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三菱樹脂事件では企業の自由裁量が争点に。私人間効力や間接適用説や裁判所の見解にも迫ります。

もくじ

1分でわかる三菱樹脂事件

  • 従業員採用にあたって憲法解釈まで発展した事件
  • 基本的人権の適用範囲が争われた
  • 最高裁は初めて採用の企業裁量を認めたが両者は和解

「三菱樹脂事件」とは1963年に発生した民事訴訟事件であり、個人の思想・信条を理由とした採用拒否が違法であるか否かが争われた事件です。 この裁判では、日本国憲法に定められた基本的人権の適用範囲が私人相互間に及ぶのかが争点となり、一審・二審では原告勝訴となります。 ところが最高裁では一審・二審判決が全面的に覆り、日本国憲法の適用範囲については「関節適用説」が採用されることが初めて明確にされ最終的には和解が成立しました。

三菱樹脂事件の概要

1963年3月三菱樹脂株式会社に入社した高野達男氏(東北大学法学部卒)は、3か月の試用期間の後に本採用される見込みでした。 ところが、その間に三菱樹脂の調査で60年安保闘争に参加していたことが判明し、本採用を拒否されることとなりますが、これを不服とする高野達男氏は東京地裁に提訴し13年にも及ぶ法廷闘争へと発展するのです。

高野達男が三菱樹脂へ試用期間として採用される

高野達男氏は1963年4月に三菱樹脂株式会社に入社しますが、3か月の試用期間を経て不適格事項がなければ本採用されることが約束されていました。 なお、試用期間とはペーパー試験や面接だけで判断できない人となりを一定期間雇用することで見極めることを目的としており、企業側が本採用する権利を有する制度です。 1963年当時の日本では60年安保闘争にかかる学生運動が激化していたため、企業は活動家の動向に過敏になっていたことから試用期間制度が導入されていました。

高野達男が学生運動に参加していたことが発覚し不採用となった

試用期間における高野氏の仕事ぶりは良好であり、そのことを理由に本採用を拒否されるものではありませんでした。 ところが、三菱樹脂の調査の結果において、高野氏が東北大学時代に60年安保闘争にかかる学生運動に参加していたことが判明したため本採用が見送られたのです。 高野氏は入社時点で活動家ではありませんでしたが、採用にかかる面接時に「学生運動に参加していない」と回答していたことも、三菱樹脂の態度を硬化させた理由だといえます。

高野達男は三菱樹脂の対応を憲法の基本的人権を侵害していると主張

高野達男氏は日本国憲法には「思想・信条の自由」が明記されており、学生運動に参加しただけで採用を拒否されることは基本的人権の侵害にあたると主張しました。 これに対して三菱樹脂側は、同じ日本国憲法に定められている「企業の経営活動ないし営業の自由」を主張したことから、双方の主張は真っ向から対立します。 つまり、三菱樹脂事件は一個人の採用にかかる問題ではなく憲法解釈の問題となりマスコミにも大きく取り上げられ、その行方が注目されるようになったのです。

三菱樹脂事件の裁判と判決

三菱樹脂事件にかかる裁判は1964年に始まり、1976年に和解が成立するまでに13年もの長い歳月を費やされました。 その理由の一つに裁判が最高裁までもつれ込み、日本国憲法が私人相互間の問題に及ぶのかといった難しい判断を求められたことがあげられます。 その結果、この判例が採用や採用拒否に関する訴訟問題において一つのリーディングケースとなりました。

憲法の私人間効力が争点となった

三菱樹脂事件における最大の争点は、日本国憲法の効力が企業と個人の雇用問題といった私人相互間にまで及ぶのか否かといった点でした。 そもそも、日本国憲法の人権規定は日本国家と私人相互間の関係において適用されることが前提となっています。 したがって、三菱樹脂事件は日本国憲法の人権規定の適用範囲が最高裁において明確に示される初めてのケースであり、その後の労働裁判にも大きく影響することから大きな注目を集めたのです。

東京地方裁判所での判決

三菱樹脂は従業員の雇用にあたっては法律で制限されない限り、会社側の自由であると主張するとともに面接試験において虚偽の申告があったことにも言及しました。 これに対して高野達男氏は学生運動を理由にした採用拒否は「思想・信条の自由を侵害するもの」であり労働基準法にも反すると反論します。 その結果、東京地裁は学生運動の事実を隠していたとしても、それが契約を拒否する合理的な理由にはならないとして、原告側の主張を全面的に認める判決を下すのです。

東京高等裁判所での判決

東京地裁の判決を不服として三菱樹脂は直ちに控訴しましたが、一審同様、東京高等裁判所は原告の主張が認められる判決を下します。 東京高裁では一審の判決からさらに踏み込んで、面接時に政治的思想や信条に関することを申告させる行為そのものが公序良俗に反するとの見解を示しました。 その上で、会社側が主張する虚偽の申告を理由とする採用拒否は、高野達男氏の地位を失わせるものであり労働基準法にも反するとしたのです。

最高裁判所は「間接適用説」を主張した

最高裁裁判所では一審・二審判決を全面的に否定し、東京高裁での審理が不十分として審理を東京高裁に差し戻す判決を下します。 最高裁は憲法の適用について、そもそも憲法の適用は国と個人の関係について定めたものであるという「間接適用説」を初めて明確にしました。 その上で、私人間の関係については私的自治に委ねるといった見解を示し、どういった思想や信条を持っている者を雇用もしくは雇用を拒否するかは企業側が自由に決定できるとの見解を示したのです。

高野達男は三菱樹脂と和解

最高裁での判決を受けて、東京高裁での差し戻し審が行われますが、1976年3月に高野達男氏と三菱樹脂の和解が成立します。 和解にあたっては、三菱樹脂が高野達男氏に和解金2,500万円を支払ったほか、復職後において不利益待遇を一切行わないことなどの取り決めが交わされました。 和解が成立した背景には、長期間にわたる裁判により双方とも柔軟な姿勢を見せていたこと、東京高裁からの強い推奨などがあったと考えられます。

三菱樹脂事件の高野達男はその後三菱樹脂の子会社に入社

高野達男氏は1976年6月に三菱樹脂に復職した後、1999年に設立された100%出資の子会社である「ヒシテック」に代表取締役社長として迎え入れられます。 ヒシテックは建設資材分野の設備機器製品の販売やメンテナンスを行う会社であり、現在は「三菱樹脂販売」と社名を変更しています。 その後、高野達男氏は2004年年9月までヒシテックの顧問を歴任するかたわら、三菱樹脂事件に関連した講演活動なども行っていましたが2005年に65歳の若さで他界されています。

まとめ

三菱樹脂事件は一社員と企業の雇用問題にとどまらず、日本国憲法の人権規定の適用範囲が私人相互間にも及ぶか否かが争点となり、最高裁では国家と個人の関係を前提とする「間接適用説」が明確に示されます。 また、企業の雇用など私人間の問題は私的自治の原則に委ねるといった見解も当時としては画期的なものであり、その後の労働裁判に大きな影響を与えることになるのです。

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