謎のニセ札事件の概要
(画像:Unsplash)
「謎のニセ札事件」とは、1954年に日本で実際に起こった事件です。実害は比較的大きくはありませんでしたが、事件の内容があまりに奇妙であることから有名となりました。
1954年12月に発生した事件
1954年12月の冬に「謎のニセ札事件」は起こりました。 東京都中央区の印刷所に興信所の者だという男が現れ、紙幣のようなものの印刷を発注しました。印刷所は「警視庁の者から了承を得ている」という男の言葉を信用して印刷し、男に引き渡しました。 しかし、その印刷物があまりに異様だったので、印刷所は不安になり、警察に届け出たことで事件が発覚しました。
謎のニセ札事件は未解決のまま
印刷所の届け出により、警視庁捜査3課が事件を捜査しました。その結果、男が所属していると言っていた興信所が存在しないことがわかりました。 そして、警察は印刷所に残っていた紙幣のようなものを入手した後、日本銀行にも問い合わせますが「この種の紙幣は存在しない」という回答を得ました。また、表面の両側に書かれていた奇怪な文字もまったく解読することができなかったといいます。 結果として謎のニセ札事件は現在も未解決のままです。
興信所の捜査部長を名乗る男
(画像:Unsplash)
謎のニセ札事件のきっかけとなった男は「興信所の捜査部長」を名乗っていました。また、「警視庁の公安部長と関係があり、彼から了承を得ている」との説明もあったといいます。 しかし、事件発覚後の警視庁捜査3課の調べによって、男が名乗っていた興信所は存在せず、警視庁の公安部長とも一切関係がないことが明らかになりました。 男が本当はどのような人物であったかなどの身元は明らかになっていません。
謎のニセ札事件の概要

「謎のニセ札事件」とは、1954年に日本で実際に起こった事件です。実害は比較的大きくはありませんでしたが、事件の内容があまりに奇妙であることから有名となりました。
1954年12月に発生した事件
1954年12月の冬に「謎のニセ札事件」は起こりました。 東京都中央区の印刷所に興信所の者だという男が現れ、紙幣のようなものの印刷を発注しました。印刷所は「警視庁の者から了承を得ている」という男の言葉を信用して印刷し、男に引き渡しました。 しかし、その印刷物があまりに異様だったので、印刷所は不安になり、警察に届け出たことで事件が発覚しました。
謎のニセ札事件は未解決のまま
印刷所の届け出により、警視庁捜査3課が事件を捜査しました。その結果、男が所属していると言っていた興信所が存在しないことがわかりました。 そして、警察は印刷所に残っていた紙幣のようなものを入手した後、日本銀行にも問い合わせますが「この種の紙幣は存在しない」という回答を得ました。また、表面の両側に書かれていた奇怪な文字もまったく解読することができなかったといいます。 結果として謎のニセ札事件は現在も未解決のままです。
興信所の捜査部長を名乗る男

謎のニセ札事件のきっかけとなった男は「興信所の捜査部長」を名乗っていました。また、「警視庁の公安部長と関係があり、彼から了承を得ている」との説明もあったといいます。 しかし、事件発覚後の警視庁捜査3課の調べによって、男が名乗っていた興信所は存在せず、警視庁の公安部長とも一切関係がないことが明らかになりました。 男が本当はどのような人物であったかなどの身元は明らかになっていません。
謎のニセ札とは

「謎のニセ札事件」は特に大きな実害はなかったものの、深い謎を残しました。この「謎のニセ札」はどの国のどの地域の通貨だったのか、使用目的は何だったのかという調査が行われてきました。
世界のどこの通貨でもなかった
「謎のニセ札」のデザインは、意味不明な文字だけでなく、白い騎士や昇る太陽、ダビデの星が描かれていました。 警察は「謎のニセ札」を日本銀行に確認しますが、「この紙幣は世界のどこの通貨でもない」という回答でした。またダビデの星が描かれていたため、イスラエルの公使館にも確認しますが結局「この紙幣は使用していない」との回答でした。
使用用途などは分からず
印刷所に「謎のニセ札」の印刷を依頼した男は、「宗教団体に対する寄付の領収書として使用する」と言ったと言います。しかし、その宗教団体がどのようなものなのかは結局解明することができず、本当の目的が何であったのかはいまだに判明していません。 「単なるイタズラ」「映画や芝居に使うため」「秘密結社が使うものだ」というさまざまな憶測が飛び交いましたが、依頼した男と印刷物の行方は現在も不明です。
その他のニセ札事件

日本には「謎のニセ札事件」以外にもさまざまなニセ札事件が存在します。それらの中には組織的に行われた事件や「最高の芸術品」といわれた事件もあります。 特に有名な事件では「チ-5号事件」「チ-37号事件」「和D-53号事件」があります。
チ-5号事件
チ-5号事件とは、1951年山梨県にて24人の村人が村ぐるみでニセ札を製造した事件です。 犯人たちは印刷工を地下倉庫に連れ込み、そこで偽札を製造させていました。1951年3月に大量のニセ千円札を製造し、全国で使用したことで事件が明るみに出ました。間もなく全員逮捕されています。 このチ-5号事件は2009年の日本映画「ニセ札」のモデルとなりました。
チ-37号事件
チ-37号事件は1961年秋田県秋田市で発生した事件であり、製造されたニセ札はそのあまりの精巧さから「最高の芸術品」と言われました。 犯人は警察の追跡をかいくぐってニセ札を何度も改良し、ついに逮捕されることはありませんでした。そして1963年11月以降にニセ札が使われることはなく、1973年11月に時効となりました。
和D-53号事件
和D-53号事件とは、1993年4月に発生し現在も未解決となっているニセ札事件です。 発見されたニセ札は、外見の精巧さで騙そうとする従来のタイプとは違い、磁気インクによって紙幣識別機を欺くタイプのニセ札でした。 警察は不審者情報やニセ札に使用したインクなどをもとにして捜査を続けましたが、犯人は見つからず2003年4月に時効が成立しました。
まとめ

「謎のニセ札事件」や「チ-5号事件」など世間を騒がせたニセ札関連の事件は過去に何度も起こりました。今回ご紹介した事件の内、解決できたのは「チ-5号事件」だけであることから、ニセ札事件の解決がいかに困難であるかがわかります。 この記事を参考にして、日本のニセ札事件について学習していただければ幸いです。