1分でわかる苫米地事件
- 抜き打ち解散は違憲であると訴えた事件
- 裁判の争点となったのは統治行為論
- 苫米地事件の判決に影響を及ぼした砂川事件
苫米地事件の概要
苫米地事件とは衆議院の解散による違法行為を訴えた事件です。 昭和27年(1952年)に第三次吉田内閣が衆議院を解散し、苫米地義三氏は衆議院議員を失職することになりました。これを受けて抜き打ちで解散することは違法行為であると訴え、任期満了までの衆議院議員の職の確認とそれにまつわる歳費の支給を求めて裁判を起こしました。
衆議院議員の苫米地義三が、内閣の抜き打ち解散は違憲無効であるとして訴えた事件
第三次吉田内閣では憲法第7条に規定されている天皇の国事行為を理由に衆議院が解散されました。しかし衆議院の解散に至るまでに内閣不信任決議(憲法69条)の手続きを行わなかったため、憲法69条に違反する違憲行為であり無効であると訴えました。 衆議院の解散による違憲行為は初めてであり、原告の名前をとって苫米地事件と名づけられました。
統治行為論が重要な争点に
苫米地事件は「国会という国の重要機関において、高度な政治性を行う行為には司法が介入せず司法審査の対象にならない。」という統治行為論が裁判の争点となりました。 統治行為論とは最高裁判所の裁判官は内閣から指名を受けますが、司法は国民から選ばれた国会議員に対して一定以上の責任を負えないため、司法審査には馴染まないとするものです。
苫米地事件の判決
苫米地事件では衆議院の解散は高度な政治性を有する行為にあたるため、司法の審査対象となるのかという統治行為論が最大の争点となりました。苫米地義三氏は最高裁判所に上告しましたが、裁判所はどのような判決をくだしたのでしょうか。
最高裁判所は統治行為論を採用して、上告を棄却
東京高等裁判所は衆議院議員資格並びに歳費請求について、上告を棄却し裁判所の審査権限の外にあるとの判決を行いました。 これにより統治行為論が認められたことになりました。第一審、第二審、そして最高裁を経て上告の訴えが棄却されました。
砂川事件が判例とみられる
自衛隊の合憲性と安保条約の司法審査が争点になった最高裁判所の判例に砂川事件があります。昭和32年(1957年)に現在の立川市で米軍基地拡張に反対する住民が基地内に立ち入ったことに対して裁判が行われました。 裁判では自衛隊の合憲性と安保条約の司法審査の可否が争われました。最高裁は安保条約のような高度な政治性を有するものは司法審査になじまないとして法的判断をさけました。
苫米地事件の判決
苫米地事件では一審、二審で意見が分かれたものの、最高裁では統治行為論を採用し司法審査の対象外であると結論づけました。衆議院の解散については司法の審査は及ばず、国民の政治判断に委ねられるとしたのです。 国会議員に対する違法性の疑義や逮捕も報道されていますが、司法と立法府の関係に改めて注目が集まっています。