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草加事件は少年5名が冤罪で有罪判決になった事件。真犯人の存在とは?

もくじ

1分でわかる草加事件

  • 少年5人が女子中学生の殺人容疑で逮捕・補導される
  • 少年は犯行を否認したが刑事裁判では有罪となる
  • 民事裁判では最高裁まで争い無罪となり冤罪とされる

1985年に埼玉県で起きた「草加事件」は、昭和最後の少年冤罪事件としても有名です。そして刑事裁判と民事裁判で真逆の判決が下るという、異例の事態を生みました。 今回は犯人とされた少年5人の運命を変えた、「草加事件」について解説します。

草加事件の概要

「草加事件」が起こったのは、1985年7月19日のことでした。草加市内で当時中学3年生の女子が絞殺されているのが見つかり、少年5人が逮捕・1名が補導されました。これが17年にもわたる、冤罪事件の幕開けとなったのです。 ここでは「草加事件」の概要について詳述します。

埼玉県草加市の残土置き場で女子中学生3名の遺体が発見される

1985年7月19日の昼過ぎに、草加市内の残土置き場で女性の遺体が見つかりました。被害者は隣町に住む女子中学生が絞殺されたのです。 遺体発見時には被害者の着衣が乱れており、スカートにはAB型の体液が付着し強姦が疑われました。しかし遺体発見現場周辺には争った形跡がなく、別な場所で殺害されたと推測できる状況でもあったのです。 そして現場検証において残土置き場の出入り口当たりではタイヤ痕と22の足跡が、残土置き場からは8つの足跡が見つかりました。

少年5名が逮捕された

捜査を担当していた草加署に1つの知らせが入りました。その内容は「女子中学生が殺害された日の深夜に、被害者が八潮にある中央病院の側を歩いていたと話している少年がいた」というものでした。 草加署はその通報により、話題にのぼった少年Aについて調べ始めます。すると家出に始まり、窃盗や薬物の使用などによる補導歴が判明しました。 そして少年Aと行動を共にしていた少年B・CとAの弟のD、少年Eの5名を草加署へ任意同行します。そして個別に事情聴取を行ったところ、少年A・B・Cが自供したため5名とも逮捕しました。

少年5名は犯行を自白した

草加署に任意同行を求められた5人の少年の年齢は、13~15歳でした。そして少年A・B・Cは事情聴取初日に、犯行を自白しています。後でわかることですが、実は少年Aの弟である少年Dは犯行を否認していました。 自白の内容は「八潮中央病院の近くで被害者少女を見つけ少年BとCの車に乗せ、事件現場近くまで行き殺害した」というものでした。 しかし「被害者少女を事件現場に連れて行ったのは少年A・B・C」と、少年Eは殺害への関与を否定しています。

草加事件の犯人とされた少年たちはシンナー吸引や窃盗などを繰り返していた

「草加事件」の容疑者として逮捕された少年5人は、素行が悪いことで有名でした。小学生のころから窃盗をくり返し、シンナーの吸引や家出などの問題行動などをたびたび起こしていました。 主犯とされた少年は事件の前年である1984年に、別の犯罪によって少年院に収監されていました。また、他3人の家出中で、窃盗を繰り返して日々食いつないでいる状況だったのです。 これらの背景により、警察も彼らが犯人であることを確信していました。

草加事件の裁判と判決

「草加事件」の裁判は、刑事・民事共に最高裁まで争われています。そして刑事裁判では有罪、民事裁判では無罪となる異例の事態を生んでいます。そのため刑事裁判での刑確定後に、犯人とされた少年たちは再審請求を申し立てました。 ここでは「草加事件」の裁判の経緯と、判決内容について詳述します。

刑事訴訟では有罪判決

任意同行を求められた1985年7月23日、事情聴取された5人のうち少年3人が自白によって緊急逮捕されます。同日少年の1人は観護措置が決定し、同年8月4日に共犯として別の少年も逮捕されました。 「草加事件」で逮捕されたのは13~15歳の男子だったため、少年審判が予定されていました。2人の少年は観護措置期間中だった8月19日に、もう1人の少年は審判期日であった同年9月6日に否認に転じます。 しかし審判で強姦既遂と殺人が認定され少年4人を少年院送致、少年1人を児童相談所送致とする有罪判決が下りました。

有罪判決の根拠は自白とスカートに付着した体液の血液型

少年審判で有罪の根拠となったのは、少年3人の自白とスカートに付着した体液でした。被害者少女はA型でしたが、採取された体液はAB型だったのです。 しかし逮捕された5人の少年たちの血液型は、O型またはB型でした。つまり有罪判決の根拠は、自白調書しかなかったということです。 そして検察側は「被害者少女と加害者少年の血液が混ざってAB型になった」と、主張します。理論的にはあり得ることだったため、浦和家庭裁判所はそれを認めたうえで判決を下しました。

