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名張毒ぶどう酒事件の真相は?無罪を訴えた奥西勝や裁判の判決など詳細を解説します。

もくじ

1分でわかる名張毒ぶどう酒事件

  • 名張市の公民館での懇親会でぶどう酒に毒が盛られた
  • 被害者は女性17名でうち5名が死亡
  • 奥西勝は容疑をかけられ裁判を行うも獄中死

1961年三重県名張市で「第二の帝銀事件(毒物殺人事件)」といわれる事件が起こりました。それが「名張毒ぶどう酒事件」です。この事件により5名の尊い命が失われました。 事件発生から6日後に犯人が逮捕されましたが、裁判は最高裁まで争われました。その理由は、自供していた犯人が否認に転じたからです。今回は謎の多い「名張毒ぶどう酒事件」について解説します。

名張毒ぶどう酒事件の経緯と詳細

名張毒ぶどう酒事件は三奈の会と呼ばれた、三重県葛尾と奈良県葛尾の生活改善クラブが行った総会終了後に起こりました。懇親会に出席した20名のうち、17名がもがき苦しみだしたことに端を発します。 ここでは名張毒ぶどう酒事件の経緯に犯人逮捕ついて、詳述します。

名張市の公民館で開かれた「三奈の会」の懇親会で事件が起きた

1961年3月28に三奈の会は、名張市の葛尾地区にある公民館で年次総会を行いました。総会には男性が12名、女性が20名の計32名が参加しており、終了後は懇親会が開かれました。 懇親会で参加者が飲食を始めたところ、時をおかずして女性の参加者数名がもがき苦しみだします。すぐに医師が呼ばれて手当を行いましたが、5名は死亡してしまいました。また12名の女性には、中毒症状がみられたのです。

女性の参加者にはぶどう酒が配られた

医師への連絡と同時に警察へも通報したことで、早々に捜査が開始されます。症状が現れたのは女性17名で、男性には被害者はいませんでした。 捜査員が聞き取りを行った際、懇親会の乾杯時の様子が明らかになります。それは男性には清酒が、女性にはぶどう酒が配られていたというものでした。 そして、ぶどう酒を飲まなかった女性3名に異変がないことも確認されたのです。

ぶどう酒を飲んだ17名の女性が中毒症状を訴え5名が死亡した

ぶどう酒を飲んだ17名の女性は揃って、急性の中毒症状を示しました。その症状は、流涙やかすみ目・流涎・発汗・などに止まりません。咳や嘔吐の他、不整脈・心拍数の低下・けいれん発作などもあったようです。 医師の手当てもむなしく、症状を訴えた17名のうち5名が亡くなってしまいました。12名は命を取り留めたものの、回復には時間を要したと想像できます。

ぶどう酒には農薬であるニッカリンが混入していた

ぶどう酒が原因であると考えた警察は、押収して検査を行いました。その結果、農薬として使われるニッカリンTが混入されていたことがわかったのです。 ニッカリンTとは、有機リン系の農薬を指します。害虫を駆除するために使われていました。現在では毒性が強いことを理由に、製造も使用も禁止されています。有機リン系の農薬を摂取すると、呼吸困難や筋力低下が起こることが知られています。

奥西勝が逮捕される

ぶどう酒にニッカリンTが混入されていたことがわかった後、警察はそれを購入あるいは搬入した人物を探し始めました。そして捜査線上に3名の男性が浮かんだのです。 その3名は全員、警察の取り調べを受けました。そして全員が否認します。しかし容疑者3名の中に、自分の妻と愛人が被害になっている男がいました。それが奥西勝容疑者です。 奥容勝疑者には犯行動機があると考えた警察は徹底的に取り調べを行い、1961年4月3日に奥西勝容疑者から自供を引き出し逮捕しました。

名張毒ぶどう酒事件の裁判と判決

1961年4月24日に奥西勝容疑者は、計画殺人犯として起訴されました。しかし、逮捕後に行われた取り調べて犯行を否認したことから裁判は二転三転します。奥西勝容疑者は「自白を強要された」と主張し、証拠の鑑定結果の信ぴょう性が問われたからです。 ここでは裁判が結審するまでの流れと判決について、解説します。

