略奪といった暴挙による被害が出ました。 また現役警察官の賄賂に端を発した「第22次西成暴動(1990年)」では、阪堺電気軌道阪堺線の南霞町停留所が放火で全焼するなど、大きな被害を出しているのが実態です。

お笑い芸人の宮迫が西成暴動(釜ヶ崎暴動)に巻き込まれた過去

お笑い芸人の宮迫博之さんがテレビ番組で、「西成暴動(釜ヶ崎暴動)」に巻き込まれたことを告白して話題になりました。 宮迫博之さんによるとデビュー当時友人宅に行くために西成地区を歩いていたところ、急に付近に停車してあった車が爆発し、暴徒と間違われた宮迫さんは警官隊に「ボッコボコ」に殴られたそうです。 宮迫博之さんが「雨上がり決死隊委」でデビューしたのが1989年頃ですから、「第22西成暴動(1990年)」だと思われますが、今たからこそ笑って話せるエピソードになりました。

西成暴動(釜ヶ崎暴動)は報道規制がかかっていた可能性がある

飲食店店員と日雇い労働者の金銭トラブルに端を発した「第22次西成暴動」が勃発したのは2008年6月ですが、この時期大阪ではG8サミットが開催されており多くの警察官はそちらに動員されています。 そのためマスコミの報道もG8に集中しており「第22次西成暴動」は大きく報道されていなかったとの指摘もありました。 また目撃者によると制圧にあたった30人ほどの警察隊も経験に乏しかったのか大苦戦を強いられており、暴動が拡大しないよう報道規制がかかっていた可能性も否めません。

西成暴動ビールが販売されるようになる

西成(あいりん地区)では「西成ライオット(暴動)エール」と呼ばれる、介護事業者「シクロ」が製造しているクラフトビールが人気を集めており、このビールを提供するカフェもオープンしています。 バブル崩壊以降、西成(あいりん地区)では雇用の数が大幅に減少し、加えて労働者の高齢化が大きな課題となっているのが現状です。 「シクロ」ではこういった課題を解消するために、「西成ライオット(暴動)エール」といった商品を作り出すことで、高齢者や障がい者の雇用を生み出しています。

西成暴動(釜ヶ崎暴動)をこれ以上起こさない為にすべきこと

2008年の「第24次西成暴動」以降「西成暴動(釜ヶ崎暴動)」は勃発していませんが、労働者の高齢化や就労できない生活困窮者の増大といった新たな課題を抱えています。 また2012年からは子育て世帯層の移住などを目的とした「西区特区構想」も進んでおり、「日雇い労働の町」から「福祉の町」に大きく様変わりしようとしているのが現状です。 西成暴動(釜ヶ崎暴動)をこれ以上起こさないためには、新たな世帯層を受け入れることはもちろん、高齢者・貧困者対策なども含めた総合的な取り組みが重要だといえます。

西成暴動(釜ヶ崎暴動)の関連事件:山谷暴動

西成(あいりん地区)のほかにも、寿町(横浜市)、山谷(東京都台東区)といったドヤ街があり、中でも「山谷」は1960年代から20数回にわたり暴動が起きるなど、西成(あいりん地区)と非常に似た歴史をもっています。 1960年に勃発した山谷暴動は警察官が連行していた労働者が顔に怪我をしていたことから、周囲の労働者が警察官が殴ったと勘違いしたこと発端でした。 その後日雇い労働者たち約3,000人が自然発生的に集まり、通称マンモス交番を取り囲み火を付けるなどの暴動に出たのです。

西成の治安改善

最近では西成の治安がよくなったと言われています。 犯罪や薬物、暴力団が蔓延していた西成ですが、規制強化により治安は改善傾向にあります。 また外国人観光客の増加に伴い、宿泊施設等の需要が増え西成に多くの外国人向け施設が建設されています。 それもあり現在では西成の地価は過去に類を見ないほどに高騰しています。

まとめ

1960年代から続いた西成暴動(釜ヶ崎暴動)は高度経済成長期を支えた立場の弱い日雇い労働者たちが日頃の怒りを暴挙で示したものであり、バブルの崩壊とともに激減しています。 その背景には労働者の高齢化と貧困の問題があり、根本的な解決を図るには付け焼刃的な対策ではなく、西成に住む人々に寄り添った真の福祉対策が必要です。

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