民事訴訟では無罪判決

被害者少女の両親は刑事裁判とは別に、少年5人の親権者に対し損害賠償を求める民事訴訟を起こしていました。1993年3月に行われた第一審では「少年5人が強姦・殺人を犯したという事実は認められない」として、原告の請求を棄却します。 事実上の無罪判決を不服とした被害者少女の両親が控訴し、1994年11月30日に総額4500万円の損害賠償を認めます。少年5名の親権者が上告した結果、2002年2月に最高裁は「自白の信用性を認めるという判断に誤りがある」として被告敗訴を破棄して高裁に差し戻しました。 そして2002年10月、加害者の体液がAB型だったことを根拠に「少年5人の犯罪を裏付ける証拠がない」として、原告の請求を棄却しました。これが事実上の無罪判決となったのです。

刑事訴訟の再審は棄却された

少年審判の判決を不服とした少年たちは高等裁判所に抗告しますが、1986年6月16日に棄却されます。その後最高裁判所にも再抗告しましたが、1989年7月20日に棄却され刑が確定していました。 しかし民事での差し戻し審により事実上の無罪判決が出たことにより、少年5人は刑事訴訟の再審請求を行います。3度にわたって判決取り消しを請求したものの、ことごとく棄却されています。 その理由は「保護処分が終了しているから」というものでした。

少年5名は少年院に収監された

1985年9月に少年審判が下った時点で少年4人は少年院に収監、当時13歳だった1名が児童相談所に送致されています。そして民事裁判で事実上の無罪判決を受ける前に、保護処分は終了していました。 その当時は保護処分が終了して、犯人とされる人物が少年院から釈放された場合に再審が行われることはありませんでした。成人が受ける刑事裁判の再審請求にあたる手続きが、少年法にはなかったからです。 そのため保護処分終了後に何度再審請求をしても、受理されることはありませんでした。

草加事件の主任検察官はテレビで活躍する住田裕子であった

2009年4月19日にテレビ朝日が放送した「サンデープロジェクト」の中で、「草加事件」の主任検事が有名人であると放送されました。当時の主任検事は現在弁護士として活動する、住田裕子氏だったのです。 日本テレビの「行列のできる法律相談所」への出演をきっかけに有名となり、現在ではTBSの「アッコにおまかせ」などにも出演しています。 2009年にサンデープロジェクトのスタッフが住田弁護士に取材を試みますが、守秘義務を理由に返答しなかったといわれています。

草加事件で警察、検察、裁判所は非難を受けた

2002年10月に民事裁判において事実上の無罪判決が下されたことで、警察・検察・裁判所は非難を受けることになります。 民事裁判の過程で、犯人とされた少年5人に犯人しか知り得ない秘密の暴露がなかったことが明らかになったからです。さらに加害者の体液がAB型だったにも関わらず、犯人とされた少年5人の誰も該当していないことも無罪の証拠とされました。 その捜査と証拠の検討がずさんであったと、世間から集中砲火を浴びることになりました。

草加事件の真相と真犯人は未だわかっていない

記者会見を行った冤罪被害者3名だけでなく、被害者少女の両親も埼玉県警に対して怒りを表しています。そして「直ちに再捜査して、真犯人をつかまえてほしい」と訴えました。 しかし冤罪被害者の保護処分取り消し請求を受けることも、再捜査することもなく2000年7月19日に公訴時効を迎えた「草加事件」の真相は闇に葬られたのです。 もちろん真犯人はわかっていません。

草加事件の犯人とされた少年5名のうち3名が実名で無実を訴えた

冤罪で苦しめられた少年のうち3人は、民事裁判で勝訴した後に実名で記者会見を開いています。当時13~15歳だった少年たちは、すでに30歳を超えていました。 そして3名は、冤罪被害の苦しみを訴えます。少年5人は逮捕された当時、弁護士がつくこともなく大人の支援を受けられていませんでした。それが冤罪事件を生む要因となったと訴えたのです。 しかし、警察・検察・裁判所による正式な謝罪はありませんでした。

まとめ

少年の冤罪事件として名高い「草加事件」について、解説してきました。「草加事件」での反省を踏まえ、その後に少年法が改正されています。少年犯罪であっても冤罪が認められた場合は、保護処分取り消しの手続きが行えるようになったのです。 しかし少年5人が奪われた17年は、決して戻ってはきません。短期間で審理される少年審判についても、きちんと目を向けていくべきだと教えてくれる事件でした。

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