第一審では証拠が不十分で無罪判決となる

第一審は津地方裁判所で行われ、検察は死刑を求刑していました。結審したのは1964年12月23日で、判決は「無罪」だったのです。 検察の主張が退けられた理由として、目撃証言に基づいて導き出された犯行時刻並びに証拠であるぶどう酒の王冠の状況があげられます。それらが奥西勝被告が自供したとされる内容と矛盾していると、裁判長は判断しました。 そして結審当日、奥西勝被告は即日釈放されました。検察は判決を不服とし、即日名古屋高等裁判所に控訴しています。

控訴審で一転して死刑判決となる

名古屋高裁で行われた控訴審が結審したのは、1969年9月10日でした。控訴審では、第一審の無罪判決が破棄されています。そして死刑判決を言い渡しました。 目撃証言が変遷したことを考慮しても犯行におよぶ時間はあったこと、ぶどう酒の王冠に残っていた歯形が奥西勝被告のものであるという結果が信頼できることが理由でした。 同日奥西勝被告は、名古屋拘置所に収監されました。そして判決を不服とし、最高裁判所に上告したのです。

奥西勝は冤罪を主張し再審を請求

最高裁に持ち込まれた名張毒ぶどう酒事件の裁判は、1972年6月15日に結審しました。その結果は上告棄却で、奥西勝被告の死刑判決が確定したのです。 その後奥西勝受刑者は、冤罪を主張して再審請求を行っています。第6次再審請求までは、ことごとく棄却されました。 しかし第7次再審請求後の2005年4月5日、名古屋高裁が再審開始を決定します。その後審議されますが判決が覆ることはなく、2006年12月26日に再審開始決定が取り消されました。

奥西勝の獄中死

奥西勝受刑者は、弁護団と共に再審請求を続けました。2013年11月5日には、名古屋高裁に弁護団が第8次再審請求を申し立てています。しかしこの請求を実を結ぶことはなく、2015年1月9に棄却されてしまいました。 奥西勝受刑者は2012年6月に肺炎を発症してから、体調不良の状態が続いていました。そのため、東京の八王子医療刑務所に移送されたのです。医療刑務所では人工呼吸器が外せなくなり、寝たきりだったといわれています。 そして2015年10月4日、肺炎のため89歳で獄中死しました。

名張毒ぶどう酒事件の真犯人は「三奈の会」会長説

名張毒ぶどう酒事件の容疑者として取り調べを受けていた男性の中に、三奈の会・会長である奥西楢雄氏がいます。この奥西楢雄氏が真犯人であるという説も、まことしやかに噂されました。 奥西楢雄氏が真犯人とされた理由は、名張ぶどう酒事件で亡くなった女性の中に奥西勝被告と共有していた愛人がいたというものです。また三奈の会には、奥西楢雄氏の妻も同席していました。また懇親会で飲まれたぶどう酒は、奥西楢雄氏の自宅に置かれていた者でした。 まるで奥西勝被告と同じ立場だった奥西楢雄氏は、疑われても仕方がない状況だったといえるでしょう。

名張毒ぶどう酒事件をモデルにした映画

2019年2月2日、名張毒ぶどう酒事件をモデルとしたとされる映画は公開になりました。そのタイトルは「眠る村」です。 東海テレビ放送が名張毒ぶどう酒事件について41年にわたり独自取材をしていたのですが、「眠る村」はその素材を使ったドキュメンタリー映画となっています。 この他にも2013年2月に公開された「約束」、2015年7月公開の「ふたりの死刑囚」があります。

まとめ

今なお真相が明かされていない「名張毒ぶどう酒事件」について解説してきましたが、理解できましたか。 奥西被告の自白の信ぴょう性に始まり、事件にまつわる不可解な謎や再審を拒む司法などが注目された事件でした。奥西被告が亡くなった今も、真実解明を追求する人たちがいます。今後の動きにも着目したいところです。

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