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警察官ネコババ事件で1人の妊婦が冤罪被害者に。堺南署が行ったありえない工作とは?

もくじ

1分でわかる警察官ネコババ事件

  • 妊婦が現金入りの封筒を派出所に届け出た
  • 驚くべき警察組織による隠蔽工作
  • 新聞報道で事件が明るみになった

警察官ネコババ事件の概要

1988年2月ひとりの主婦が堺市の派出所に現金入りの封筒を忘れ物として届けました。しかし受け取った巡査が封筒に入っていた現金を着服します。 警察署は不祥事を隠すため、ありもしない証拠を並べて無実の主婦に自白を迫ります。この警察署の動きに気付いた読売新聞の記者が紙面に特集を組んだことで、事件が明るみになりました。

事件が発生したのは1988年2月6日

1988年2月6日11時40分頃に主婦が大阪府堺南警察署槙塚台派出所に出向きます。落とし物の現金入り封筒を届けるためです。 対応した巡査は「その封筒は紛失届が出ています。」と答えて主婦の名前をメモに書き留めますが、本来渡すべき「拾得物件預かり証」は発行しませんでした。 落とし主の手元に戻った旨の連絡がないので、主婦が堺南警察署に電話を入れると「そんな封筒は受理していない。」との返事でした。封筒が何処かに消えてしまったのです。

一人の妊婦が堺南警察署に15万円入りの封筒の落とし物を届け出た

届け出た主婦のご主人は堺市でスーパーを経営しています。夫婦には2人の子供がおり、主婦は3人目の子供を妊娠していました。 そのスーパーの中で落ちていた15万円入りの封筒を拾った買い物客が店員に封筒を預けていました。スーパーで経理の手伝いをしていた主婦はその封筒を派出所に届けに行きました。その後落とした人が近所の男性だったと判明します。 落とした男性に現金が戻れば、何の問題もありませんでした。

担当巡査が着服、警察もそれを隠蔽した

当初ニセ警官が派出所にいて現金を受け取った可能性も浮上しますが、善意で届け出た主婦にも疑いがかかります。すぐに堺南署の刑事課長が主婦を事情徴収しますが、「シロ」と判断します。 しかし堺南警察署の幹部はその報告を聞き入れませんでした。主婦が無実であれば、派出所の誰かが着服したことになるからです。 担当した巡査が着服した可能性を指摘する刑事もいましたが、誰も深入りすることをせず事実を捻じ曲げようとします。

堺南署はこの事件の隠蔽工作を図った

届け出た主婦が犯人でなければ、警察署内の人間に疑いの目が向けられます。回避する方法は一つしかありませんでした。 それは、届け出た主婦に犯行を擦(なす)り付けることです。警察幹部が決定したことに傘下の署員は従います。恐ろしいことに警察署が一丸となって冤罪事件を作り出そうと動き出します。

妊婦が堺南署に届出た時、対応に当たったのは1人の巡査だけ

当時派出所には巡査が一人しかいませんでした。主婦の名前を鉛筆でメモ書きしただけで、終始うつむき加減だった巡査の顔を主婦は覚えていません。これも警察署には好都合でした。 不祥事を出したくない堺南署の幹部は主婦の犯行と結論付けて、捜査を開始します。 主婦が自白さえすれば、警察署内はすべて丸く収まります。着服した身内の巡査をかばって、無実の主婦に罪を擦り付けるための隠ぺい工作が始まります。

翌月に栄転を控えていた堺南署幹部は隠蔽を決断

3月に栄転を控えていた堺南警察署の最高幹部であった署長・副署長・警邏(けいら)課長にとって、今回の不祥事はどうしても認めることができませんでした。 決まっている栄転が取り消されるだけではなく、責任問題にまで発展する可能性があったからです。 堺南警察署の幹部は世間に悟られないよう組織的な隠蔽を企てます。しかし警察署に出入りする社会部の記者が不審な動きに気付きます。

8人の捜査班が組まれ、妊婦に自白を強要

署長の指示で8人の捜査班が組まれます。そこでは、いるはずのない証人やあるはずのない物的証拠が次々と捏造されます。 妊婦には細心の注意を払う必要がありましたが、それを無視して執拗な取り調べで自白を強要します。 また堺南警察署の刑事は妊婦のかかりつけの産科医に対して、留置して取り調べができるよう診断書の作成を要請します。しかしその刑事の高圧的な態度を不審に思い、院長は診断書の作成を断っています。

