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松本サリン事件はオウム真理教の凶悪テロ。河野義行の冤罪に関する事実の真相は?

もくじ

1分でわかる松本サリン事件

  • オウム真理教によって起こされた凶悪テロ事件
  • 河野さんは冤罪被害者
  • 地下鉄サリン事件へつながる事件

松本サリン事件は、昭和の犯罪史に名を残すオウム真理教が起こした犯罪の一つです。1994年長野県松本市内でサリンがばら撒かれ、死者7人(2008年負傷加療中に亡くなった者を含めると8人)を記録しました。 オウム真理教のサリン事件でいえば、この翌年に起こった地下鉄サリン事件が有名ですが、松本サリン事件はそれにつながる実験的な事件であるとされています。 また、この事件は杜撰(ずさん)な警察の捜査や偏見的な報道によって起きた冤罪事件、報道被害事件でもあります。

松本サリン事件の概要

1994年6月27日と翌28日早朝にかけて長野県松本市の閑静な住宅街で謎の有毒ガスで7人が死亡、約600人が負傷します。事件当初死因となった物質が何なのか明らかでなく、食中毒や自然災害の可能性も疑われたのです。 このときはオウム真理教の仕業であると考えられておらず、長野県警は事件翌日容疑者不詳のまま第一通報者の河野義行さん宅を捜索、マスコミも報道で河野さんを犯人視したのでした。

オウム真理教が土地の取得に際しトラブルを起こした

当時オウム真理教は全国に支部道場を建設しようとしており、松本市でもその計画を実行中でした。 オウム真理教が母体の食品加工会社が取得した土地について、土地を売却した地主は地元住民の反対運動を展開し、土地の返還請求訴訟を起こします。オウムは結局半分の土地を失い、半分の規模で支部道場を建設します。 しかし、住民はこの支部道場の敷地部分についても返還を求めて運動します。そこで、オウム真理教の教祖麻原彰晃が狙いを定めたのが事件を担当する裁判官だったのです。

サリンの威力を確かめる意味もあった

オウム真理教は1993年11月~12月山梨県上九一色村の施設「第7サティアン」内に、70トンものサリン製造プラントを建設しようとしていました。 この頃から教団は「池田大作サリン襲撃未遂事件」(93年11月・12月)や「滝本太郎弁護士サリン襲撃事件」(94年5月)などの犯罪を計画しますが、いずれも未遂に終わります。 松本サリン事件後、教団は第7サティアンでサリンの大量生産を本格的に開始していることから、松本サリン事件はサリンの威力を確かめる意味もあったとされています。

松本市にてサリンが散布された

当初サリンを散布するターゲットは土地返還請求訴訟を担当する裁判官が勤務する長野地裁松本支部でした。 しかし実行犯のリーダー村井秀夫が遅刻したことにより予定が狂い、実行犯たちが松本市内に到着したときには既に夜でした。裁判所は既に閉庁しており、結局実行犯たちは標的を裁判所から裁判官が住む官舎に変更したのです。 実行犯たちは噴霧車からサリンを気化させ官舎へとサリンをばらまき、サリンは風にのって住宅街へと広まっていったのです。

池ではザリガニが死んでいた

被害が続々と発生し日付が変わった6月28日の午前0時すぎには警察や消防が現場に駆け付け、住宅街は騒然となります。多くの人が頭痛や吐き気を訴え、次々と病院に搬送されます。 事件原因は不明でしたが、患者の縮瞳の症状から有機リン中毒が疑われます。有機リン中毒は農薬を飲み込んだりした際に起きる中毒です。 官舎からわずか50mの場所に住む河野義行(こうのよしゆき)さん宅の池からザリガニや魚の死骸が発見されたこともあり、警察は河野さん宅を家宅捜索し家庭菜園で使っていた農薬などを押収します。

死者は7人、負傷者は600以上

6月28日の午前0時から午前4時頃にかけて7人が死亡し、この夜中のうちに56人もの患者が近隣の6つの救急病院に運び込まれました。 結局、教団の本来の目的だった裁判官の官舎からは死者は出ませんでしたが、最終的に負傷者は600人以上にのぼったとされています。 なお2008年にはこの事件により負傷加療中であった河野義行さんの妻も亡くなり、松本サリン事件による死者は8人となりました。

松本サリン事件の犯人

マスコミは、第一通報者の河野義行さんが犯人であるかの報道を展開します。 しかし、これはのちに冤罪であることが判明します。マスコミや警察にオウムが真犯人であることを主張する怪文書が出回り、事件翌年の元日には読売新聞のスクープもあり、オウムとサリンの関係が結びつけられて河野さんの疑いは徐々に晴れていったのです。

松本サリン事件では河野義行が冤罪で罪に問われた

当初長野県警は第一通報者の河野義行さんを重要参考人として家宅捜索を行い、農薬などの薬品類20数点を押収しました。 これにより河野さんが犯人であるとする風潮がマスコミによって広められました。「農薬からサリンを合成するのは不可能」という専門家の指摘も深くは検証されなかったのです。 河野さん宅には全国から誹謗中傷の手紙が送られ、週刊誌で記事にされるなど河野さんは苦しい思いをすることになりました。

犯行はオウム真理教によるものであることが判明

その後マスコミや警察関係者の間に「サリン事件はオウム」とする怪文書が出回ります。はじめはその文書の信ぴょう性から大きくは取り沙汰されませんでした。 しかし、オウム真理教が建設中であった第7サティアン周辺で異臭騒ぎが起き、土壌検査の結果サリンの分解物が検出されます。 1995年1月1日に読売新聞が第7サティアン周辺でサリン残留物が検出されたと一面で報じることにより、社会の疑いの目はたちまちオウム真理教へと移ったのでした。

河野義行は長野県公安委員に就任した

オウム真理教が事件の真犯人であることが判明し、河野義行さんの疑惑はようやく晴れることとなりました。 その後、河野さんは2002年、当時の長野県知事田中康夫氏によって、捜査機関において今回の事件の教訓を生かすため、長野県公安委員会委員に任命されました。 このとき長野県警察は、県警本部長がかつての捜査について、河野さんに対して初めて謝罪をしたと言われています。

凶悪テロと冤罪が起きた松本サリン事件

松本サリン事件について紹介しました。閑静な住宅街において、サリンによって罪のない人々が死に追いやられたこの事件はとても凶悪なテロ事件です。 一方この事件の真相解明の過程において、冤罪によって罪のない人が疑われてしまったことは残念でなりません。冤罪も含めて、二度とこのような事件が起きることがないよう願うばかりです。

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