捜査班が逮捕状を請求するも却下される

自白を強要する取り調べで、妊婦はノイローゼになり精神的にも危険な状況まで追い込まれます。 しかし堺南警察署は何時までたっても、妊婦の自白を取りつけることができませんでした。捜査班の中には巡査が犯人だといって捜査からおりた刑事もいます。 痺れを切らした堺南署は大阪地方裁判所に逮捕状を請求しようとします。しかし産科医の猛反対や大阪地方検察庁堺支部の疑念から請求は却下されます。

大阪府警がこの事態の捜査に乗り出し、巡査は自白

着服した犯人が自分から届け出るはずがないことは、考えればわかることです。読売新聞で事件の特集記事が掲載され、堺南署の不祥事が世間に知れ渡ることになります。 騒ぎが大きくなり大阪府警も重い腰を上げます。この事件を堺南署から大阪府警に移して本格的な捜査が始まりました。

読売新聞の記事によって大阪府警が堺南署の実態を感知

堺南署の不正を詳しく調べあげた読売新聞の記者はその実態を社会面に特集記事として掲載します。これで堺南署が組織ぐるみで行っていた隠ぺい工作が明るみに出ました。 事態を知った大阪府警はこの事件を堺南署から知能犯事件を担当する本部捜査第二課に移し、再捜査を始めます。 本来のマスコミの役目は時に暴走する国家権力を監視することにあります。警察権力から国民を守るという本来の役目が上手く機能しました。

対応に当たった巡査が着服を認めた

堺南署から大阪府警に捜査が移り、証人や物的証拠のでっち上げ、強引な捜査手法が次々と判明します。 今までは堺南署という組織が見て見ぬ振りをしてくれましたが、もう守ってくれる上司や仲間はいません。現金を着服した犯人は徐々に追い詰められていきます。 1988年3月25日主婦から封筒を受け取った巡査が着服を認めたため、妊婦の冤罪は晴れました。事件発覚から実に48日が経っていました。

被害者家族、世間の反応

善良な市民が危うく犯罪者にされるところでした。主婦が身重(みおも)であったことが幸いします。拘留されていたなら自供していたかも知れません。被害者家族は警察署を相手取り民事裁判を起こしました。 世間の人々は警察組織の隠ぺい体質に強い怒りと恐怖を覚えました。警察の信用は失墜します。

大阪府警の会見でも隠蔽を重ねる

まだ隠蔽は続きます。記者会見の冒頭大阪府警は無関係の市民を容疑者と誤認したことを釈明しました。 しかし無実の人間に濡れ衣を着せようとしたのですから、「誤認」の表現は誤りです。このため現場にいた記者たちから猛抗議を受けます。翌日の報道は「誤認」ではなく「確信」との表現が見出しになりました。 また警察当局による逮捕監禁未遂との指摘も受けます。もう少しで新たな冤罪被害を生むところでした。

主婦の家族は損害賠償請求

被害者家族は大阪府警に対して民事訴訟を起こします。世間の厳しい目に晒された大阪府警は口頭弁論で請求を認諾します。 両者ともに控訴はせず、事実上の和解が成立しました。警察側は民事訴訟確定後に慰謝料として200万円を支払います。家族はそのお金を冤罪防止運動団体に全額寄付しました。 着服した巡査は懲戒免職され、業務上横領罪で大阪地検に送致されます。そして1989年4月7日起訴猶予処分となります。

ドキュメンタリー書籍も出版された

事件を記事にした読売新聞社の社会部は「警察官ネコババ事件~おなかの赤ちゃんが助けてくれた」との題目で、1983年3月に講談社よりドキュメンタリー本として書籍にします。 産科医に無謀な診断書を書かそうとする刑事、証拠の捏造、妊婦への自白の強要など、犯人をでっちあげる手法をつぶさに記録しています。 警察内部の闇を明らかにした衝撃の全貌が明らかにされています。怒りを感じずには読めない一冊です。

まとめ

「落とし物を拾ったら、交番に届けましょう」誰もが耳にするフレーズですが、この事件に関しては目を覆いたくなるような結末でした。 唯一の証拠を自白に頼る捜査が横行している事実が明らかになるにつれて、次々と表ざたになる過去の冤罪事件も頷(うなず)けます。 それでも大多数の国民は国家権力の庇護のもと日常生活を送っています。注意すべきは肥大化した警察権力は時に暴走するということです。もし新聞社が特集記事を載せていなかったらと考えるとゾッとする事件でした。

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